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国立劇場

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【6月邦楽公演「現代邦楽名曲選」特別インタビュー】砂崎知子(箏曲家)
「芸の道に限界はなく、深く険しい」


砂崎知子

―箏を始められたのはいつからですか。

砂崎知子(以下、砂崎) : 6歳からです。地元岡山で母に習っていました。母は初め正派邦楽会に所属していて、昭和20年代後半にラジオで聴いた宮城道雄先生の演奏に衝撃を受け、宮城会に所属するようになったと聞いております。当時岡山県には宮城会の支部はなく、母の精力的な活動により大きな演奏会を開催できるまでになりました。宮城先生をお招きした演奏会では、長蛇の列でお客様が入りきらないほど。すごいですよね。母の私に対する指導も熱心で、遊びに行く暇もなかなか与えられず、学校から帰ると毎日お稽古が待っていました。
進学は母の勧めで昭和36年に東京藝術大学へ。試験のとき、「この子は粗削りだけど、いい演奏をしている」と中能島欣一先生がおっしゃってくださったそうです。感謝のひと言に尽きます。


―大学入学後はどのようにご活動なさったのですか。

宮城喜代子

砂崎: 全国各地の優秀な人達が集まってきているのですから、大変刺激を受けました。地元で大体の曲を習ってから上京してきたのですが、東京風の洗練された演奏が出来るように励みました。生田流箏曲専攻の教授だった宮城喜代子先生には、特に目をかけていただきました。在学中のみならず卒業後も可愛がっていただき、私もその思いに応えるようにと一生懸命努力しました。先生との出会いは一生の宝物です。
昭和42年に大学院を修了した後は長澤勝俊先生や三木稔先生が中心になって作られた日本音楽集団や藤井凡大先生の日本合奏団にも参加したんです。当時、宮城合奏団に所属しておりましたので、それ以外の活動を許してくださったのは、喜代子先生のお心の広さあってこそだと思います。


―個人でのご活動はいかがでしょうか。

砂崎 : 昭和49年10月に第一回目のリサイタルを開催させていただきました。この時は、宮城喜代子先生・数江先生・山口五郎先生・沢井忠夫先生という錚々たる顔ぶれに加え、《越天楽変奏曲》を上演するためにツイス室内楽団にも加わっていただきました。豪華ですよね。その際、委嘱させていただいたのが、牧野由多可先生の箏独奏曲《風紋》です。牧野先生は私のことを非常に信頼してくださって、とても素晴らしい作品を書いてくださいました。生涯にわたり御恩をいただいた先生でいらっしゃいました。

砂崎 : また、昭和53年には、東芝から「琴 ヴィヴァルディ四季」というレコードも出版しました。これはクラシックの名曲を箏曲で演奏するというレコード会社の発案で、当時、特に“手が回る”と評判だった私のところに白羽の矢が立ちました。発想自体は面白いのですが、実際に演奏するというのは、本当に大変で‥‥。収録はとても苦労しましたが、なんとか無事に出版されると、異例の40万枚という大ヒットを記録。その後、クラシック音楽の箏曲での演奏はシリーズ化し、ヘンデルやチャイコフスキー、レスピーギまで演奏させていただきました。


―国立劇場の主催公演には、昭和42年「邦楽鑑賞会」《日蓮》でご出演いただきました。

砂崎: 開場から1年と経たない頃の公演だったんですね。大きな劇場だなと思った覚えがあります。喜代子先生も現役でいらして、私は菊地悌子先生たちと一緒に十七絃を担当していました。私たち演奏家にとって、国立劇場に出演することがステータスだと思っておりましたので、出演できた時は大変嬉しい気持ちでした。
その後は、昭和58年に始まる「現代日本音楽の展開」のシリーズにたびたび出演させていただいております。第一回は《越天楽変奏曲》の胡弓でした。私は、幼いころから箏のみならず、胡弓や十七絃など他の楽器も広く習っておりましたので、重宝がられていろいろな楽器を担当させていただきました。


昭和58(1983)年 6月国立劇場 『第一回 現代日本音楽の展開』
「越天楽変奏曲」

砂崎: また昭和63年に国立劇場でとり上げた《人形風土記》は、日本音楽集団代表・長沢勝俊先生の代表作で、先生の作品に通底する心温まる音楽を、日本音楽集団ではないメンバーも交えて演奏させていただきました。合奏曲は、アンサンブルならではの大迫力の響きが楽しめるので大好きです。
平成4年には、《祝典箏協奏曲》にも出演させていただきました。最初に雅楽風の旋律が一節あった後、箏が躍動感のあるリズムを奏でるところがすごく好きです。こうして振り返ってみると、最初は喜代子先生に連れられて出演していたのが、次第に私にも独奏を演奏させていただけるようになりまして、とても感慨深く思います。


平成4(1992)年 6月国立劇場 『第十回 現代日本音楽の展開』
「祝典箏協奏曲」


平成9(1997)年 4月国立劇場
「五段砧」

―数多くの舞台にご出演いただいておりますが、一番思い出に残る舞台はなんでしょうか。

砂崎 : これまでで一番想い出に残るのは、平成9年に野坂恵子さんと演奏した《五段砧》です。野坂さんの音楽性は他に類を見ない程素晴らしく、目標とする演奏家の一人でした。私の演奏と野坂さんの音楽性には違いがあるのは当然で、同じ古典曲を弾いても全く別な風に聞こえるときもあります。練習を度重ねているうちに、私には持ち得ていないものを野坂さんから沢山吸収させていただきました。ですから、憧れの方と一緒に演奏する機会をいただいたことは大変幸せでした。


―若い演奏者にお伝えしたいことはありますか。

砂崎 : 今なお、芸の道に限界はなく、深く険しいことを実感しています。自分の演奏に対してこれで良いと満足することはないでしょう。若い方にも、常に上を目指して頑張ってほしいですね。そして若い時には冒険をすることも大事だと思います。
また、海外での演奏経験も積んでいただけたらと思います。私も若い頃に色々な国へ行きましたけれども、派遣依頼を受けて渡航するだけではなく、自ら演奏会を開催することも大切かなと感じました。外国の方に演奏を聴いていただくには、言葉の壁など困難な事柄はいろいろありますが、音楽に国境はないの言葉通り、新しい交流も生まれるし自身の視野も開けるようになりますので、体力のある若いうちに挑戦していただけたらと思います。


―今後の邦楽界へ一言お願いいたします。

砂崎 : 20年ほど前から学校の音楽の授業で邦楽が取り扱われるようになりましたが、未だにきちんと学べる場が少ないように感じています。テレビやラジオでも取り上げられる機会が減少し、今後の行く末に不安を抱いております。歴史を見つめ直し、先人の功績を大切にすること。日本の伝統音楽を邦楽界が一丸となって、どうやったら発展させていけるかを考えないといけないと思います。そのためには、私たち邦楽を発信する側が、邦楽は楽しい、面白いと思っていただけるような良い演奏をお届けできるよう頑張らなくてはいけないと思います。



<プロフィール>
砂崎知子
(すなざき・ともこ) 箏曲家

岡山市出身。母 砂崎澄江より手ほどきを受け、東京藝術大学邦楽科を卒業、同大学院修了。
宮城喜代子、小橋幹子、上木康江の各氏に師事。これまでに東京藝術大学非常勤講師、大阪音楽大学客員教授、洗足学園音楽大学邦楽科客員教授を歴任する。
リサイタルは、1974年の第1回よりこれまでにのべ40回以上を開催し、1987年には文化庁芸術祭優秀賞を、2011年には芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した。1978年発表の「琴ヴィヴァルディ四季」(東芝EMI)を皮切りに、クラシックを箏で演奏した画期的なレコードを出し異例の40万枚を売り上げる。
これまでの様々な活動に対し、2016年伝統文化ポーラ賞優秀賞、2017年山陽学園オリーブグリーン賞、2019年旭日小綬章受賞、2023年中島勝祐創作賞受賞。現在、箏道音楽院代表。


【公演情報】
6月邦楽公演「現代邦楽名曲選」 公演の詳細はこちらから