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国立劇場

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【6月邦楽公演「現代邦楽名曲選」特別インタビュー】 宮下伸(箏・三十絃演奏家)
「芸術の真髄は精神、すなわち心の修行である」


宮下伸

―国立劇場には、昭和43年以来ご出演いただきました。

昭和50年(1975)1月国立劇場
『第一回 日本音楽の流れ』
「三十絃のための独奏曲 」

宮下伸(以下、宮下) : 《六段》を演奏させていただきました。父の宮下秀冽(みやした・しゅうれつ)が替手で、私が本手です。この時はまだ20代、若かったですね。
ソロを任せていただいたのは、昭和50年の「日本音楽の流れ」で、《三十絃のための独奏曲》を演奏したときでした。三十絃箏は、昭和30年に父が考案した楽器で、私も様々な工夫を重ねながら今日まで改良してきました。




―お若い頃からご出演ご活躍されていらっしゃいました。

初代宮下秀冽

宮下: 父は盲人でしたから、幼いころから私が杖となって尽くして参りました。幼いころは、石ころを投げつけられたり、穴に落されたり、様々な苦労をしたものです。
最初に出演したときも父の作品でしたし、三十絃箏も父の考えを発展させております。演奏も作曲も、父の演奏を傍で聴いていたり、その作品を楽譜に書き起こしたりするうちに、次第に習得していきました。四季折々の移ろいや自然の変化などを、敏感に感じ取る芸術的な感性もこうした経験から養われております。


―大変なご苦労がございました。

宮下 : その後、大学は東京藝術大学へ進学しました。当時はまだ宮城喜代子先生、中能島欣一先生が教授でいらっしゃいまして、お二人とも現役でお若かったですね。中能島先生には、ずいぶんお世話になりまして《三つの断章》《さらし幻想曲》など随分弾かせていただきました。卒業する時には安宅賞を受賞して、その頃通っていたNHK邦楽技能者育成会も首席で卒業することができました。


―ご卒業後はどのようなご活躍でいらっしゃいましたか。

宮下: まず、1965年NHK「全国今年のホープ」ということで横山勝也さんとともにご紹介いただきました。テレビとラジオの両方でご紹介いただきましたので、反響も結構大きかったことを覚えております。始めは父の付き人として現場へ通っていたのですが、次第に私個人にお仕事をいただくようになりまして。1968年第1回芸術選奨文部大臣新人賞を受賞する頃には、次第に新進の若手演奏者として注目を集めるようになりました。

転機となったのが、1972年《S・Nのためのシンフォニア》です。これは、三十絃二面・十三絃箏三面・数種の打楽器・横笛パンスリーなど大量の楽器群を一人で扱う作品で、演奏に相当苦労したのを覚えております。
作曲家の諸井誠さんとは随分親しい間柄でしたが、この曲でいくつもの難題が課されることになりました。どうしたら演奏できるだろうか、と様々な困難を克服し修練を重ね続けた結果、同曲を初演した「宮下伸 箏・三十弦リサイタル」で文部省芸術祭大賞の栄誉を得ることができました。嬉しかったですね。


―《S・Nのためのシンフォニア》を収録しているレコード「和楽器による空間音楽」では、《有為転変》も演奏されています。

宮下 : 《有為転変》も同じく諸井誠さんによる作曲です。尺八の酒井竹保さんと、囃子の藤舎呂悦さんと共演いたしました。弾く・吹く・打つという三種類の楽器が、相互に緊張関係を保ちながら、曲の進行に合わせて抗争する、いわば国盗り合戦のような構想です。
ビクターは、当時画期的だった4チャンネル録音を用いて《S・Nのためのシンフォニア》と、そのカップリング作品として《有為転変》を委嘱しました。舞台初演は1974年、以降何度も演奏を重ねております。思い出深い作品の一つですね。


―1985年には、国立劇場も作曲を委嘱させて頂きました。


宮下: 《響流(こうる)―遠劫(えんごう)より》です。この作品には、サブタイトルに遠劫とあるように、現代から未来に送る心のメッセージの想いを込めています。人の一生は儚いものですが、音楽を通じて生命の永遠性を祈りたいと考えました。箏・十七絃・三絃・尺八・打楽器群という編成で、序・破ⅠⅡ・急で構成されています。起伏に富んだ作品で、三十分を超える大作に仕上がりました。
舞台初演もさることながら、後年春秋社から楽譜も出版していただけたので、より思い出深い作品になりました。



昭和60年(1985)6月国立劇場
『第三回 現代日本音楽の展開』
「響流-遠劫より- 」


―平成3年には、「日本音楽の魅力をさぐる」という公演で、第一級の演奏家による《即興演奏》もご披露いただいております。

宮下 : 山本邦山、藤舎名生、堅田喜三久との共演でした。皆気の置けない仲間達で、気迫のこもった熱演でした。
即興というのは、ただ出鱈目に弾けばよいというものではなく、緩急強弱、序破急の変化が重要なのです。相手がこう来たら、次は自分がどうするか。全体の構想を創造しながら演奏しないと、即興演奏は成り立ちません。作曲に近い考え方が重要です。
その時は、皆作曲をするメンバーでしたから、良い舞台となったことでしょう。それともう一つ重要なのは、共演者との信頼関係です。それぞれの芸風のみならず、性格や性根まで理解しあった仲間だからこそ、よい演奏ができるということもあると思います。これまで、沢井忠夫、横山勝也、藤舎呂悦、青木鈴慕など、多数の演奏家と即興演奏に挑戦しました。皆素晴らしい演奏仲間です。


平成3年(1991)4月国立劇場 『日本音楽の魅力をさぐる』
《即興演奏》 尺八、箏、横笛、鼓による


―若手に伝えたいことはありますか。

宮下 : 私の考えをまとめた文書がありますので、それを読ませて頂きます。
「"心眼をひらく" 。どんなときでも精神を集中して演奏することの大切さ、爪音の一音一音が、身体の奥底から出る心の叫びでなくてはならない。芸術の真髄は精神、すなわち心の修行である。真剣な心の修業が良い音、良い音楽を作らせる事を忘れてはならない。磨かれたすばらしい心と心の触れ合いと融合が、秀れた重奏を呼び、聴く人に幸福を与えてくれるのである。日本の風土と日本人の心の中から生まれ育ち、日本人の精神文化の結晶として今も未来に向けて発展している伝統芸術。この誇れる個性ある文化を世界に紹介する使命感を持って、私は世界中を巡っている。」
どうかただ単に演奏するのではなく、心・精神性を磨いて演奏して頂きたいと思います。


―これからの邦楽界への期待することとは。

宮下 : これについても文章にまとめました。
「芸術の原点は想像する力そして創造することにある。自ら考え、行動し、心と技を体得する。自由な発想で個性を磨く。個の独創性を大切にして能力を幅広く伸ばして行く。これこそ創造の精神であると思う。芸術の修業は厳しい技術の特訓と共に、自己の内面表現の練磨(例えば環境、福祉等のボランティア活動)である。それにより不撓不屈の精神力、深い感性を伴った崇高な芸術が生まれるのである。これからは洋・邦の時代、音楽家は広い心と国際感覚を身に付け、真の国際芸術家にならねばならない。そのためには過去の時代の基盤を大切にして、現代から未来に向かう確固たる芸術指向を持ち、その芸術を創造すること、また、自分の芸術の把握のみならず、世界の芸術をも強く理解し、世界の芸術家と溶け合う心を持つことが必要である。」
日本の芸術がますます発展することを心より願っております。



<プロフィール>
宮下伸
(みやした・しん) 箏・三十絃演奏家、作曲家

1941年生まれ。 5歳より、父である山田流箏曲演奏家・作曲家の初世宮下秀冽より箏曲の手ほどきを受ける。1964年に東京藝術大学卒業、安宅賞受賞。NHK邦楽育成会第9期首席修了。NHK「全国今年のホープ」に選ばれる。1968年芸術選奨新人賞受賞。1973年「宮下伸 箏・三十絃リサイタル」の演奏、作曲により芸術祭大賞受賞。1997年松尾芸能賞・優秀賞受賞。各国招待・外務省派遣の文化特使として世界各国で公演多数。財団法人日印協会、中央教育審議会、創造学園大学、堀越学園等で理事や教授などを歴任。


【公演情報】
6月邦楽公演「現代邦楽名曲選」 公演の詳細はこちらから