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国立能楽堂

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若手能楽師インタビュー 太鼓方観世流 澤田晃良(令和元年12月掲載)

 国立能楽堂では、伝統芸能の伝承者を養成するため、将来舞台で活躍する志を持つ能楽(三役)の研修生を募集しています。
 現在舞台で活躍している若手能楽師の方々から、能楽との出会いや、能楽師としての現在のお話をうかがいます。

 今回は、太鼓方観世流能楽師の澤田晃良さんです。
 澤田さんは名古屋の高校を卒業後、能楽師を志し、東京藝術大学に進学。その後、太鼓方観世流の故・観世元伯師に師事しました。現在も懸命に修業に励んでいます。現在若手能楽師として活躍中の澤田さんにお話をうかがいました。

―能楽に出会ったきっかけを教えてください。

 私の家はサラリーマンの普通の一般家庭でした。高校に入るまでは全く能を見たこともなくて、興味もなかったのですが、高校に入ると何かしら部活をやらなければならなくなったので、運動部よりも、文化部がいいなと思っていました。
 同じ中学から高校へ行った先輩が入っていた文化部が二つあって、一つが演劇部で、もう一つが能楽研究部でした。それで、能楽研究部に入ったのがきっかけです。

―プロの能楽師になろうと思ったきっかけはなんですか?

 私が入った年は部の人数が大勢いました。全体で10人ぐらいです。それまでは人数が足りなくて仕舞しかできなかったそうなのですが、その時はきちんと囃子を習いに行けば、舞囃子が出せると先輩に言われて、習い始めました。舞囃子が出来ると、とても格好がいいんです。
 太鼓は、国立劇場の研修修了者の加藤洋輝先生(第6期能楽(三役)研修修了)に習いに行きました。それが高校1年生の夏前でした。太鼓をお稽古しているうちに、段々好きになっていって、プロとしてやっていきたいと思うようになりました。加藤先生や、シテ方で教えにきてくれていた同じ高校の先輩でもある和久荘太郎先生(シテ方宝生流)に相談しました。「それなら東京に出て藝大に入るといい」とアドバイスをいただき、高校2年の終わりくらいに観世元伯先生に紹介していただきました。

―なぜ太鼓を選ばれたのですか?

 能を観始めたのが高校に入ってからですから、内容がどうとかではなく、ぱっと見の印象になりますが、太鼓方は能が1時間から1時間半上演している中で、最後の部分で演奏します。中には10分とか15分くらいしか演奏しない曲もあります。太鼓方は、それまでの間何もせずただただじっと座っている。でも、最後の重要なところできっちりと自分の仕事を果たします。その姿がとてもかっこいいと思いました。

 

―先生の稽古は厳しかったですか?

 藝大を出て、元伯先生の書生になりました。厳しいし、とても怖い先生でしたが、叱られることがあっても、はっきりとした理由があって、決して理不尽に叱られたことはありませんでした。
 私はみんなが大学進学を考える時期に、普通の大学に進むことがイメージできませんでした。だから、憧れていた能の世界に飛び込もうと思い、実際飛び込みました。その時に「これ以上もうどうしても頑張れない」というギリギリのところまではとにかくやろうと決めました。その気持ちで今まで頑張れてきたのだと思います。

―将来への不安などはなかったですか?

 能の世界に入るにあたって、先生からお話を聞いた時、「これからの先行きは分からないけれども、しっかり修業して一人前にさえなれれば、ある程度は生活をしていける余地はあるよ」と言ってくださいました。「ある程度」というのがどの程度かは分かりませんが、その言葉を信じて生きてきました。

―能楽師として心掛けていることはありますか?

 とにかく誠実で、真面目でいなさいと先生から教えられました。気を遣う場面では気を遣い、先輩の負担を少しでも軽くできるような気遣いを、誰にも見えないような形でやるんだよ、と。そうすると、それを必ず見てくれている人たちがいるから、と教えてくださいました。そういう信頼を得なきゃいけない。仕事をいただくにしても、人対人の関わりが大切です。

―澤田さんの目標を聞かせてください。

 先生の教えに従って、少しでも多くの人から信頼をいただいて、一つでも多くの舞台に携われるとありがたいと思います。後は、能楽の普及です。能らしいきちんとした舞台を続けていくことで、能に興味を持ってくれたり、能の世界を志してくれる人が増えていってくれればいいなと思います。

<プロフィール>
澤田晃良 

1993年生
太鼓方観世流
故観世元伯に師事