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研修修了者インタビュー 小鼓方観世流 岡本はる奈(令和3年4月掲載)
国立能楽堂では、伝統芸能の伝承者を養成するため、将来舞台で活躍する志を持つ能楽(三役)の研修生を募集しています。
現在舞台で活躍している国立能楽堂能楽(三役)研修修了者や、若手の能楽師の方々から、能楽との出会いや、能楽師としての現在のお話をうかがいます。
今回は、小鼓方観世流能楽師の岡本はる奈さんです。
岡本さんは、2008年(平成20年)から2014年(平成26年)まで、第8期能楽(三役)研修生として学びました。
―能楽との出会いはどんなものでしたか?
私の地元は静岡県御前崎市ですが、一緒に住んでいた祖母の友人が能を習っていたため、中学生のときに能の公演につれていってもらいました。曲は「花筐」で、そのときはただただ眠く、内容もまったく分かりませんでした。けれども「能はすごいものだ」ということはずっと聞かされていて、茶道教室をやっていた祖母の着物の帯に能の柄がはいったものがあったりと、能楽の世界に対してはあこがれがありました。
大学進学をきっかけに上京し、単位交換という形で東京芸大の講義を受けることができたので、2年生の時に三浦裕子先生の「邦楽概論・能楽」を受講しました。その授業の最後に、当時渋谷の松濤にあった観世能楽堂で観たのが、関根祥六先生の「隅田川」。立ち見でしたが、大変感動したことを覚えています。
初めて自分でチケットを買って観に行ったのは「東方朔」でした。今思えばあまり出ない曲ですね。一冊本の謡本を「ずいぶん古風なパンフレットだな」と思いながら買っていました。能楽をお稽古したかったのですが学内にサークルがなく、その後人数が足りないからと「お茶の水女子大学狂言研究会」に誘われて入りました。プロの先生に狂言の稽古をつけていただき、文化祭や合同の自演会で発表をしていました。
―能楽(三役)研修を受験したきっかけはなんですか?
狂言サークルで他大の先輩から「狂言を稽古するなら能を見なくちゃだめだ」と言われたこともあり、在学中に能をたくさん見ました。「狂言師になりたい」と親に言ったら「バカなこと言ってないでまともに就職しなさい」と言われ、卒業後は静岡銀行に入行、2年間勤務しました。
富士山のふもとの銀行の支店で営業職として保険や証券をせっせと売りながら、狂言のお稽古は趣味として続けていました。当時教えていただいたのは故・野村万之介先生です。ただ学生時代は週5で稽古していたくらいのめり込んでいたので、熱を持てあましていた時に日経新聞で研修生募集の記事を見つけました。さっそく有給休暇をとって選考試験を受けるために上京、試験日は2月の26日だったと思います。試験結果は「女性で狂言方のプロを育てるつもりはない」とのことである意味予想していたのですが、その際小鼓方観世流の観世新九郎先生に「囃子方を目指すのはどうか」とお声をかけていただき、能楽の世界に飛び込んでしまいました。
―研修時代はどのように過ごされましたか?
研修時代はとにかく大変でした。能も小鼓もまったくの初心者でしたから。趣味としてお稽古していた人は鼓を打つことが楽しかった時期もあると思いますが、私の場合はそうではなかったので特に苦しく感じたのかもしれません。謡も囃子の稽古もとにかく辛いし、プロになるためのお稽古なので相当厳しかった。でも厳しいと言うことは、それだけ先生方が熱心に教えてくださったということですよね。
研修1年目の終わりに初舞台で舞囃子「桜川」を、だんだんと能も打たせてもらい6年目の最終年に「乱」を、修了公演として「石橋」を披かせていただきました。
―大変な研修の時代を続けてこられたのはどうしてですか?
始めた当初からいろいろな人に「どうせ女性は途中でやめるだろう」と言われていたので、みんなの予想をくつがえしたかった。また、研修生時代に1番つらかったのは「自分がなにものでもない」ということだったので、とにかく能楽師の、囃子方にちゃんとなってから後のことは考えようと思っていました。
そんな研修3年目、2011年3月11日の金曜日に大地震がありました。東日本大震災です。あけた月曜日には国立能楽堂で能楽研鑽会が予定されていて、初能の「田村」をつとめることになっていました。
大きな余震が土日も続き大混乱の中、舞台もやるのかやらないのか状況が分からないときに、新九郎先生がぜひ実施して欲しいと頑張ってくださった。幸い月曜日に公演はできて、その翌日から1ヶ月間国立能楽堂の全ての公演が中止になりました。稽古もしばらくなくなって、家族にすすめられたこともありとりあえず御前崎に帰りました。
実家の地所でタケノコを掘ったりして過ごしていたのですが、次々と入ってくるニュースに「このまま東京に帰れないのではないか」と、とても不安になりました。朝日の差し込む竹林にひとり立っていると、研修生だったことすら「もしかして夢だったんじゃないか」と感じて。あんなに辛かったのに、稽古が出来るありがたさを痛感しました。そこを境に意識が変わったように思います。
研修6年目にはカルチャースクールで教える機会に恵まれ、私のつたない指導でも熱心に稽古している人たちを見た時「もしかして小鼓って楽しいのかもしれない」と初めて思いました。今でもお稽古場の皆さんから教えられることは多いです。
―研修生時代の思い出など聞かせてください。
研修旅行で春日若宮御まつりなどに連れて行っていただき、普段は見られないものを見せていただきました。芸事・能楽の原点の場所での体験は特別で、能に携わるものとして今でも財産だと思っています。
流儀の師である、観世新九郎先生、観世豊純先生とその奥様にも、研修期間中から本当に可愛いがっていただき、豊純先生のお稽古の合間には戦後の能楽界の貴重な話を色々と聞かせていただきました。研修をきっかけにご縁ができ、ご指導いただけたことは本当に良かったと思います。
国立能楽堂の研修ではその他にもたくさんの能楽師の先生に直接お稽古いただく機会があります。そうした縁で顔を覚えていただき、修了後も舞台でご一緒したり、楽屋でお会いしたときに声をかけてくださったりするのがありがたいです。
また、つらい修行時代だったからこそ一緒に不安を共有できた同期の研修生の存在は大きかった。今でも楽屋や舞台で顔を見ると、特に話したりはしなくても嬉しいですね。
―研修修了後はどうでしたか?
研修が終わってもすぐに舞台でお役がいただけるわけではありません。ワークショップや女流能など仕事はありましたが、それでもやはり不安定な生活でした。研修時代から兄弟とシェアハウスしていたのですが、修了後1年間はアルバイトも続けていました。ただ、能楽の仕事だけで生活できるようになるというのが目標でしたから、2年目にはバイトをやめて1人で部屋を借りました。ズルズルと環境に甘えると、どこまでも変われない気がしたので。退路を断つではないですけど、思い切って自立しようと決めました。銀行を辞めた時もそうでしたが、この辺の思い切りの良さはありますね。
幸い舞台の数もお弟子さんも少しずつ増えて、なんとかここまで来られました。2019年の東京若手能で同期の修了生たちと一緒に舞台を務めさせていただいた際は、研修時代にお世話になったかつての養成課の皆さんにも観に来ていただきました。地元静岡で能を打ったり、銀座に移転した観世能楽堂の舞台で鼓を打たせていただくようになったことも感慨深いです。
研修が修了して程なく、小鼓観世流十八世宗家でいらっしゃった観世豊純先生が亡くなられました。余命宣告のわずか2ヶ月半後にお亡くなりになったのですが、最後まで先生は小鼓や舞台のことを考えておられました。その姿を目の当たりにしたとき、能楽の奥深さと芸の道のりの長さを感じました。
1人の小鼓方能楽師として、私も悩みながら道をすすんでいくのかなと思います。
―小鼓の魅力とは?
能の曲や場面によってばかりでなく、打つ人の気持ちによっても音が変わる楽器が小鼓です。掛け声をかけるときには囃子方自身の身体も楽器となります。人それぞれ骨格や体つきが違うように掛け声も千差万別ですが、能の曲にふさわしい自分らしい掛け声を追求していきたいと思っています。
「高砂」や「加茂」といった脇能を打った際は澄んだ掛け声を研究しましたし、「弱法師」では鼓の音が響く中、舞台に月明かりが差しているような感覚になりました。
新九郎先生がかつて他の先生方とやっておられた「神遊*」の公演では、難しい曲をたくさん舞台でなさっていました。そこで笛の音、小鼓や大鼓の掛け声、太鼓のバチ一つで舞台が一変することがあって。能楽は神を呼ぶ芸能だと思いますが、本当になにかが舞台にやってきた瞬間というのは空気が変わります。能楽の鼓というのはそれができる楽器で、舞台上で先生の後ろに座りながらそれを体感することができました。自分の鼓でも、いつかなにかを呼んでみたい。まだまだ未熟な芸ながら、心底そう思います。
*神遊(かみあそび) 観世喜正師(シテ方、観世流)、一噌隆之師(笛方、一噌流)、観世新九郎師(小鼓方、観世流)、柿原弘和師(大鼓方、高安流)、観世元伯師(太鼓方、観世流)の5名を中心に行っていた公演シリーズ。様々な視点から能をとりあげ、上演が稀な曲も積極的に上演するなど、毎回コンセプチュアルな公演を行った。2016年3月に活動を終了した。
―これからの目標はありますか?
研修中から散々苦労していたのが3番目物、あるいは鬘物と呼ばれる能でしたが「井筒」の囃子を打たせていただいた時に、鼓の掛け声の難しさと面白さを感じました。3番目物についてはもっと勉強しなければと思います。
また昨年から新型コロナウイルスの影響で、多くの舞台が中止を余儀なくされました。私も一時は能を打つ機会を失ってしまった。だからこそ舞台で鼓を打たせていただけることの有り難さを、今まで以上に感じています。舞台を観にいらしたお客様が、能の世界に浸ることで少しでも安らいだ気分になれればと思います。お弟子さんの中にはオンラインのお稽古で生活に張り合いを持たせていると言う方もいらっしゃいます。打ちたい曲も、やりたい舞台もたくさんありますが目の前の稽古と舞台ひとつひとつを大切にしていきたいと思います。
―能楽師を目指す若い人たちにメッセージをお願いします。
自分より年下の人と話をしていると、男女を問わず自由で新しい感性を感じることがあります。能楽は長く受け継がれてきたものだけれど、時代というものと全く無関係ではいられないと思っています。芸として守っていかないといけないものはもちろんあるのですが、自分たちの世代では難しかったことも、当然のように突破できる力が今の若い世代にはある。世阿弥の風姿花伝で書かれていたように、いつか「型」を破るために能楽の世界に入ってきてほしいと思います。
<プロフィール>
岡本はる奈
1982年生
小鼓方観世流
故観世豊純、観世新九郎に師事
国立能楽堂第8期能楽研修修了
小鼓草子2020
https://kotuzumiokamoto.hatenablog.com/
岡本はる奈さんのブログです。
研修生だったころの話も多く掲載していますので、是非ご覧ください。