歌舞伎俳優 研修修了生からのメッセージ
- 市川新十郎(いちかわしんじゅうろう)
- 第10期歌舞伎俳優研修(昭和63年4月~平成2年3月)修了生
- 昭和44年11月生
- 東京都出身
- 平成2年4月国立劇場『毛谷村』の忍びの浪人で初舞台。
平成3年4月十二代目市川團十郎に入門し、市川新七を名のる。
平成20年5月歌舞伎座『極付幡随長兵衛』の舞台番新吉などで四代目市川新十郎を名のり名題昇進。
平成8年1月国立劇場特別賞、平成17年第十一回日本俳優協会賞奨励賞ほか。
歌舞伎〟というと華麗、荘重、というイメージがありますが、実際に毎日つとめられていて、歌舞伎俳優というお仕事はどんな事をされるのですか?
僕の入った頃のことでいいますと、まず旦那(師匠:十二代目市川團十郎)の身の廻りのお手伝いから始まります。楽屋口でお出迎えをし、稽古中には岡持ち(飲み物や飴などを入れた籠状の容器)を持って付いて廻ります。なかでも旦那のお役の準備は重要な仕事です。衣裳の着付け、小道具の点検などは特に気を使います。そういった仕事も年数が経つにつれて自分で気づくことが増えて、複雑なことをするようになるものです。昔はお風呂で背中を流したりもさせて頂きました。もちろん自分の舞台も勤めます。劇場の中にある砂場へ行ってとんぼの稽古も欠かせません。そして空いた時間は〝常後見〟といって黒衣を着て舞台袖の幕溜りで舞台をとにかく観ていました。観るだけでなく何か舞台で事故があれば出て行って対処をするのです。
こんな風に僕たちの仕事は一日中めまぐるしく、客席から観る歌舞伎の舞台の印象とは裏腹な殺風景で、地味な作業の連続です。でもそんな落差がかえって面白い。地道な努力が重なって華やかな舞台に仕上がる過程を実感できるのですから。
また、僕たちの舞台はまず立廻りに出ることから始まります。いい立廻りをすればお客様に喜んでもらえる。また僕の場合は、弟子として市川團十郎という大きな役者に絡むやりがいのある役廻りに使ってもらえたのは有難かったです。そこから頂くお客様の拍手が大きな励みになりました。今では名題になって立廻りに絡むことは余りありませんが、立師(芝居の中の立廻りの構成を担当する)になって自分の附けた立廻りが喜んでいただけるのはやはり嬉しいものです。
研修中の思い出、今になって役に立ったと思うことは?
研修生になった当初はこんなことが自分に出来るのか、という衝撃が大きかったのを覚えています。逆に骨を埋める覚悟でやらなきゃ、と肚をくくりましたね。とにかく毎日毎日死に物狂いで稽古しました。立廻り、とんぼ、三味線、踊り・・・。研修中教わったことは今でも克明に覚えています。とにかくすばらしい先生方が揃っていましたからそういった方々の台詞廻しや身のこなしが僕の耳や瞼に残っているのは本当に有難いことです。研修を修了して20年以上経ちましたが、そうやって覚えたことの意味が今になって理解できる、ということがよくあるのです。
歌舞伎俳優を志す皆さんへのメッセージをお願いします。
歌舞伎俳優の仕事というものはマイクなしで台詞を伝える、激しい身体の動きが要求される、そして休みがないのですから、まず丈夫な体造りから始めてください。僕が自分に戒めている言葉は『自分が敵』ということ。自分と他人を比較してもしょうがない。常に自分自身を見詰めて怠けていないか自問自答し続けていないといけません。但し、その結果のよしあしを判断するのはあくまでも他人です。あくまでも自分自身を目指す方向からぶれさせないよう律し続ける努力を続けることです。
この仕事は苦しいです。それでも楽しめないと駄目です。毎回出し惜しみせず精魂を尽くす覚悟で頑張ってください。
最後に、新十郎さんは今後、どのような歌舞伎俳優を目指しますか?
とにかくいつも痛感するのが、歌舞伎を創り上げた江戸時代の人の発想力、構成力の素晴らしさ。今から見れば何にもない、不便な時代にこれだけの芸術を創り出した源泉は何だろう、と圧倒されるのです。そういったすごい江戸時代の人に歌舞伎を通して近づきたいと思います。
そういえば僕たちが若い頃に観た歌舞伎の舞台を振り返っても江戸時代の匂いがあった。そんな短い間でも変化が起きていると思います。パソコンやビデオなど便利な文明は進んでいても人間力が落ちればどうしようもない。僕は自分自身でそのことを意識しながら精進していきたいと思います。そしてその遥かな精進の道を歩める身体に産んでくれた親と、自分をここまで導いてくれた旦那への感謝はいつまでも忘れません。