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国立文楽劇場

「国性爺合戦」は「スター・ウォーズ」か?

金水 敏

「かんげき日誌」でもお馴染み、仲野徹大阪大学教授がわたしに、「国性爺合戦て、初演当時はめちゃくちゃ人気があったみたいですけど、今見たら、あんまり面白いことないんちゃいますか」とおっしゃってきました。

うーん、たしかに、虎が出てきたり、あやしい中国語(?)が飛び出したり、いろいろ楽しいけど「十七ヶ月に及ぶ」ロングランを博したというほどのものかというと、ちょっとピンとこないところがありますね。

そのときわたしは、とっさに「きっと、当時はスター・ウォーズみたいなもんやったんと違いますか」と思いつきを口にしたんですが(折しも、「スター・ウォーズ」新作のエピソード7が公開中でした)、後日仲野先生から、「例の国性爺合戦=スター・ウォーズ説、某所で話したらめっちゃ受けたので、よかったら『かんげき日誌』に書いていただけませんか」とお願いされました。それが、今読んでいただいているこの文章です。

「国性爺合戦」=「スター・ウォーズ」説は、思いつきではありますが、案外当たってるんじゃないかと思っていて、それは表面的な浅い類似と、その根底にある深い類似もあるように思います。さらに、その深い類似点において大きく相違する点もあり、そこが現代人に今ひとつ受けない一因ではないかとも考えるので、そこも書いてみます。

まず浅い類似ですが、当時の日本人にとって中国は遙かに遠く、それは現代に置き換えれば宇宙空間を隔てた異星の物語にも比定できるようなものであった、とは、初春文楽公演のパンフレットにも久堀裕朗先生がお書きになっていましたね(29頁)。スター・ウォーズについてあまりご存じない方も多いと思いますが、申し訳ありませんがwikipediaなどでご確認いただければ幸いです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/スター・ウォーズ_エピソード4/新たなる希望(外部サイトへリンク)

本家(?)のスター・ウォーズにも、モンスターやエイリアンがばんばん出てきて、エイリアンは異星語をしゃべる訳ですが、国性爺合戦も最大の目玉の一つが虎退治、そして栴檀皇女や獅子が城の衛兵たちがしゃべる怪しげな異国語が、異界感をいやが上にも高めていたわけですね。だいたい冒頭から、自分の目玉をくり抜いて献上する李蹈天のような怪人が出てきて度肝を抜かれるわけで、B級(と言ってはスター・ウォーズに失礼ですが)アクション・ムービーのようなものと思えば、確かに「国性爺合戦」は楽しいかも、という気がしてきます。

さて、次に深い類似について。実は、物語の構造自体において国性爺合戦とスター・ウォーズは偶然以上の類似性があるのです。このことを考えるために、スター・ウォーズの監修をした神話学者のJ・キャンベル、そしてキャンベルの理論を映画シナリオ評価に応用し、スター・ウォーズの分析もしている、C・ヴォグラーという人のことを紹介しなければなりません。

キャンベルは、世界の神話や伝説を分析した結果、それらがすべて共通と言ってもいいほどの似た枠組みを持っていることを突き止め、それを「ヒーローの旅」と名付けました。ヴォグラーはそれを映画シナリオ評価の観点に応用し、ハリウッドのヒット作品はアクションものであろうが恋愛ものであろうがヒューマンドラマであろうが、この「ヒーローの旅」に還元できる!と言い切ったのです。今、その「ヒーローの旅」の骨子を図示してみましょう。

  1. (1) 普通の生活をしている、普通の主人公登場。
  2. (2) 突然何かがやってきて(何かが起こって)、主人公は冒険の旅へと誘われる(この局面を「冒険への呼び出し」と呼び、冒険の始まりを告げるものを“ヘラルド(=使者)”と言います)。
  3. (3) 主人公、旅立ちを一度は拒絶する。
  4. (4) 賢人(“メンター”と言います。魔法使い、古老、博士など老人が多い)が登場、主人公に旅立ちの必要性を説き、役に立つ知恵(道具など)を与える。
  5. (5) 主人公、旅立つ。最初の関門にさしかかり、門番に拒絶されるが、切り抜ける。
  6. (6) さらに旅を続ける過程で、友だち・相棒ができる。敵も現れる。悪い奴じゃないけど滑稽な言動で廻りを笑わせる「トリックスター」も登場する。
  7. (7) さらに、主人公の心をかき乱す謎の人物(多くは恋人として登場)も現れる。
  8. (8) 深い洞窟の奥に進んでいき、悪の親玉(“シャドー”と言う)と対峙、これを退けて宝物を手に入れる。
  9. (9) ふるさとに帰還を試みるが、途中で瀕死の危機に陥る。
  10. (10) 九死に一生を得て(あるいは復活を遂げて)ヒーローとして帰還、再び日常生活が始まる。

どうです!少なくともスター・ウォーズにはぴったり当てはまりますね。私の見るところ、ジブリ作品やドラえもんの劇場映画などもたいていこの枠組みにはまります。なにより、ちょっと細部を刈り込めば、日本昔話の「桃太郎」だってここにはまっちゃうじゃないですか!

さて、国性爺合戦ですが、プロローグが終わってまず国性爺となるまえの和藤内の、のんびりとした日常が描かれます。そこで鴫と蛤の食い合いを見て、和藤内は軍法の要諦を悟ったりするわけですが、ここで栴檀皇女が船で流れ着き、和藤内はそれをきっかけに中国への遠征を決意します。ここのくだり、スター・ウォーズ(エピソード4)で、主人公・ルーク・スカイウォーカーがレイア・オーガナ姫のホログラム映像を見て心ときめかすシーンを思い出させます。栴檀皇女こそ“ヘラルド”なのです。

国性爺合戦における“メンター”は誰かというと、他ならぬ和藤内の父親、老一官、あるいは和藤内の老母、ということになるでしょうか。最初の関門は虎退治、ここで母にもらった伊勢神宮のお守りが威力を発揮して虎を手懐け、韃靼人を味方に付けるあたりも、ヒーローの旅そのものです(「桃太郎」なら黍団子とイヌ・サル・キジですね)。

獅子が城のシーンでは、強敵と見えた甘輝が最大の味方となり、クライマックスである四段目、五段目へとなだれ込みます(四段目以降は、初春公演では上演されませんでした)。

さて、このように国性爺合戦はキャンベル/ヴォグラーの「ヒーローの旅」に当てはまりそうなところなのですが、うまく当てはまらないところ、はみ出てしまうところもあり、そこが現代人の心理にしっくりこないところでもあるように思うんです。それを端的に示しているのは、(3) の、主人公が旅立ちを拒絶する、ためらう、というところなんですね。

実は、「ヒーローの旅」がなぜ世界の神話や伝説に見いだされ、現代人の心をもつかむのかというと、これが私たち一人ひとりの成長物語と重なるからなのだ、ということをキャンベルやヴォグラーは強調しています。つまり(1)「普通の生活」とは、親の庇護を受けている子供時代のことであり、大人になるためには何かの試練=「イニシエーション」を経ないといけないのですが、その試練こそが「ヒーローの旅」の本質なのです。だれも、ぬくぬくと親の庇護のもとにいる環境から、苦しい独り立ちの旅になんか旅立ちたくありません。それが「拒絶」や「ためらい」となって現れるわけですね。さらにいえば、ゲームでいえば「ラスボス」(一番強い敵キャラ)に当たる「シャドー」とは、実は主人公の父親(あるいは母親)であり、主人公は象徴的な父殺しを経ることで一人前になる、というストーリーが隠されていたのです。「スター・ウォーズ/エピソード 4」では、まさしく悪玉のボスである「ダース・ベーダー」が、主人公「ルーク・スカイウォー」の父であることが明かされるので、まんま「父殺し」の主題が取り込まれているわけです。穏やかな日常を離れ、自分の力で道を切り開き、友を得、敵を倒し、つらい恋も経験し、ついには親を倒し、青年は悩みながら大人になっていく訳です。「ヒーローの旅」は、そのような悩める青少年の、大人への旅立ちを象徴しているのです。

さて翻ってわが「国性爺合戦」、和藤内は旅立ちをためらったり拒絶したりしたでしょうか。ここの部分を床本にそって、和藤内の心理を探ってみましょう(豊竹芳穂大夫さんが勤めていました)。

和藤内つゝしんで、
「只今某この浜にて鴫の鳥と蛤、希代の業を見受けしより、軍法の蘊奥を悟りひらいて候。千里を出でて西に利ありとは、大明国は我が国より西に当つて千里の波濤、南京北京に押し渡り、御代長久の凱歌を上げん、このまゝすぐに御出船」と勢ひいさむ和藤内

このように、和藤内は、勇んで旅立とうとこそすれ、あまり躊躇の色が見えません。しかし、妻の小むつが

「こなたには気遣ひせず、随分御無事でござれや」
と言へども弱る女心
「せめてひと夜の覚悟もせず夢見た様な別れや」

とかき口説くと、さすがに

和藤内も胸塞がり、ともに心は乱るれど

と、別離の悲しみを漂わせますが、すぐに

かくては果てじ、いざさらば、さらばさらばの暇乞

とあっさり旅立ってしまいます。

ことほどさように和藤内についてはあまり心理描写らしい心理描写がなくて、どちらかというと、冒険上等、喧嘩上等といった勇んだ面しか見えてきません。現代人にとって物足りないのは、ヒーローやヒーローを取り巻く男たちが、心理的に成長する局面があまり描かれていないという点にあるようです。

ではだれが悩むのかといえば、周りにいる女たちが悩み、苦しみ、つらい決断をするのです。初春公演では「紅流しより獅子が城の段」にその特徴がよく見えています。甘輝は、先祖は明国の臣下であり、祖国の再興に協力したいが、妻・錦祥女(実は老一官の娘)の縁で寝返ったと思われては恥辱であるという、ダブルバインド状態に置かれています。錦祥女はこのダブルバインドを解くために、自ら命を落とします。さらに和藤内の老母も、錦祥女ばかりを死なせては日本の恥辱であると、自害します(二人の女性が息絶えるシーンで、人形遣いの勘十郎さんと勘壽さんが人形を離れ、人形のみが舞台に残される演出が行われますが、命というものを人形を使ってこれほど端的に示す演出はないなと感心しました)。

つまり、女たちが男たちの前へ前へ回って、男たちが悩まなくて済むようにお膳立てを整えている訳です(このあたりのことは、西靖さんも「かんげき日誌」にお書きになっていましたね!)。悩んで悩んで、自分でダブルバインドを解消して行ってこそ、男は成長するのです。それなのに、女に死なせて悩まずにすませる、という展開は、ちょっと現代人には物足りないし、理不尽な気持ちにさせられますね。和藤内よ、甘輝よ、老一官よ、もっと悩めよ!みんな悩んで大きくなるんだよ!

というわけで、私の「国性爺合戦」≒「スター・ウォーズ」説は一巻の終わりです。ご清聴ありがとうございました。

(参考文献)
・ジョーゼフ・キャンベル(著)・倉田真木・斎藤静代・関根光宏(訳) (2015) 『千の顔を持つ英雄〔新訳版〕 上・下』ハヤカワ・ノンフィクション文庫
・ジョーゼフ・キャンベル&ビル・モイヤーズ(著)・飛田茂雄(訳) (2010) 『神話の力』ハヤカワ・ノンフィクション文庫
・クリストファー・ボグラー(著)・講元美香(訳)(2002) 『神話の法則—ライターズ・ジャーニー』愛育社

■金水 敏(きんすい さとし)
大阪大学・文学部教授。1956年、大阪生まれ、兵庫県在住。専門は日本語史および「役割語」研究。著者に『日本語存在表現の歴史』(ひつじ書房、2004。新村出賞受賞)、『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』(岩波書店、2003)、『〈役割語〉小辞典』他。

(2016年1月24日第二部「国性爺合戦」観劇)