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【6月邦楽公演「現代邦楽名曲選」特別インタビュー】 吉村七重(箏曲家)
「方法論が変わっても、演奏家の基本は変わらない」
吉村七重
―いつ頃、箏曲を始められましたか。
1956年11月《ワンワンニャオニャオ》
(左から、野坂恵子、吉村七重 ほか)
吉村七重(以下、吉村) : 幼少より母の手ほどきで箏を弾いておりました。母が初代野坂操壽門下でしたので、私も中学生になるときに初代野坂操壽先生、野坂恵子先生に師事するようになります。私と恵子先生はちょうど一回り違うので、幼いころから「ななちゃん」と呼んで可愛がってくださいました。
写真の記録によれば、なんと 1956 年 11 月《ワンワンニャオニャオ》で、一緒の舞台に立っているのです。この頃私はまだ 6 歳。箏を演奏しているのが野坂恵子先生、左側で歌っている小さい女の子が私です。その後は古典を中心に十三絃箏を演奏し16 歳で師範免許をお許し頂きました。
1971年、20歳のときに1度目の転機が訪れます。1969年に十三絃箏の限界を感じた野坂恵子と作曲家・三木稔によって作られた二十絃箏との出会いです。箏の持つ幅の広い音域にふさわしい質感で力強い演奏をする恵子先生の姿に大きな魅力を感じ、私も挑戦したいと思いました。
思えば、現代の音楽への可能性に満ち溢れているこの楽器と巡り合ったことで、無意識にプロの奏者への決心が固まったと言えるのかもしれません。
―その後はどうなさいましたか。
1981年ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
200周年記念コンサート *リハーサル
《急の曲 Symphony for Two Worlds》三木稔作曲
吉村 : 1972 年に日本音楽集団に加入しました。当時、恵子先生も入っていらっしゃいましたから、ごく自然な成り行きですね。加入するとすぐ海外遠征、40日間7ケ国 17 都市の公演に参加しました。集団にとっても、私にとっても初めての異文化体験の中での演奏旅行。新鮮でもあり、大変でもありました。
その後は、日本で定期公演を重ねながら毎年のように海外公演(三木稔プロデュース)へ行くようになりました。ヨーロッパを中心に、アジア、アメリカ、オセアニアなど世界中巡りました。大変でしたが楽しかったです。
なかでも、想い出に残っているのが、1978年NYカーネギーホールでの公演、1981年当時の東ドイツのクルト・マズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団200 周年記念コンサートに際して、新ホール落成記念委嘱作品三木稔作曲《急の曲 Symphony for Two Worlds》での演奏です。あのオーケストラの黄金時代に、本当に素晴らしい演奏体験ができたように感じております。
1984年海外公演で
吉村 : アンサンブルというのは、特別な技量を持つ個人の集まりだけでは出来ません。やはりチームとしての団結力というか、全体のまとまりが大切です。この頃の音楽集団は旅の経費節減のため重量を軽くしようと譜面台無し、暗譜での演奏に臨んでおりました。そのため練習がたくさんあり、メンバーの結束も固かった。本当に充実した時代を過ごせたと思います。
―日本音楽集団以外のご活動はいかがでしたでしょうか。
1979 年9月リサイタル
©Ohta Tetsuya
吉村: 1975 年には野坂恵子先生主催の「二十絃エコール」というグループに参加。また、1979 年には箏の福永千恵子氏(結成当初は宮越圭子氏)、大嶽和久氏、尺八の三橋貴風氏と「四つの個による 楽」という四重集団を結成しています。
また三木稔先生の作曲で、1975年日本オペラ協会委嘱「春琴抄」(春琴は砂原美智子先生でした!)や1985年セントルイスオペラ委嘱作品「JORURI」の二十絃箏ソリストとしても初演させて頂き、とても勉強になりました。
一方個人での活動は、1979 年に第一回リサイタルを開催しました。二十絃箏が開発されてちょうど十周年ということもあって、二十絃箏だけのプログラムに挑戦しました。まだ十分な曲数もなかったために勇気を持った決断でしたが、このことが作曲家への委嘱を重ねることにつながりました。
1988 年3月リサイタル
©Ohta Tetsuya
吉村 : 三木稔先生や長澤勝俊先生など音楽集団でお世話になっていた先生方の他にも、数多くの作曲家に作品を依頼することになりました。
これまで数々の委嘱作品がありますが、1982 年には西村朗さんの《タクシーム》、1986 年には吉松隆さんの《双魚譜》といった今の二十絃箏のスタンダード作品と出会うことができました。1988 年のリサイタルからは、作曲家の方々の助けを得て全曲委嘱の演奏会を企画しております。
特に、西村朗さん・吉松隆さん・松尾祐孝さんには、ソロから小編成、西洋オーケストラとのコンチェルト、邦楽器群とのコンチェルトまで様々な形態の曲を演奏させていただくことができ、二十絃箏にとって大きな財産となっています。
一方、海外での演奏活動は、1986年以降ソロやデュオなどいろいろな編成で、コロナ禍以前2019年まで継続して参りました。日本でのリサイタルで委嘱した作品を、その年の海外での連続公演で取り上げてきたのですが、つくづく作品と演奏は優れた聴衆によって育てられると知りました。何度もコンサートで演奏することで、自分のものになっていく実感がありました。
―これまでたくさんの音盤も出版されていらっしゃいます。
1986 年 吉村七重『タクシーム』
©Ohta Tetsuya
吉村 : 1986 年にレコードで出版した「タクシーム」。これが個人としては初めての音盤となりました。
この頃、既にレコード収録は経験していたのですが、リサイタルで委嘱した西村朗さんの《タクシーム》を中心に、三木稔・助川助弥・吉松隆各氏の二十絃箏のための作品とともに、一枚のレコードとして出版させていただきました。この出版をきっかけに、演奏会での委嘱初演がまとまるとその後に音盤で出版していただくという流れができまして。この「タクシーム」の出版は、人生2回目の転機と言えるかもしれません。その後も、CD「NANAE」「炎の幻声」「箏歌・蕪村五句」「夢詠み」など、都合 9 作品カメラータ・トウキョウから出版されました。
担当の井阪紘さんは、日本では珍しいタイプの名物プロデューサーです。特にウィーンを拠点に数々の名演奏家のプロデュースをされていらっしゃいますが、私も良くしていただいて、演奏のアドヴァイスを始めチャンスを下さり私を育てて下さったお一人です。
また2000 年以降には、Celestial Hermonies社のエッカルト・ラーン氏とご縁を頂いて「Nanae Yoshimura “The Art of the Koto”」という古典から現代まで4枚のシリーズをアメリカとドイツで出版しました。ラーン氏のご要望からスティーブンG.ネルソン氏による解説もありまして、学究的にも充実した内容になったと感じています。
―国立劇場の「現代日本音楽の展開」シリーズにも多数ご出演いただきました。
吉村 : 委嘱初演させていただいた作品だけでも結構あるのではないでしょうか。1986 年新実徳英作曲《幽寂の舞》、1991 年菅野由弘作曲《天問》、1995 年新実徳英作曲《始原の真珠》、1991 年菅野由弘作曲《西行-光の道》、1997年猿谷紀郎作曲《豊宇多楽》、同年吉松隆作曲《鳥夢舞》。都合 6 曲初演させていただきました。それぞれに想い出が浮かんできます。
演奏で特に印象に残っているのは、1987 年に演奏した三木稔先生の《華やぎ》でしょうか。国立劇場の主催公演に初めてソロで出演させていただくということで、特別な感興がありましたね。若い頃は、勢いで弾いていることもありましたが、この時はやわらかい表情で演奏できたと思います。
昭和62年(1987)年6月国立劇場 『第五回 現代日本音楽の展開』
《華やぎ》三木稔作曲
吉村 : また、1988 年に演奏した《郢曲 鬢多々良》も印象的です。これは伊福部昭先生作曲で、古代の宮廷芸能がモチーフになっています。演奏家にとって作品は自分を表現する武器ですので、作品選びというのは大変重要なのですが、この《郢曲「鬢多々良」》は日本らしさを表現できかつ全体が盛り上がる作品ですので、外国での演奏にもピッタリでした。
昭和63年(1988)年6月国立劇場 『第六回 現代日本音楽の展開』
《鄙曲「鬢多々良》伊福部昭作曲
吉村 : あともう一つ挙げるとすると、2018 年《夢あわせ 夢たがえ》です。これはヴァイオリン・チェロ・クラリネットといった洋楽器とのアンサンブルで、流れるような旋律が特徴です。吉松隆さんは、調性の整った美しい音楽観を二十絃箏で巧みに表現してくださり素晴らしい演奏家にも恵まれて、とても素敵な時間を楽しませていただきました。
平成28年(2016)年7月国立劇場 『日本音楽の光彩Ⅱ』
《夢あわせ 夢たがえ》吉松隆作曲
―次に続く世代へメッセージはありますか。
作曲家の先生たちと
(左より、湯浅譲二、吉村七重、石井眞木)
吉村 : この先は選択肢の多い複雑な世の中になりそうですが、方法論が変わったとしても演奏家のすることの基本は変わらず単純かもしれません。
好奇心をもって様々な事象・物事を観て感じて得られた、ご自身の美意識に正直に発信をしていただけたらと思います。
私は、今日まで良き出会いに恵まれて演奏活動を続けることができました。
「幸運とは、機会が準備に出会う事(セネカ)」が好きな言葉です。日頃から感性を磨き、自らの見聞を高めておくことで、チャンスが活かせるのではないでしょうか。いろいろ厳しい状況もあるかと思いますが、ますますの活躍期待しています。
<プロフィール>
吉村七重
(よしむら・ななえ) 箏曲家
十三絃箏、二十絃箏奏者。古典箏曲の魅力と新しい可能性を秘めた二十絃箏の音楽を国内外に発信続ける現代日本を代表する演奏家。平成24年春紫綬褒章。
二十絃箏に関しては、この新開発楽器のスペシャリストとして、独奏曲・大小のアンサンブル曲からオーケストラとの協奏曲まで多くの作曲家との共同作業を展開し、すでに100曲を超える作品の初演を行った。また海外での演奏活動にも積極的で、1980年代後半から継続的に日本文化の紹介、国際交流に大きな貢献を果たしてきた。後進の指導も意欲的で、吉村七重箏研究所を主宰して「邦楽展・Koto Collection Today」を設け若手演奏家の育成と新作の開発に努め、成果をあげている。録音は古典曲から現代曲まで多くのCDが、国内外のレーベルから出版されている。
これまで1992年文化庁芸術祭賞、1993年第三回出光音楽賞、1994年第一回日本伝統文化振興賞、1999年中島健蔵音楽賞、2010年芸術選奨文部科学大臣賞、朝日現代音楽賞等を受賞。
【公演情報】
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