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国立劇場

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【BUNRAKU 1st SESSION】 開幕直前! 映像制作を振り返って【前編】
「男鹿さんが引き受けてくれるかどうかが最大の山場だった」


3月23日(土)より、有楽町よみうりホールにて開催いたします、文楽入門「BUNRAKU 1st SESSION」
文楽の背景を、アニメーション美術の技法を取り入れ映像を制作し、スクリーンに投影、その動く背景の前で人形遣いが道行の場面を演じるという、文楽とアニメーションの背景とのコラボレーション公演です。
背景美術を担当するのは、日本のアニメ界を代表する美術監督である男鹿和雄氏。
1972年からアニメの背景を描き始め、『はだしのゲン』『となりのトトロ』『おもひでぽろぽろ』『平成狸合戦ぽんぽこ』『かぐや姫の物語』などの美術監督をつとめました。近年でも、『サマーウォーズ』『この世界の片隅に』『君たちはどう生きるか』『窓際のトットちゃん』などの作品で背景を描いています。
国立劇場の新しい挑戦でもある本公演も、いよいよ開幕が近づいてまいりました。
今回は、映像制作の山田晋平氏、映像制作協力のでほぎゃらりーの取締役小林毅氏、そして本公演のプロデューサーである神田竜浩の三人が、本企画の要でもある背景の映像の制作過程を振り返ります。 (第1回/全2回)

◆◆◆


◇男鹿さんが引き受けてくれるかどうかが最大の山場だった

神田竜浩(以下、神田)
今回、どのように背景の映像を作ってきたのか、まだ最終的な完成はこれからですが、公演に先駆けて映像の制作過程を振り返っていきたいと思います。
最初に私が、男鹿さんに原画のお願いをして断られたのが昨年(2023年)の5月末でした。
男鹿さんにお願いするにあたって、でほぎゃらりーのホームページに問い合わせをして、 一度男鹿さんと話して、「一人で受けられるような仕事ではなさそうです」と。

小林毅(以下、小林)
大きなプロジェクトですし、その時点ではどのような絵が何枚必要になるかも判断できませんでしたので、一人で受けるには荷が重すぎるというお話でした。ただ、興味は持たれていたんです。絵を描くこと以外の部分はこちらで引き受けることもできますし、じゃあ、でほぎゃらりーを含めて話をしてみようということになりました。
アニメーションの背景美術は、絵コンテやレイアウト、つまり、演出の具体的な指示がある発注書があった上で、これを描いてくださいという仕事なんです。演出分野は我々の範疇ではないので、どなたか映像演出の方に立っていただかないと成立しないのではないですかとお話ししました。その後に、山田(晋平)さんが映像制作に立つことになり、具体的に進行していったという経緯です。

神田
山田さんところにもホームページから問い合わせをしたような気がしますけど。それが6月。

山田晋平(以下、山田)
そうです。はい。

神田
それで、確か7月に山田さんと一緒に伺ったんですよね。

山田
それまでに、何回か打ち合わせをしてます。大阪に行って桐竹勘十郎さんに会ったりしてるんですよ。

神田
そうでした。文楽鑑賞教室の千穐楽の日でした。

山田
それで、7月27日にでほぎゃらりーに伺って、そこで小林さんに初めてお会いしました。とにかく、ここまでの間に、さっきおっしゃっていた、いわゆる絵コンテを作る必要があった。それで確かざっくりした資料を作って、大阪に行ったときに勘十郎さんに見せてるんです。その時に、「シーンは3つか4つぐらいだね」ということになって、その絵コンテを持ってでほぎゃらりーに話に行きました。
文楽で背景のスクリーンに映像を映すっていう演出をする時に、大道具でできることを単に映像でやるだけだと、単純に貧乏臭くなってしまう。大道具の方がお金はかかるし、人力でやる贅沢さと迫力がありますから。
だから、映像でしかできない動きを考えるというのが、僕にとっての最初のタスクでした。その動きの箇所以外は、できるだけシンプルに絵コンテを作りました。

神田
できるだけシンプルというのは、こちらとしてもお願いしたかったところでした。アーティストの方の映像に文楽が負けてしまう舞台を何回も見たことがあったんですが、今回そうならないようにしたかった。映像が文楽に寄り添っていてくれるという、そういうオーダーをしたかった。先日送っていただいた最新のバージョンの映像を見せていただきましたが、男鹿さんの原画もそれを元に作られた映像も非常に進化してきていて、勘十郎もとても感動していましたけど、ようやくここまで来たなって、あの絵を見た時は感慨がひとしおでした。

山田
実は、去年の7月に絵コンテを持って行って、小林さんにお会いして、「男鹿さんは、多分お受けしてくださると思いますよ」っておっしゃっていただいた時に、もう僕、その段階で打ち上げしたいぐらいの気持ちだったんです。第一のハードルがそこだった。
だって、僕の絵コンテ見て、これはちょっとやりたくないなって思われたら、もうこの企画全部おしまいみたいな感じだったんで、とにかくそこが上手くいってよかったなっていう気分でした。

神田
確かにあの日が山場だったかもしれないですね。


◇「植生はどうなっていますか?」

神田
今回、男鹿さんやでほぎゃらりーには、色々と無茶なオーダーもお願いしたかと思うのですが。

小林
劇場用アニメーションよりも紙のサイズが大きく、また、アニメの背景よりもしっかりと描き込む絵でしたので普段の作業よりは幾分、大変だった部分もあるかもしれませんが、まったく勝手が違うようなことではなく楽しんで描かれたようです。

神田
男鹿さんの最初の下絵を見た時に感動したんです。舞台の道具帖って言われる絵とまた違うタッチで、それでいて何というか馴染むタッチで出していただいて、非常にこれはいいものになるっていう予感がしました。
男鹿さんは近松の原作を読まれていて、「ここの意味を教えてください」と電話されてきて、私がそれにお答えしてという電話のやり取りを何度かしたんです。描くために、ここまでその状況とか、イメージをきちんと立ち上げて作業されてることに、非常に感動しました。
舞台の大道具の背景は、前回の舞台を基に描いている、0から立ち上げていくことはあまりないもんですから、原作を読み直してもう1回解釈し直すようなことってのは最近していなかった。それを男鹿さんはちゃんと本読み込んで、「植生はどうでしょうか」とか、「天神の森にはどういった木が生えているのでしょうか」とか、男鹿さんと具体的な話をしたことが非常に良かった。
ただ、現在の天神の森なんて、その風景は何も残ってない。もう森ですらない。だから何と答えたらいいのかということはあったんですけれども、最終的には男鹿さんに「お初と徳兵衛が死ぬのにふさわしい場所を描いてください」ってお願いをして、描いていただいた。

山田
僕は逆に、「男鹿さんは、植生とかきっと考えられるんだろうな」と思ってました。で、その辺は神田さんがドラマツルグのように、知識をちゃんと与えてくださるだろうという気がしていたので、そこはお任せできるだろうと、絵コンテの段階では、そこはあんまり考えてなかったんです。
そもそも、僕は絵が描けないんです。僕が出したものは、実は絵じゃなくて写真のコラージュ。いっぱい森の写真集を借りてきて、見て、この森がふさわしいんじゃないかみたいなイメージを僕はどんどん作る。それは、例えば、手前が暗くて少し奥が明るく、また奥が暗くなったとか、光の状態とか、空はどれくらい見えるのかとか、その辺りの画面のレイアウトにはこだわったんです。で、花があるといいなと思ったのも、その写真集を見ながら、この木の花が良さそうだと考えて、それをお伝えした。それをお渡ししたら、そこがどういう場所なのかとか、歴史的なこととか、色々と情報を付け加えて、深めていってくださったという感じです。

神田
曽根崎が当時どういう場所だったかって結構調べたんですよ。お初徳兵衛の心中事件って、曽根崎新地っていう花街ができる1年前なんですね。つまり、色街がまだなかった時代、でき始めたような頃だと思うんです。だから、今回男鹿さんが描いてくださったような、ほんの少し家がある感じが意外と歴史的には正しいのかもしれない。100年後には、曽根崎はものすごい遊郭が並ぶ大阪一番の歓楽街になったんですけど、当時は意外と寂しいところだったみたいです。

山田
そういう風に、歴史的なことや、リアルなことをちゃんと研究して描くっていうのは、通常やられてることなんですか。

小林
はい。作劇なのでフィクションといえばそうなのですが、知っていて嘘をつくのと、何にも知らないで作るのとでは違うと考えている人が多い。演出上の価値が勝って実際に変えてしまうことはありますけど、結構調べますね。中でも、男鹿さんはすごく勉強熱心な方です。

後編 へつづく>

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3月文楽入門「BUNRAKU 1st SESSION」は23日(土)から!

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