国立文楽劇場

泣ける話、からの……『奥州安達原』を観て

三咲 光郎

 泣ける話か、大どんでん返しのある話を書きましょう。

 どんな小説を書こうか、編集者さんと話していて、そう言われることがあります。その二つの要素が、売れ筋なので、企画会議にも通りやすいのだそうです。
 確かに、書店で平積みの新刊をみると、「泣けます!」とか「驚愕のラスト!」
 と煽る帯が付いているものを見かけます。
 感情を揺さぶられることで日常を忘れてストレスを発散する。
 それが娯楽小説の役割なので、泣く、驚く、は求められる要素の上位にあります。

 泣ける話。
 小説で、何かお薦めはありますか?
 私は、最近読んだものでは、ディケンズの『デイヴィッド・コパフィールド』。
 英国ヴィクトリア朝の『おしん』みたいなお話(主人公は男性)なのですが、新妻との死別の場面では涙腺がゆるみました。(ネタバレでごめんなさい)
 若い頃は「他人が泣かそうとして創った話なんかで泣くもんか」とツッパっていたものでしたが、いまはもう涙腺の蛇口を解放しております。
 映画では? 泣ける映画のお薦めは?
 私は、『となりのトトロ』です。
 自分の子供が幼い頃に一緒に観ていて、お話がおもしろい、とか、風景が懐かしい、とかで楽しんでいたのですが、繰り返し観ているうちに、この姉妹はお母さんが入院してしまってさびしい毎日を健気にがんばっているのだ、というところに気づきました。そうなると、冒頭から、何ということのない場面でも涙腺ゆるめで観てしまうのです。
 泣ける話は、つまりは、人間関係、家族関係の話なんだなあと思います。

 文楽で泣ける話といえば『奥州安達原』の「袖萩祭文の段」です。
 雪が降る夜。祭文語り(物乞い)の母娘。母は目が不自由で、娘は健気に母を助けている。二人は門の外にいるが、閉ざされた門は決して開かない。
 この情景だけでも胸がしめつけられる思いです。
 門の内には、平傔仗と浜夕の老夫婦。物乞いの母袖萩にとっては父と母。娘お君にとっては初めて見るおじいちゃんとおばあちゃん。
 袖萩はかつて駆け落ちした身なので傔仗に勘当され、いまも会うことを許されません。それでも、父が危うい立場にいると心配し訪ねてきて、門に取りすがります。
 寒さに凍え、倒れた母に自分の着物を掛けるお君。
 浜夕は傔仗と袖萩のあいだに挟まれて胸も張り裂けんばかり。でも門を開けることは、かないません。
  まゝならぬ世ぢやな。……抱きたうてならぬ初孫の顔もろくにえ見えぬは、武士に連れ添ふ浅ましさと諦めて去んでくれ
 と嘆きます。
 泣けます。隣りの席のご婦人もハンカチを出していました。

 『奥州安達原』は全五段構成。八幡太郎義家と安倍貞任、宗任兄弟の対立を主軸とした時代物の大作です。私は以前、といっても数十年前になりますが、通し狂言で観た記憶があります。
 そのときの印象は、茫々とした枯れ野原のなかの一軒家に鬼婆がいて、宿を求めた若い妊婦を殺してしまうという猟奇的でおどろおどろしいものでした。怪奇好きな私には文楽の「オールタイムベスト」の舞台でしたが、全段は壮大な設定、複雑な人間関係に満ちていて、近松半二プロデュースの作品中でも特に様々な要素を持っていると思います。
 今回は三段目、平傔仗一家の家族のドラマに焦点を絞っての公演。怪奇趣味はひとまず置いて、そちらに集中できました。

 ところで。
 初段、二段目、と順を追って観てきたら驚きはしないのですが、いきなり三段目だけを観たら、「貞任物語の段」の終盤になって、ええっ、と驚くかもしれません。
 ええっ、こいつが、あいつやったんか? うわあ、そうやったんか。
 大どんでん返し。涙は止まり、舞台の動きをあぜんと眺めているかもしれません。ネタバレになるのでこれ以上は書けませんが。
 泣ける話、からの驚愕のラストです。

 『奥州安達原』三段目には、二つの要素がどちらも入っています。編集者さんにも薦めなければ。
 ハンカチは必携ですよ。

■三咲 光郎(みさき みつお)
小説家。大阪生まれ。関西学院大学文学部日本文学科卒業。堺自由都市文学賞、オール讀物新人賞、松本清張賞、仙台短編文学賞、論創ミステリ大賞を受賞。著書に『群蝶の空』『忘れ貝』『砲台島』『死の犬』『蒼きテロルの翼』『上野の仔(のがみのがき)』『お月見侍ととのいました』『空襲の樹』など。

(2023年11月6日第2部『奥州安達原』観劇)