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国立劇場

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豊竹呂勢太夫編(その3)

(その2)よりつづく

いとうせいこう 住太夫師匠とかが言ってるの聞いてて、「ああ、そうなの?」っていうのは、頭に響かすとか、頭声出してとか。どういうポイントから声出すんですか、あれ?

豊竹呂勢太夫 結局は共鳴させた声じゃないと声潰れちゃう。生声はダメですよね。

いとう どういうこと、どういうこと? 倍音的なものがってこと?

呂勢太夫 そういうことです、おっしゃるとおりです。

いとう それを出した方が声が……。

呂勢太夫 深みがやっぱり、

いとう 潰れないし、いい声が出るってこと?

呂勢太夫 おっしゃるとおりです、まさにそのとおりです。

いとう そこ知りたいんですよ。

呂勢太夫 普通に生声ってすぐ声潰れちゃうんですよ。

いとう うん。

呂勢太夫 そうじゃなくて。

いとう まず、生声は丸裸の声ね。

呂勢太夫 だからその、声を出してるというより、息を強く出してて、そこに声が乗ってるっていう感じで。

いとう 息が声をこうくるんでる的なイメージなんだけど。

呂勢太夫 そう、だから絶対共鳴させてるんですよ、どっかに。喉から出た声をそのまま出したらダメなんですよ、やっぱり。





いとう で、今は息のこと言ったけど、もう1つ、その共鳴って問題があるでしょ?

呂勢太夫 ええ。

いとう それはどのぐらい呂勢さんは……やっぱ共鳴の場所を変えるんですか?場面によって、ここ頭に響かせるんだなとか。

呂勢太夫 当ててるとこは大体一緒なんですよ。息を当ててるとこは。我々は「息を高くしろ」って言われてて。音程が下がっても、音程と一緒に息も下がる発声はダメなんです。

いとう 息の量は変わらないんだ。

呂勢太夫 (実演して)一緒でしょ?でも、音程は下がってるんです。

いとう うん。

呂勢太夫 若い時って、音程と息がお互いにつられちゃいがちなんです。でも、同じところに響かせていながら音程だけ下げる。こういうことをすごく言われるんですよ。

いとう はあ。そうなんだ。

呂勢太夫 そうしないと陰気になっちゃうんですよ。

いとう 陰気になっちゃう?

呂勢太夫 パーっとした感じにはならない。

いとう 華やかにならない。

呂勢太夫 そう。悲しい場面でもやっぱり前に伝えるためには、こうブワーってやってなきゃいけないんですよね。

いとう うんうんうん。しかも共鳴させて、音の質を多様にしてないと華やかじゃない。地味―になっちゃう。

呂勢太夫 そうです、そうです。単音でも、そこに諸々がくっついてる方が、義太夫は華やかになる。

いとう 三味線と同じじゃないですか。

呂勢太夫 三味線にサワリって、倍音がついてるのもそうなんです。ああいうの、やっぱり関西人が好きなんですよね。

いとう ノイジー。

呂勢太夫 江戸っ子だとやっぱり、

いとう 江戸っ子だと清元とか、そういう感じですよね。

呂勢太夫 粋な感じで綺麗なんですけど、関西の人はやっぱり倍音が好きなんですよ。

いとう はあ、やっぱそうなんだね。

呂勢太夫 でもね、それは昔の関西人の喋り方とかも関係あるんですよ。

いとう 関西弁とか、

呂勢太夫 昔は「さいでやんすね、何とかで何とか」(うねるニュアンスのある言い方で)ってこういう感じで、今は「さいでやんすね」(はっきりしたイントネーションで言い切る)って。例えば東北弁の人っていったら、東北の人独特の発声ってありますよね。ああいうのがやっぱり大阪にもあったんだと思うんですよ。今は少ないですけどね。

いとう それを倍音発声として音楽に取り込んだと。

呂勢太夫 とくに義太夫は重んじるんじゃないでしょうかね。

いとう 音が面白かったんだね、それがね。それが竹本義太夫の発見だったんだね。

呂勢太夫 住太夫師匠はそれを「音(ヲン)」っていう言い方をして、「音がないとアカン」っておっしゃってたんですけど、

いとう うんうん。

呂勢太夫 要はそういう、倍音のことなんです。

いとう 住太夫師匠はよく「音」と「息」と「間」って言ってたでしょ?

呂勢太夫 ええ。

いとう 「息」は今のことでしょ?「音」は今の倍音のとこでしょ?

呂勢太夫 ええ。

いとう とすると「間」は芝居だ。

呂勢太夫 「間」は芝居。どんな芝居でもそうじゃないですか。何と言うか、その空間。空間に意味を持たせる。でも、空間ってなかなか空けられないですよね。

いとう やっぱいっちゃう。

呂勢太夫 やってるつもりなんです。自分では空けてるつもりだけど、客観的に聴くとね、全然。そのつもりというだけなんです。

いとう 間を取れてないとか。



呂勢太夫 ご自身の演技とかテレビとかで見たら、どう思われます?

いとう いやいやもうそんな恥ずかしくて、とてもじゃないけど見てられない。

呂勢太夫 何ですかね、自分のことてあんまりこう客観的に分からないですけど、人の稽古って、

いとう ああ、見る見る見る。

呂勢太夫 人のしてもらっている稽古を聴くと、すごくよく分かるんですよ。自分が言われている時だと、もう自分がカーッとしてるから 分かんないですけど、人が直されているのを客観的に聴いていると、こんなこと言われてるのに取れてないよねとかって。

いとう ああ。そうだね。で、あとは声の大きさね。

呂勢太夫 はい。

いとう さっき、マックスを高く持ってるから、下がっても、年取ってもっていう話が出たじゃないですか。で、すごく大きい声を持ってるじゃないですか、呂勢さん。

呂勢太夫 大きくなるんですよね。これ、やっぱり修業で。

いとう ああ。僕もその事、今日聴かせていただいて、いつも聴いてますけど、「年取って、もっと大きくなってないかな」って思って。

呂勢太夫 それはね、やっぱり輪郭の問題なんですね。ボリューム、何ホーンっていうんじゃなくて、やっぱりその芸の輪郭っていうのは。特にその清治師匠の輪郭がすごく大きいから、それに近づこうと一所懸命頑張ってます。

いとう 輪郭って、芝居の?雰囲気の?音の?

呂勢太夫 音の……長いとか速いとか、そういうのももちろんあるんですけど、例えば スケール大きくしようと思ってゆっくりやると、そうじゃないって言われるんですよね。

いとう それはニュアンスってことなのかな?

呂勢太夫 あと、やっぱり骨格ですかね。骨太というか。

いとう 骨格?!音の骨格?

呂勢太夫 そう。骨太……

いとう 骨太にするには、どうすればいいと?

呂勢太夫 嶋太夫師匠にいつも言われたのは、とにかくいっぱいにやって、声を痛めては治して、痛めては治して、

いとう うわあ、それだ。

呂勢太夫 それをすると、わざと潰すんじゃないですよ。そうじゃなくて、痛めて治して、痛めて治してとやってると、だんだん、そういうね、声に幅が出てくるっていう……すごく言われました。

いとう うんうんうん。

呂勢太夫 本当は痛めちゃいけないんですけども、痛めて、勉強する。

いとう 何ていうのかな、弱々しい感じじゃなくなるって、声が?

呂勢太夫 骨太になるんです、やっぱりそれは。輪郭がね。

いとう うん。

呂勢太夫 だけど、すごく言われましたよ。4畳半の芸じゃないんだから。義太夫は舞台の芸なんだからって。

いとう そうね。

呂勢太夫 だから、4畳半でやって上手に聴こえるようにやるんじゃなくて、具体的には広い劇場で聴いて、上手に聴こえるようにって。結構違いますよ。昔の人はそう言ってました。お座敷浄瑠璃はダメだとかね。盆栽浄瑠璃とかね。

いとう 盆栽浄瑠璃? いいこと言うね(笑)。

呂勢太夫 ここで聴くと、うまいんですよ、こじんまりと。そんなんじゃだめだと。ブワーッと、

いとう でっかく行けと。

呂勢太夫 それ、すごく言われました、それ。

いとう 江戸時代もそんなでかかったのかな、舞台は?

呂勢太夫 やっぱりでも、竹本義太夫さんは声が大きかったっていうのが1つ。

いとう なるほど、そうですよね。

呂勢太夫 ポイントなんですよ。

いとう うん。

呂勢太夫 だから、やっぱその声が大きいっていうか、輪郭が大きいっていうのは1つの義太夫の条件で、そういう人がうまい。

いとう そういう人の迫力が好き。みんな。

呂勢太夫 そうですね。だから、昔の人で、力強いタイプでないと言われてる人でも、やっぱりすごいんですよ。最近、テレビで越路太夫師匠の昔の映像を放送したんですよ。私若い頃、その映像の語りを生で聴いてたんですよ、その時は分からなかったんですけど、今見たら、「こんなところに、こんなに力を入れて演奏してるのか」って思いました。昔はただ読んでるだけみたいに聴こえたんですよ。でもね、今聴き直したらね、すごい力を入れておられるんです。

いとう 力を抜いてるとこがないってこと?

呂勢太夫 もちろんあるんですよね。ただ、

いとう 抜くべきところを抜いてるってかな?

呂勢太夫 そう。違う芸系なら、サラッと読むような人もいるんですよ。

いとう ああ、なるほど。

呂勢太夫 でもね、全然違うんです。すごい、

いとう 思いきり行ってるんだ?

呂勢太夫 やってるんですよ。びっくりしました。で、清治師匠にその話をしたら、「そりゃそうだよ。越路さんはいつもそうだったよ」って言われました。

いとう なるほど。聴いてなかっただけだと。

呂勢太夫 分からなかった。本当にね、気づかなかったけど、こんなところにこんな力を入れて語ってたのかなって。

いとう 今度の9月の『夏祭』は誰のをコピーして?

呂勢太夫 私は越路師匠の型で。

いとう 越路師匠のやつをじゃあ聴いて、

呂勢太夫 3回目なんですけどね。

いとう じゃあ今までやってきたのを?

呂勢太夫 でもね、一番最初にやった時に清治師匠に「雰囲気がまるで出てない」って言われました。

いとう 雰囲気が出てない?

呂勢太夫 これ、私も子供の時にこないだの津太夫師匠がやっておられるのを聴いたんですよ。それで、やっぱり出てくる人物がみんな本当に浴衣がけで。夏の暑い時分で浴衣がけなんですよ。僕が語ると分厚い着物を着てて。やっぱそういう雰囲気が……。

いとう 町人の感じね。

呂勢太夫 やっぱり出てくる人物がみんなそういう夏のファッションなんです。それ、ほんとすごいんですそれ。

いとう ああ。

呂勢太夫 何が違うって言われても見えないんですけど。

いとう 雰囲気を出してる。



呂勢太夫 あとは、あれは「極妻」みたいな話なんですけど、

いとう そうそう、「極妻」だし、ギャングスタの話だからね。

呂勢太夫 教育上よくない。あんなん、なんで学生に見せるんだろうってなる芝居ですよね。

いとう そうだよね(笑)。

呂勢太夫 でも、その中に、やっぱそういう雰囲気がね、夏の暑い時分にみんな浴衣がけでお祭りやってて、そこに色んな奴が出てきてって、そういう雰囲気がない。

いとう ヤバさみたいなやつね。

呂勢太夫 だからね、それはすごく悩みますよね。何が違うんだろうって。

いとう そうですよね。

呂勢太夫 って思いますけど。そこなんですよ、でも一番大事なのは。

いとう その感じがいいから芝居になったんだもんね。

呂勢太夫 そうです。あれはやっぱ、その雰囲気がすごい。ドラマなんてとんでもない話だから、あれに共感しろといったって、あんまりできないじゃないですか。

いとう そうそうそう。あれをね、3行でまとめなさいとか言われたらね、もうひどい話で、みんなびっくりしちゃうと思うよ。

呂勢太夫 でしょ?でもあれはね、だから、感動して涙流すっていうような芝居じゃないけども、でも、なんかこう……。

いとう かっこいいんだよね。

呂勢太夫 それです。ヤクザ映画を見終わって劇場から出てくる人がみんなこうやって、ヤクザみたいに肩肘いからして出てくるような(笑)。

いとう そうそう、あれ、あれ、あれなんだよ。

呂勢太夫 ああいうところがないとつまらない。だから難しい。

いとう わかる。

呂勢太夫 なんかお客さんに、こう、「ほら悲しいでしょ~」っていうような方がまだしも、

いとう やりやすいというか?

呂勢太夫 やりやすいでしょう。あと、住太夫師匠に言われたのは、三婦がこう、お経あげていて、そこにチンピラどもが来て、何のかんの言う。すると、「そこにタコがあるよ」とか、「なんまいだ」とかって言いながら、お経を言いながら、応対するところがあるんですけど、そこなんかこう、「落語にもあるやろ。、お経をあげながら会話してるの。ああいう面白い雰囲気を出せ」って。

いとう 面白さが。

呂勢太夫 そうなんですよ。あれはやっぱり趣向ですよね。真面目な顔して「なんまいだ」とか言いながら、「膳棚にタコがある」とかって、そういう。技巧ですよね。中身は別に大した意味なんてないですもん。

いとう まあまあ、そうだけど(笑)。

呂勢太夫 面白いじゃないですか。

いとう 面白いよね。あれは僕も自分で小説っていうか、短編に書きたいと思って、ずっと。だって今、若いギャングスタのいる町とか、ああいう感じ、すごく書きやすいと思うんだよね。それこそラップが鳴り響いてるような町角。だから昔と変わらない、悪さがかっこいい、みたいなとこってずっとあるじゃないですか。

呂勢太夫 でもね、悪い人たちの中でも理屈はある訳なんですよね。

いとう そう、もちろん。意気をね、意気地を通すとかって。

呂勢太夫 そうそうそう。じゃあ何?って言われても分かんないですけどね、そういう義理合の、

いとう 大昔のヤクザですよ、だからね。今のじゃなくて。侠客の世界。

呂勢太夫 そうそう。だから、そういうのは見てる人がワクワクするんじゃないかと思いますよ。

いとう 越路さんの世界はそれを具現化できてたものなんですね。

呂勢太夫 ほんとうまかったですよ。越路師匠と津太夫師匠は全然行き方が違うんですけど、でもやっぱりその登場人物がすごい生き生きしてましたね。

いとう ふーん。それぞれが?

呂勢太夫 釣船の三婦っていう老侠客、そして主人公の団七ももちろんそうですし、こっぱの権、なまの八って、もう端役ですよ、ああいう人でもね、ほんと生き生きとして。

いとう そこを出さなきゃいけない。

呂勢太夫 それがね、やっぱり僕らがやると、なんかちょっと江戸っ子っぽくなっちゃうんですよ。

いとう ああ、しょうがないですね、それは。

呂勢太夫 清治師匠に言われて。「なんか君のを聴いてると「め組の喧嘩」を聴いてるみたいだね」って。

いとう あっはっは(笑)。

呂勢太夫 大坂っぽさがない。

いとう んー、それ言われると困るよな、東京の人間としては。

呂勢太夫 そうなんですよ。それはね、やっぱね、そういう土着の……

いとう 出ちゃいますもんね。

呂勢太夫 それがね、一生の課題。

いとう そうなんですね。生まれを問われる。

呂勢太夫 でもやっぱりね、大阪に住まなきゃいけないっていう理由は分かります。

いとう なるほど。

呂勢太夫 東京に住んでたらね、いきなりやっぱりできない。

いとう できない?特に世話物の演目……。

呂勢太夫 やっぱり大阪に住んで、その大阪のおっちゃんおばちゃんも見て、で、高津神社はこんなとことか。

いとう はいはいはい、そうですね。

呂勢太夫 そういうのを、やっぱりイメージとして持っていないとやっぱりできないです。

いとう 国立文楽劇場独特の雰囲気ありますしね、そもそも。やってるところが。

呂勢太夫 そうですよね。できた時、あそこまで廻りの環境もひどくなかったんですけど。

いとう あはははは。そうなの?!

呂勢太夫 今はもう完全にすごい。

いとう いやぁ、あのやさぐれた感じが俺は大好きだけどな。

呂勢太夫 あれですよ、きっと昔の日本人向けガイドブックだったら、行っちゃいけないエリアって書いてありますよ(笑)。

いとう やっぱり(笑)?

呂勢太夫 「危険地帯。夜は歩かないで」って(笑)。

いとう あはははは。だから芸能がね、生き生きしたんだろうね。

呂勢太夫 ですよね。だからそういう、そこの場所にやっぱり住んでるとかね、絵空事じゃないって。やっぱりちょっと必要ですよね、そういうのってね。


(その4)へつづく

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