文楽かんげき日誌

正しい(?)文楽の過ごし方

仲野 徹

文楽劇場11月公演は、初日に参上つかまつった。一部、二部たて続けの観劇である。しんどいのはわかっているが、たまに、こういう無謀なことをやりたくなる。朝の11時から夜の8時半まで9時間半。第一部と第二部の間と幕間を合わせて約2時間半の休み時間があるとはいえ長丁場なので、ペース配分を考えないとあきません。


第一部は、ご存じ近松門左衛門の最高傑作ともいわれる『心中天網島』だ。さぁ、とりあえずはゆったりと見始めようと思うも、織太夫さんと清介さん、NHK Eテレ『にほんごであそぼ』コンビが登場。出だしの「娼が情けの底深き、これかや恋の大海を、かへも干されぬ蜆川…」から、いきなりのトップスピードである。


次いで、九月の国立劇場と同じく呂勢太夫さんと清治さん、のはずが、あれれ、盆が回れば津駒太夫さんやないの。呂勢太夫さんがご病気で休演とのこと。ひやぁ~、1時間もある長丁場を代演って大変やろうなぁと、いらんことを思いながら観る。津駒さん、1月の錣太夫襲名披露が楽しみです。呂勢太夫さん、お大事に。


ここで昼食休憩。食べ過ぎると観劇に支障をきたす(=居眠りをする)危険性が高くなるので、軽く済ませようと段取り済み。知る人ぞ知る絹笠の『とん蝶』を買ってきた。大阪市内でしか販売されていないという「おこわ」である。これほど文楽観劇にふさわしい食べ物もあるまい。なんばウォークにお店があります。別に頼まれた訳でもありませんが、宣伝してしまいました。


「天満紙屋内の段」から、「大和屋の段」、「道行名残の橋づくし」へと進んで終了。あぁ、ええもん見せてもろた感が胸に拡がる。が、同時にモヤモヤ感も同じくらい拡がる。おなじみのストーリーであるが、何度見てもようわからん。というか、どうにも感情移入がしにくい。


ご存じ、紙屋治兵衛(28歳)と、北新地は紀の国屋の小春(19歳)の心中だ。嫌な男に請け出される小春は若いし、まぁ心中(「しんじゅう」ではなくて「しんちゅう」)わからんでもない。が、どうして妻子ある身の治兵衛まで。ちょっと思慮分別がたらんのとちゃうんか。う~ん、それより、むっちゃええ人すぎるんか。


わからんといえば、治兵衛の女房おさんもようわからん。小春に身を引いてほしいと手紙を書く。それはよかろう。とはいえ、小春が死ぬる気と知ったとたんに、着物を売り払ってまで請け出すよう治兵衛に頼む。これもええ人すぎる。


しかし、ええ人やったら、父親がやってきて、離縁させて無理矢理に実家へ連れて戻らされそうになっても、もっと抵抗しなはらんか。江戸時代のことなので、それはできんことなんかもしらんけど、そのせいで治兵衛が心中してしまいそうなのはわかってるんやから。こちらも、治兵衛と同じくもうちょっと考えていただきたい。


もやもやする。が、近松門左衛門、このもやもや感を残すのが目的やったんやろうか。思うに、世の中には何やらようわからんことがたくさんある。なんでも白黒をつけさせたがりすぎと違いますかというメッセージかも。スッキリ終わる演目もいいけれど、余韻という点では、もやもやの勝ちだ。とはいえ、やっぱり釈然とせんなぁ。と思いながら第一部が終了。


第一部と第二部を続けてみる観客には小さな特権が与えられている。追い出されることなく、ロビーの中で待たせてもらえるのだ。とはいえ、これは健康上あまりよろしくないような気がする。座りっぱなしでエコノミー症候群になったらいややし、気分転換にということでお散歩に。


文楽劇場の周りはいろんなお店があって楽しい。ぶらっと歩いていたら、牛肉ホルモンの立ち飲み屋があった。あかんがなと思いながらも、ついフラフラと引き込まれてビール大瓶をオーダー。どて焼きもホルモン串もやたらと美味しくて、カスうどんまで食べてしもうた。あっちゃ~、やってしもた。とは思うものの、昔の観劇っちゅうのは、途中でお酒を飲んだりしてたはずやから、ええんとちゃうか。と、別段する必要のない言い訳を自分にしながら第二部『仮名手本忠臣蔵』へ。


4月公演、夏休み公演から引き続き、三ヶ月かけての通し狂言である。三回分の半券があったら記念の手ぬぐいがもらえるのだが、そんなん捨ててしまいました。で、今月は八段目「道行旅路の嫁入」から。戸無瀬と娘の小浪は二段目以来、久しぶりの登場である。なくても困らない段のように思うけど、通しで観ていると相当に疲れが出る頃なので、こういう明るいめのインターミッションでほっと一息がええんでしょうな。九段目の悲劇がわかってるから、気分はそう明るくもならないけど。


九段目の「雪転しの段」、「山科閑居の段」と十段目の「天河屋の段」も、メインストーリーからいくと、なくてもいいような気がするけれど、歌舞伎とちがって文楽の仮名手本は討ち入りがないから、いざ討ち入り!というイメージを上げるために必要ですね。七段目の「祇園一力茶屋の段」から、いきなり十一段目の「花水橋引き揚げより光明寺焼香の段」っちゅうわけにはいきませんわな、どう考えても。


九段目は、物語の発端、桃井若狭助と加古川本蔵のことを思い出させる役割もあるのでしょう。長い狂言なんで、序盤を忘れてる人がおるかもしれんし。って、おらんか、そんな人は。しかし、花水橋での若狭助、忠臣・加古川本蔵が九段目で死んだところやのに、ちょっと脳天気すぎませんかね。そもそもはこいつの短慮から始まった悲劇なんで、しかたないのかもしれませんが。最後の『焼香の段』は、六段目での悲劇の主人公・勘平へのオマージュが最高でおまーじゅな(しょうもな…)。


言うまでもなく、忠臣蔵のあらすじは極めてシンプル。そういう意味ではこれはもう鉄板のスッキリ狂言だ。『心中天網島』のもやもやとは対極的。一部と二部の順番が逆やったら、ちょっとつらかったかもしれんと思いながら帰宅して、録画してあったW杯ラグビーの決勝戦を見たのでありました。


どちらも面白い狂言なので、ほぼ寝ずに(←正直)コンプリートできた。ちょっと意外だったのは、第一部も第二部も、初日の土曜日なのに空席がちらほらあったこと。もったいないなぁ。続けて見なはれ、とは言わないけれど、ぜひお運びください。どっちも、見応え、聴き応えありまっせぇ。

■仲野 徹(なかのとおる)
大阪大学大学院、医学系研究科・生命機能研究科、教授。1957年、大阪市生まれ。大阪大学医学部卒。内科医として勤務の後、「いろいろな細胞がどのようにしてできてくるのか」についての研究に従事。現在、『(あまり)病気をしない暮らし』(晶文社)が絶賛発売中。豊竹呂太夫に義太夫を習う、HONZのメンバーとしてノンフィクションのレビューを書く、など、さまざまなことに首をつっこみ、おもろい研究者をめざしている。

(2019年11月2日第一部『心中天網島』、第二部『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』
(八段目より十一段目まで)観劇)