トピックス
【2月文楽】好評上演中、13日(火)まで!(舞台写真あり)
外苑前の日本青年館ホールにて開催中の2月文楽公演が5日(月)に初日を迎えました。
三部制でお送りする2月文楽公演は、どの部も文楽を代表する名作と華やかな踊りが揃います。各部2時間あまりのコンパクトな上演時間ですので、お買い物やお食事、明治神宮外苑エリアの散策などお出かけのご予定と一緒に、お気軽に文楽の魅力をご堪能いただけます。
舞台写真とともに、みどころをご紹介いたします。
【第一部】
『二人三番叟』(ににんさんばそう)
2月文楽公演は『二人三番叟』で幕を開けます。能の『翁』をもとにした格式高い祝儀曲『寿式三番叟』のうち、二人の三番叟が登場する場面を取りあげたもので、華やかな浄瑠璃の演奏に乗って躍動的に舞い五穀豊穣を祈ります。三番叟が袖や鈴を振る姿は、厄災をもたらす邪気を払う意味も込められており、公演の幕開けにふさわしい清々しい舞台です。
『二人三番叟』
『仮名手本忠臣蔵』(かなでほんちゅうしんぐら)
続いては言わずと知れた人気作『仮名手本忠臣蔵』。元禄時代に実際に起きた討ち入り、いわゆる赤穂事件がもとになった大作で、塩谷判官の刃傷事件を中心に、仇討ちに至るまでの苦悩や人間模様が描かれています。今回は五・六段目にあたる早野勘平とその一家の悲劇を描いた場面の上演です。
塩谷判官の家臣・早野勘平は、恋人のおかると逢瀬をしていたために、主君の一大事に立ち会うことができず、討ち入りの徒党に加われないまま、おかるの実家に身を寄せていました。討ち入りに加わるには金が必要であることが分かり、おかるは身を売って金を工面しようとします。
勘平は、夜道で狩りの最中、猪を撃ったつもりが誤って人を殺してしまいます。討ち入りに加わるために金が必要だった勘平は、震える手で死体の懐中にあった財布を持ち帰ります。
『仮名手本忠臣蔵』山崎街道出合いの段
『仮名手本忠臣蔵』二つ玉の段
おかるの実家では、おかるとその母が、帰らない父・与市兵衛を心配しています。与市兵衛はおかるを身売りする前金を受け取りに行っていました。やがて身売り先の亭主がやってきて、与市兵衛は前金を受け取って帰ったといい、おかるを連れて行こうとします。
そこへ戻ってきた勘平は、話を聞いて驚きます。持ち帰った財布はなんと与市兵衛のものだったのです。義理の父を殺したと思い込んだ勘平は、噓をついておかるを見送ります。
『仮名手本忠臣蔵』身売りの段
苦しい胸の内を抱えながらおかるを見送った勘平ですが、財布に気付いた母に激しく責め立てられ、さらにそこにやって来た塩谷家の家臣による強い非難にも耐えきれず、腹に脇差を突き立てます。しかし勘平が撃ったのは……。
事実が明らかになると、勘平も徒党に加わることが許されますが、勘平は息絶えてしまいます。娘を売り、夫と婿を亡くし、たった一人残された年老いた母の痛切な嘆きで、哀しみに溢れた幕切れです。
『仮名手本忠臣蔵』早野勘平腹切の段
【第二部】
『艶容女舞衣』(はですがたおんなまいぎぬ)
元禄8年(1695)に大坂千日墓所で心中事件が起きました。これに取材した作品は数多くあり、『艶容女舞衣』もその一つです。初演は安永元年(1772)で、同事件を題材とした先行作品の影響を受けて作られました。
大坂・上塩町の酒屋・茜屋の半七は芸人の三勝と深く馴染み、妻のお園を置いて出て行った上に、殺人の罪まで負ってしまいます。ここから今回上演する「酒屋の段」へと続きます。この場面ではお園をはじめとした半七一家が、義理と愛情の狭間で苦悩する様子が描かれます。
お園の父・宗岸は半七の行いに怒り、お園を連れて帰っていましたが、泣き暮らすお園を心配して茜屋に連れてきます。しかし半七の父・半兵衛は嫁とは呼べないと厳しい対応です。ところが、半兵衛が息子の代わりに縄にかかったことを宗岸が見抜き、これをきっかけに、お互いの深い親心を感じて涙を流します。
『艶容女舞衣』酒屋の段
ここから一人残されたお園が、夫を想って深い悲しみに暮れる名場面です。「今頃は半七様……」で広く知られるクドキは、純粋なお園の姿が胸を打つ見どころ、聴きどころです。
『艶容女舞衣』酒屋の段
『戻駕色相肩』(もどりかごいろにあいかた)
天明8年(1788)江戸中村座初演の初世桜田治助作、初代鳥羽屋里長作曲の歌舞伎舞踊『戻駕』を、文楽に移した作品で、大阪・国立文楽劇場では昭和63年(1988)に復活上演された後に3度ほど上演がありましたが、国立劇場主催公演での上演は初めてです。
桜が咲き乱れる京・紫野にて、浪花次郎作と吾妻与四郎という二人の駕籠舁きが、駕籠に乗せてきたかむろとともに、京・大坂・江戸の三都それぞれの廓について語り合います。
一足早くのどかな春を感じられる舞台をお楽しみください。
『戻駕色相肩』
【第三部】
『五条橋』(ごじょうばし)
平家全盛の世で源氏再興を志す三兄弟の物語に、武蔵坊弁慶と牛若丸の逸話を絡めた『鬼一法眼三略巻』。この物語の五段目にあたるのが弁慶と牛若丸の出会いを描く『五条橋』です。
京都の五条橋で通行人を襲う曲者がいるという噂が流れ、その曲者をとらえようと弁慶がやってきます。そこにいたのは優美な少年でした。大柄な弁慶に争いを仕掛けるその少年こそ牛若丸です。二人の運命的な出会いを勇壮に、ユーモラスに描きます。
『五条橋』
『双蝶々曲輪日記』(ふたつちょうちょうくるわにっき)
寛延2年(1749)に大坂竹本座で初演されました。二人の力士、濡髪長五郎と放駒長吉の達引が描かれ、二人の名前は外題の「蝶々」の由来にもなっています。
今回上演する場面では、長五郎が贔屓筋の山崎与五郎のために罪を犯してしまったことを発端として、互いを思いやる家族の苦悩と情愛が描かれます。
与五郎は恋人の吾妻と駆け落ちをしますが、大坂・難波裏で、吾妻に横恋慕する平岡郷左衛門とその仲間の三原有右衛門に見つかってしまいます。そこに駆け付けたのは長五郎です。与五郎の父に恩義のある長五郎は、与五郎と吾妻を逃がすため、やむなく郷左衛門と有右衛門を殺してしまいます。
『双蝶々曲輪日記』難波裏喧嘩の段
場所は変わって、長五郎の実家がある京都の八幡の里。長五郎は幼い時に養子に出され、今は実母と義理の弟・南与兵衛、その妻・お早が住んでいました。最後に母に一目会おうとやってきた長五郎ですが、代官に出世し南方十次兵衛と名を変えた与兵衛の初仕事が長五郎を捕らえることだと知り、捕まる覚悟を決めます。
『双蝶々曲輪日記』八幡里引窓の段
一方、母の様子から、十次兵衛は全てを察し、それとなく長五郎が逃げるための手助けをします。母は実子と継子の間で揺れ動き、ついには長五郎に引窓の縄を使って縛めますが、十次兵衛がその縄を切り、引窓から差し込む月の光を夜明けになぞらえ、今日から放生会(捕まえた生き物を放して殺生を戒める祭礼行事)だと言って、長五郎を逃がします。段名にも使われている「引窓」とは採光のための窓で、これをキーアイテムとして物語が巧みに展開します。
『双蝶々曲輪日記』八幡里引窓の段
2月文楽公演は13日(火)まで!
チケット好評販売中
国立劇場チケットセンターはこちら
※残席がある場合のみ、日本青年館にて当日券の販売も行っています。
公演期間全日程の各部開場から開演までの間、会場ロビーにて文楽座技芸員が募金のお声がけをさせていただきます。
ご来場の皆様の温かいご支援をお願い申し上げます。
詳細はこちらをご覧ください
Copyright (C) Japan Arts Council, All rights reserved.