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国立劇場

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豊竹呂勢太夫編(その1)



いとうせいこう 一度、呂勢太夫さんにお話を伺いたいと思っていたんですけど、まずは9月の宣伝をと制作の方から言われていまして(笑)。今回は3組、配役が違うんですね。

豊竹呂勢太夫 昔はトリプルキャストもありまして、お互いに励みになったりしたんですけどね。最近はあまりなくて。マニアな方だったら3回来ていただけたらね、本当はうれしいですけど。

いとう もしそうなら最高なんですけどね。

呂勢太夫 ありがたいですね。聴き比べたりとかしてね、楽しめると思うんですよ。

いとう しかも聴き比べが面白そうな面子なんですよね。

呂勢太夫 ええ。教わっている師匠とかによって型が違うので、同じ曲でも全然やり方が違うし、もちろん演者が違うせいもあるんですけど。それを細かく聴き分けるっていうと、かなり通じゃないと聴き分けられない。でも、普通に聴き比べるだけでも面白いと思います。

いとう そうそうそう。でも、とにかく違うんですね、やっぱり?

呂勢太夫 伝承がちょっと違うので、あと型が違うので。とくに世話物のああいうのって、色々あるんですよ。時代物の方が、わりかたカッチリしてるんですよ。

いとう 型が決まっていて、わりと同じ方が多い?

呂勢太夫 そうなんですよ。世話物はね、本当に人によって色々。

いとう それって師匠の解釈が違ってきてて?

呂勢太夫 師匠が誰に習ってたかとか、そういうことも関係あるんですよね。いわゆる「芸系」ってことになるんですけど。例えばA班の私がやらないことをB班の人はやっているとか、そういうこともあるんですよ。

いとう うんうんうん。面白いですよねえ。

呂勢太夫 よく「学校が違う」っていう言い方をするんですけど。

いとう そういうふうに言ってるんだ。

呂勢太夫 習ってきた土台が違うんで。

いとう 呂勢さんはどういう方の?

呂勢太夫 私は越路太夫師匠の系列で、喜左衛門師匠という方がその三味線を弾いておられて、そっちの芸統なんですよ。織太夫さんは綱太夫師匠とかの芸統で、全然また違うんですよ。

いとう そうかそうか。

呂勢太夫 例えば、我々の方がまっすぐに「なんとかでどうとか」ってすっと語るとすると、向こうの人は抑揚を付けて「なんとかで、どうとか」ってちょっと間を空けて様子をするとか。

いとう ああ。

呂勢太夫 我々が「なんとかで、どうとか」って言うと、「そんな風に言うな!」って言われるんですよ。でも、あちらはそれをやる。そういう語り方一つでも、全然違うんですよね。



いとう でも、僕の印象だと呂勢さんは昔から、ピッチがまず安定してて、その中でビブラートがすごく多くて、震わせながら、ねっとり語ってる感じがしてました。伊達さんとかそんな感じだったような。そういう音色が継承とかじゃないんですか?

呂勢太夫 技巧的なことをそのまま見せる人もいますけど、私らの師匠っていうのはあんまり技巧的な感じを打ち出すほうではない。

いとう 越路さんはそうですね。

呂勢太夫 技巧もあるんですけど、何ていうか、それをそのまま見せるのを避けるというか。

いとう うんうんうん。

呂勢太夫 普通に、素朴にやっているようで、よく聴くとすごい技巧が、っていうのが好きで。

いとう それ、東風、西風とかいうやつですか?

呂勢太夫 それじゃないです。

いとう まったく別なもの?

呂勢太夫 文楽系、彦六系。どっちかっていうとそういうのと関係あるんですけども、そういう訳だけでもなく、芸の好き嫌いですよね。わりかた素朴に語ってるように聴かしていて、実はすごい、っていうのが、

いとう その「すごい」とこ、どんなとこなんですか?

呂勢太夫 例えばですね、本当にね、私も分からなかったんですけど、若いうちは。お稽古していただいて、何十年もやってきて、ようやくそういうことが分かったんですけど、例えばセリフの部分、義太夫節では「詞」というのですけどね、そういうところでも本当に計算し尽くされてるんですよ。言葉の高さとか、テンポとか。そういうテンポとかってこと、若い時ってあんまり分からないんです。結構、棒読みしちゃう。同じテンポでいっちゃうんです。それを、清治師匠にも教わったんですけど、「よく聴け!」と。それで聴くと、本当に微妙にフレーズごとにそういうのが変わってるんです。

いとう ええ、そうなんだ。つまり譜割ってことですか?

呂勢太夫 例えば一定のテンポで「なんとかで、かんとかで」って言っているように聴こえるんですけど、絶対言ってないんですよ。「なんとかで、かんとかで」とかそういうふうに(「かんとか」が少しだけ速い)。

いとう 詰まってるんだ。

呂勢太夫 運びがあるんですよ。それを絶対やってるんですね。よく言われるのは、ゆっくり言ったら次早く言う、とかっていう約束があるんですね。高く言ったら低く言うとか。そういうのをサラッとやるというか。

いとう 軽い範囲でやってみせて、

呂勢太夫 「やってます」っていうんじゃなくて、それがオブラートに包まれているから分からないんですよ、若い頃って。でも、勉強して「ここ聴け」って言われて聴くと、「すごいな」って。強弱とかもね、あるんですけど。

いとう 飽きが来ないように、もう全部違う。

呂勢太夫 それがもう本当に計算され尽くしているんですよね。若い時って、そういうとこって聴きとれないんですよ。

いとう うんうん。

呂勢太夫 「ここだ!」と思って真似してるところって、欠点のとことか、悪いとことかね。本当のいいとこって、なかなか取れないんですよね。

いとう それって何年くらいで何となく分かってくるというか、気にするというか。

呂勢太夫 それはね、50歳過ぎてやっと。それはあとね、やっぱり指導していただかないと。

いとう 50!(笑)。なるほどね。

呂勢太夫 「こういうところ聴きなさい」っていうのをね、とくに清治師匠に教えていただいたんですよ。

いとう 清治さんと組んでのこの何年かですね。

呂勢太夫 本当に清治師匠に一番感謝しているのは、勉強の仕方っていうのを教えていただいたことなんですよ。もちろん、最初は自分で勉強していくんですけど、例えばですけど、テープを聴いて、私はこれを四角いものだと思って、四角く作っていく訳ですね。で、清治師匠の稽古に行くと、「何聴いてんだ!三角だよ」って言われる訳ですよ。でも四角だったのに……と思うわけですよね。でも家に帰って聴き直すと、三角。

いとう そうなのか。その域になると、まるでわからないけど(笑)。

呂勢太夫 でも自分はね、最初に聴いたときは、本当に四角だと思った。でも、言われて、指摘されて聴き直すと、三角。

いとう なるほどなあ。



呂勢太夫 そういうことね、多々あるんですよ。そういうのをね、たくさん教わりました。一番つらいのは、稽古してると清治師匠が「そんなはずない、おかしい。一緒にテープ聴こう」って、越路師匠のテープを稽古場で再生するんです。で、聴いて、色々説明していただいて、「ほらほら、ここは君一緒だけど、全然違うじゃないか」とか、「ここはこう大きく出てはるけど、ここは小さく出てるやないか」とか、そういうポイントを説明していただける訳です。そう言われてからテープを聴くようになると色々発見できるようになると。もうそういうことの連続です。

いとう 聴きとれるようになる?

呂勢太夫 そうなんです。それまではね、やっぱりそういうところに気づけず……大雑把にしか見えないんですよね。

いとう うんうんうん。

呂勢太夫 それか、重箱の隅しか見てなくて分かってない。全体が長方形なのに、ここしか見てなくて、「正方形だ」って思ってたんです。

いとう (正方形というふうに)やってみせてたけど、みたいな。

呂勢太夫 そうなんです。そういうのを教えてもらいましたね。

いとう 確かに視覚だったら活字がちょっとでも大きければ分かるけど、

呂勢太夫 そうです、そうです。

いとう 聴覚は分かりづらいっていうか、思い込みで違うふうに聴いちゃうバイアスがかかりますよね。

呂勢太夫 ほとんどそれなんです。よく我々の間で「取り違え」って言われるんですけど、

いとう 「取り違え」って言うんだ?

呂勢太夫 「それ取り違えだ、君の」って言われるんですけど、そうなんですよね。やっぱり、人から指摘されるっていうのが非常に大事なんですよね。何て言うんですかね、我々の稽古って、謂わば映画監督が演出つけたりするようなものなんですよね。

いとう うんうんうん。

呂勢太夫 それって、すごい俳優さんでも、映画監督とかが演技の注文出したりとか、演出するじゃないですか。それと同じなんで、何て言うか、怒られてるとか、直されてると思うと、それが苦痛になるんですけども、要はそういう演出をつけてくれてる。「なんか君の言い方じゃ距離感がないよね」とか、「この人物のアレが出てないよね」とか「この人物の表現が足りないよ」とか、そういうことをね、言われるんです。

いとう そこそこ。今の一番最初の話は譜割の話だったから、ちょっと音楽寄りじゃないですか。

呂勢太夫 はい。

いとう で、今の話は人物描写の話じゃないですか。芝居としてということも、ものすごく細かく、要するにセリフごとに実はちゃんと人物が描けるように出来ている、っていう風に読んでくんでしょ?

呂勢太夫 そうそうそう。よく私が一番怒られるのは、「本読みが足りない」っていうことなんですね。

いとう ああ。

呂勢太夫 それがまあその、上っ面じゃなくて、もっと何遍も読んで、本の裏の裏まで読むように、って言われるんですけどね。そうすると、人物を掘り下げられるっていうことなんですけど、それって結構やっぱり難しいんですね。

いとう もちろんもちろん。

呂勢太夫 一年生のうちはそれでいい、大きな声で元気よくやっていればいいんですけど、何年もやっているとそれじゃ通用しませんし、その辺のところに演者の人生経験とか、そういうプラスアルファが加わる、っていうことなんですよね。

いとう それはやっぱりお稽古でも言ってみるし、自分の中でもずっとお稽古がある訳でしょ? こう言ったら……いや違うな、こういう言い方かな、って。

呂勢太夫 結局古典なんで、形はなぞってる訳ですよね。オリジナルってないんですよね。なぞっているのも、意味が分かんなくてなぞっているのと、意味をちゃんと自分で分かってなぞっているのとの差ですよね。

いとう うんうん。

呂勢太夫 オリジナルって、ダメなんですよ、一番それが。「自分流」ってよく怒られるんですけど、「それは君の自分流だ」って言われるんですよね。多分信じられないと思うんですけど、清治師匠はあんな大名人ですけど、必ず過去の演奏を取り寄せるんですよ。それを自分で聴くんです。

いとう そうなんですね。

呂勢太夫 自分勝手には絶対やらないんですよ。初めての役でも、先輩のお手本のテープを取り寄せて、すごく聴くんです。

いとう ふむ。

呂勢太夫 清治師匠くらいになると、楽譜もあるし、「自分流」でやることもできるのに。

いとう 確かに確かに。

呂勢太夫 違うんです。完コピーをまずするんです。私も一番最初に三味線を弾いていただくことになった時に、「完コピーしてこい」って言われました。画家でもね、何でもまずは模写だろと。

いとう そうそう、ピカソでもね。

呂勢太夫 自分勝手にやっちゃだめ、模写、完コピーをしてこいと。完コピーなんかできないですよ、できないけど完コピーをしてこいと。それをすごく言われました。

いとう へえ。

呂勢太夫 だから「全然違う!」って何遍も言われましたよ。

いとう いくつになってもそういう、ものすごい大きな課題がずっとあるんですね。

呂勢太夫 そうですね。レベルは変わってきますよ、課題のレベルがね。若い時は例えば節を覚えるとか、大きな声出すとかっていう、そういう課題ですよね。年取ってくると、やっぱり中身のことですよね。自分では分かってない、気づけてないことを言われて勉強するって、本当にね、めちゃめちゃ難しいですよね。

(その2)へつづく

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