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【5月文楽】好評上演中、27日(月)まで!(舞台写真あり)

北千住のシアター1010にて開催中の5月文楽公演が9日(木)に初日を迎えました。
十一代目豊竹若太夫の大名跡の襲名披露や約5年ぶりの二部制でお届けする長編の上演など、どちらの部も見逃せません。
シアター1010は北千住駅直結の商業施設マルイの中にあり、お買い物やお食事などお出かけのご予定と一緒に、文楽の魅力をご堪能いただけます。
舞台写真とともに、みどころをご紹介いたします。


ホワイエの幟と襲名飾りの様子

【Aプロ】
『寿柱立万歳』(ことぶきはしらだてまんざい)
幕開きは楽しい『寿柱立万歳』。大正4年(1915)10月、御霊文楽座『仮名手本忠臣蔵』八段目「道行旅路の嫁入」の一場面として初演されました。家屋を建てる際に初めて柱を立てる儀式である“柱立”を題材とした常磐津『乗合船恵方万歳』を義太夫節に移した作品で、太夫と才三が小鼓と扇を手に柱立を披露し、家々の繁栄を祈りつつ、賑やかに舞います。襲名披露の幕開きにふさわしくおめでたい一幕です。


『寿柱立万歳』

 

豊竹呂太夫改め十一代目豊竹若太夫襲名披露口上
新・若太夫を中心にゆかりの技芸員が舞台に並び、豊竹呂勢太夫の進行で、三業を代表して竹本錣太夫、竹澤團七、桐竹勘十郎がお祝いの言葉を述べます。襲名などの節目の時しか見られない口上をぜひ劇場でご覧ください。


「豊竹呂太夫改め十一代目豊竹若太夫襲名披露口上」

 

襲名披露狂言『和田合戦女舞鶴』(わだかっせんおんなまいづる)

十八世紀初めに竹本座とともに今日の文楽の礎を築いた豊竹座の祖として活躍した初代豊竹若太夫。
昭和前期に豪快な語り口で知られた十代目豊竹若太夫の孫が、このたび十一代目を襲名しました。初代が初演し、十代目も襲名披露狂言とした『和田合戦女舞鶴』に十一代目豊竹若太夫が挑みます。

今回の上演部分は、鎌倉幕府三代将軍源実朝の時代において、北条氏が和田氏を滅ぼした和田合戦の勃発を、未然に防ごうと働く人々の悲劇を描く五段の物語の三段目に当たります。

〈市若初陣の段〉
将軍実朝の妹斎姫を討った荏柄平太の妻綱手と息子の公暁丸は、実朝の母尼公(北条政子)の館に匿われています。その館を守る武道に秀でた女武者板額は、抜け駆けした息子の市若丸と再会します。凛々しい武者姿の市若丸ですが、見ると兜の忍びの緒が解けており、「母様に結んでもらえ」と父与市に言われたようでした。板額が結んでやろうとすると、緒が切れてしまいます。


『和田合戦女舞鶴』市若初陣の段

我が子に手柄を立てさせたい板額は、綱手と公暁丸を伴って現れた尼公に公暁丸を討つことを迫ります。尼公は板額に、公暁丸こそ頼家の忘れ形見で、実朝の後継者にするために平太夫婦の子として密かに育てさせていたことを打ち明けます。板額は、兜の緒がわざと切れるようにした市若丸を差し向け、公暁丸の身代わりにするという夫与市のはかりごとを知るのです。


『和田合戦女舞鶴』市若初陣の段

尼公に公暁丸の命を助けるよう懇願された板額は、市若丸が実は平太の子で、平太が市若丸を取り返しに来たと市若丸に思い込ませます。自分が主殺しの子と聞いた市若丸は、武士として誇り高い最期を遂げようとするのですが……。一人の女性として選択を迫られる板額の姿、そして市若丸を称えて人々が見送る場面は必見です。


『和田合戦女舞鶴』市若初陣の段

 

『近頃河原の達引』(ちかごろかわらのたてひき)
歌祭文や歌舞伎などで一般に流布していたおしゅん・伝兵衛の心中事件に、実際の出来事を絡めて脚色した作品。今回上演する「堀川猿廻しの段」は、世話物の名曲として知られています。34年ぶりの上演となる「道行涙の編笠」は、昭和57年(1982)9月、竹澤團七の作曲により国立劇場で復活されました。

〈堀川猿廻しの段〉
祇園の遊女おしゅんと恋仲である道具屋の井筒屋伝兵衛は、自分を陥れようとした武士を殺めてしまい、詮議の手が迫っています。猿廻しを生業にするおしゅんの兄与次郎と目の不自由な老いた母は、おしゅんが心中するつもりではないかと案じて、思い切らせるためおしゅんに離縁状を書かせました。


『近頃河原の達引』堀川猿廻しの段

夜が更け、おしゅんのもとに忍んで来た伝兵衛が合図の咳払いをすると、それを聞いたおしゅんは戸を開けます。二人の声に目を覚まして慌てた与次郎は、伝兵衛を家の中に入れ、妹を外へ閉め出してしまいました。明かりを点けると、おしゅんではなく伝兵衛がいることに驚く与次郎と母。


『近頃河原の達引』堀川猿廻しの段

与次郎は妹に書かせた離縁状を伝兵衛に渡します。伝兵衛が手紙を読んでみると、死の覚悟が記された書き置き(遺書)でした。おしゅんの心情を知った母は、これまで世話になった伝兵衛への義理を立てるのがよいと、娘を伝兵衛に託して逃げるよう頼みます。与次郎は人目を避けるための編笠を二人に与え、猿廻しの芸で門出を祝うのでした。


『近頃河原の達引』堀川猿廻しの段

〈道行涙の編笠〉
猿廻しの姿となって人目を忍ぶおしゅんと伝兵衛。身の不運を嘆きながら、死出の歩みを進めていきます。美しくも哀切な調べをご堪能ください。


『近頃河原の達引』道行涙の編笠

◆◆◆

【Bプロ】
『ひらかな盛衰記』(ひらがなせいすいき)
木曾義仲の敗北とその残党の後日譚と、「宇治川先陣争い」、「箙の梅」で知られる風流武士・梶原源太景季のエピソードを二つの柱とする時代物浄瑠璃です。今回は初段、二段目、三段目からの上演で義仲の出陣から、敗死した義仲の妻子たちの流浪、献身的な忠臣たちの苦闘を描きます。昭和63年以来長らく上演が途絶えていた「楊枝屋の段」を加え、半蔵門の国立劇場でもコロナ禍の影響で実現出来なかった物語の醍醐味にしっかりと触れることのできる、本格的な上演をご堪能ください。

〈義仲館の段〉
正室の山吹御前、一子の駒若君、腰元のお筆が待つ館へ沈痛な面持ちで帰還した木曾義仲。朝敵とみなされた義仲は、源義経率いる鎌倉勢の攻撃を受けたことを語りました。


『ひらかな盛衰記』義仲館の段

そこへ、愛妾の巴御前から義仲勢が敗れたとの知らせが届きます。お筆に山吹御前と駒若君を託して、義仲は巴御前とともに再び戦場へ向かいました。


『ひらかな盛衰記』義仲館の段

〈楊枝屋の段〉
粟津での戦で義仲は敗死。山吹御前一行は、お筆の父・鎌田隼人の貧家に身を隠しています。実は、隼人は源氏系譜の武士で、源氏への帰参の機会をうかがっていたのです。
そこへ鎌倉方が押し寄せます。隼人の機転で、手飼の猿を若君の身代わりにして切り抜けました。


『ひらかな盛衰記』楊枝屋の段

〈大津宿屋の段〉
山吹御前一行は大津の宿屋で、順礼の船頭権四郎一家と知り合います。権四郎は娘およしと孫の槌松とともに、三年前に亡くなったおよしの先夫の菩提を弔う西国順礼をしに来ていたのです。


『ひらかな盛衰記』大津宿屋の段

夜中に駒若君と槌松が目覚めて遊んでいると、はずみで行灯の灯が消えて暗闇になってしまいます。そこへ落人狩りの武士が襲いかかってきました。


『ひらかな盛衰記』大津宿屋の段

〈笹引の段〉
混乱の中、お筆が追い払うも、隼人は忠太に討たれ、山吹御前が抱く若君も無残に殺されてしまいました。しかしなんと、殺された子供は駒若君と取り違えられた権四郎の孫槌松だったのです。動揺した山吹御前は衰弱も相まってその場で息絶えてしまいます。


『ひらかな盛衰記』笹引の段

ひとり残された傷心のお筆は、主人と親の敵を討つ決意を胸に、山吹御前の亡骸を笹に乗せて引いていくのでした。


『ひらかな盛衰記』笹引の段

〈松右衛門内の段〉
一方、権四郎たちは取り違えた駒若君を槌松と呼んで大切に育てていました。そこへお筆が訪ねてきて、槌松の最期を伝え、駒若君を戻すよう申し入れます。


『ひらかな盛衰記』松右衛門内の段

すると、婿の松右衛門が駒若君を抱いて姿を現しました。この子供こそ実は義仲の若君、自分は義仲の家臣、樋口次郎兼光であり、主君を討った義経に復讐する機会を窺っていたのだと語ります。孫を殺されて怒る権四郎に、武士道を立てさせてほしいと説く樋口。お筆は駒若君を樋口に託し、父の敵討ちのために旅立っていきました。


『ひらかな盛衰記』松右衛門内の段

〈逆櫓の段〉
樋口は船頭たちに逆櫓(すぐに後進できるように前方にも櫓を取り付けること)の稽古を始めます。すると突然、船頭たちが襲いかかってきました。樋口は権四郎に裏切られたと憤ります。しかし実は、権四郎も駒若丸を救済すべく一計を案じていたのです。戦乱に打ち続く悲劇に義理と情とが絡む美しい人間ドラマが光る、源平合戦を舞台にした時代物の名作の本格上演をお楽しみください。


『ひらかな盛衰記』逆櫓の段

◆◆◆

5月文楽公演は27日(月)まで!

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※残席がある場合のみ、シアター1010にて当日券の販売も行っています。

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