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【8月舞踊公演「舞踊名作集Ⅲ」特別インタビュー】 井上八千代
「再開場した時に、また舞わせていただけることを願って」
井上八千代
大規模な改修工事のため、今年の10月末で一時閉場する初代国立劇場。
閉場に向けて「初代国立劇場さよなら特別公演」と題して、様々なジャンルで、その集大成ともいえる公演を開催いたします。
初代国立劇場主催最後の舞踊公演『舞踊名作集Ⅲ』が、8月11日(金・祝)に国立劇場・大劇場にて上演いたします。1966年の開場以来、昭和―平成-令和と初代国立劇場とともに時代を歩んできた日本舞踊界。現在の日本舞踊を支える第一人者たちが揃い、国立劇場の檜舞台で舞い納めます。
本公演にて大トリをつとめる京舞井上流家元の井上八千代に、本公演の魅力と意気込みについて伺いました。
―「舞踊名作集Ⅲ」は、国立劇場の主催公演としては最後の舞踊公演となります。その中でも大トリをつとめていただくわけですが、「尾上雲賤機帯」を選んだ理由を聞かせてください。
井上八千代(以下、井上) : 師匠である祖母(四世井上八千代)が振りをつけた作品の中で、あまり出ませんが、この一中節の「賤機帯」は、井上流に合っていると思います。大阪の国立文楽劇場でやらせていただいたのがもう20年近く前でして、以来おきざりでしたが、一度東京の国立劇場でもさせていただきたいという思いがやはり大きかった。
ただ、師匠は自分の作ったものに関してはあんまり執着がない人でして、「賤機帯」については、何にも話を聞いていないんです。
前回、文楽劇場でやらせていただいたのは、師匠を亡くしました年でして、自分が見知ったものをできる限り自分で考えながら舞っていくという体制をとりつつあったときでした。
この「賤機帯」は親世代の先輩である井上かづ子さんに教えていただきました。また、今回も三太郎を演じますが、私の弟子の井上葉子には、やはり先輩の井上政枝さんに指導をお願いしました。そうして舞台にかけたんです。
というのも、この二人の先輩が私の会で「賤機帯」を舞ってくださったことがあって、それが大変良かったもので、私の指針となっているのはその時の舞台なんです。今回もそれを踏襲してやらせていただきたいと思っております。
平成16年(2004)10月 国立文楽劇場 『名流舞踊鑑賞会』一中節「尾上雲賤機帯」
狂女:井上八千代
―「尾上雲賤機帯」の作品について、魅力や見どころを教えてください。
井上 : 一中節の「尾上雲賤機帯」は、狂女が大磯の遊女だった八雲という女性でして、題名もその名に懸けてあるんですけれども、廓勤めをしていたという描写は井上流の舞にはないんです。そのあたりは割とうまくカットしてあります。これは当時一中節の師匠だった宇治紫友さんの発想だと思います。のちに宇治倭文になられた方です。
想像ではありますが、師匠はこの作品を作るときに長唄の「賤機帯」をあまり参考にしなかったのではないか。それよりもむしろ能の「隅田川」に馴染みがあったのではないでしょうか。恐らく、都から隅田川へやってきた女という設定で作っていると思います。母親が手を取ると子供が消え去ってしまうというような振りを狂女と三太郎がするところがあるんですが、能の「隅田川」のイメージだなと感じております。
三太郎と舞う件で、古曲の匂いのする部分などに男の狂乱物ですが「三つ面椀久」の振りが取り入れられております。
「一代教主の釈迦牟尼如来の説法なんどは……」という、三太郎と二人で舞うところがありますが、ここが風狂のところです。狂女については、子を探す母の思いしかない。むしろ三太郎が難しいんです。
私は若いころにこの三太郎をやりたいと憧れておりましたが、結局三太郎は当たらなかった。狂女という普通の状態ではない人と、三太郎というごくごく普通の当たり前の男。ただ見ている存在みたいなことですから、難しい役だと思うんです。前回やったときは、とても若い時分に葉子はよくやったと思います。それからまた経験を積んできて、今それをどう活かせるかということ。普通の人がいてこそ、活きる狂女です。お互いがいないとやれない舞ですから。
一中節ですから古風な味わいがあり、井上流にしてはストーリー性のある舞ですので、楽しんでいただけると思います。
平成16年(2004)10月 国立文楽劇場 『名流舞踊鑑賞会』一中節「尾上雲賤機帯」
(右)狂女:井上八千代 (左)三太郎:井上葉子
―普段は座敷舞の地唄の曲でご出演されることが多い中で、今回のような曲とは身体の使い方の違いなどはあるのでしょうか。
井上 : たとえば地唄の「葵上」と長唄の「葵上」だったら完璧に身体の使い方が変わります。同じ役どころで、文言まで一緒でも。ただ「賤機帯」は狂女ですから、ものすごく身体をくねったりもせず、生々しくなりすぎないという点が、私の日頃のやり方の舞には合っているのかなと思います。ただ、子を失った母が隅田川にやってくるという設定をご理解いただき、御覧いただきたいです。
―閉場を間近に控えた初代国立劇場への思いはいかがでしょうか。
井上 : 国立劇場ができた頃から、舞踊の方々が国立劇場で踊りたいと願われ、主催公演の他に、ある時代には多くの舞踊家が自身の会や、流派、門人のおさらい会なども開催され、下支えをしてきたということもあると思います。
今、国立劇場がなくなるということは本当に舞踊家の方々にとってはどうしたらいいか。特に東京を中心とした関東圏の方々は困っておられますよね。それぐらいに国立劇場は使いやすかった。大きな会をする時には大劇場で、自分のリサイタルは小劇場でと、目標にして来られた方が多い。
私もホームグラウンドである祇園の歌舞練場が閉まっている間は、とても寂しかったんです。南座も、同時に閉まってた時がある。その時期は、京都は本当に繁華街が寂しかった。だから、劇場が閉まることは大きなことだと思います。
―最後に、初代国立劇場の閉場前最後の舞踊公演のラストを飾っていただくことになりますが、心境はいかがでしょうか。
井上 : 大変光栄なことであり、又正直プレッシャーを感じております。でも、再開場した時に、また舞わせていただけることを願って、そして「初代国立劇場の最後の舞踊の会を見たよ」ということを、皆さまの心に持ってもらえるような舞台を目指したいと思っております。
―ありがとうございました。
いよいよ間近に迫った初代国立劇場最後の舞踊公演「舞踊名作集Ⅲ」。
ぜひともお見逃しなく!
<プロフィール>
井上八千代
(いのうえ・やちよ)
京舞井上流五世家元。観世流能楽師片山幽雪(九世片山九郎右衛門)の長女として京都に生まれる。祖母井上愛子(四世井上八千代)に師事。昭和34年井上流入門。昭和45年井上流名取となる。
昭和50年学校法人「八坂女紅場学園」(祇園女子技芸学校)の舞踊科教師になる。
平成11年芸術選奨文部大臣賞、日本芸術院賞を受賞。
平成12年五世井上八千代を襲名。
平成25年紫綬褒章を受章、同年日本芸術院会員となる。
平成27年重要無形文化財各個指定(人間国宝)に認定。
平成30年フランス共和国芸術文化勲章「シュバリエ」を受賞。
【公演情報】
8月舞踊公演「舞踊名作集Ⅲ」 公演の詳細はこちらから
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