今月上演されている『仮名手本忠臣蔵』も、何度ここで見たかわかりません。
あまりに何度も何度も見ているので、世にいう「ネタバレ状態」といいますか、このあと誰がなにしてこうなってあぁなる、と重々わかった上で観劇しているわけなのですが、いまから270年以上前、この作品の大序と二段目を初めて見たお客さんは、ひょっとしたらこう思ったのかもしれません。
「これから松の廊下で高師直に斬りつけるのって、この桃井若狭助やんなぁ?」
「恋歌の段」では、セクハラおやじ・師直から顔世御前を救い出し、「恥をかかされた」「コイツに弱みを握られた、くそっ!」と師直から恨まれてしまった若狭助。
「出すぎたことをしやがって!」とボロカスのように怒鳴り散らされ、煮えたぎる気持ちをいったんは納めたものの、屋敷に戻っても「おのれ師直!」の思いはつのるばかり。家来の本蔵に「止めるなよ、絶対止めるなよ!」と釘をさしつつ、翌日師直を斬るつもりだと打ち明けます。
ここ、作者がうまいですよね。
まず「お上に対する言い訳として」登場人物の名前を史実とは変えてある。つまりこの『仮名手本忠臣蔵』には浅野内匠頭という人物は出てこないので、初演を見ている人には誰が浅野さまなのかがわからない、というわけです。
「恋歌の段」のラストで
「悪事さかつて運強く切られぬ高師直を
明日は我が身の敵とも知らぬ塩谷が後押さへ」
と、ちゃんと「浅野さま=塩谷判官」と書かれてはいるのですが、どう見ても若狭助が師直を斬りそうな感じ。「若狭=わかさ」で、短慮をイメージさせているのも効いています。観客をミスリードしているんですね。
そのあと師直の怒りのターゲットがくるり、判官さまへと変わり、松の廊下の刃傷事件が起こりまして、切腹、城明け渡し、敵討ちへと続いていくわけですが、その流れを若狭助は、どんな目で見つめていたのでしょう。
自分のあずかり知らぬところで加古川本蔵が手を回していたために、師直から手のひらを返したようにへいこら謝られ、怒りのこぶしを下ろさざるを得ないという状況。なぜそうなったのか、わけがわからない分、「なんで?」と疑問が残るでしょうしモヤモヤしたでしょうし気分も悪かったことでしょう。
さらに、師直の鬱憤が判官さまに向いたと知った日には、どう思ったことでしょう。
人生にはいくつもの分岐点があります。
もしあのときこうしていたら別の人生があったのでは、と誰しも一度は妄想いたします。
もしあのとき、謝る師直を許さずその場で斬ってしまっていたら…自分や家臣はどうなっていただろうと若狭助は考えたでしょうか。
四段目、塩谷判官切腹の場。思わず息をつめてしまう緊張感あふれる場面です。
が、今回はなぜか、そこにいるはずのない桃井若狭助が、こう思いながらどこかでこの場を見つめているような気がしたのです。
「あれは自分だったのかもしれない」
亡き殿の敵を討った人。
悔しい思いで命を絶った人。
愛しい人に死に別れた人。
『仮名手本忠臣蔵』にはいろんな哀しみを背負った人が出てきますが、哀しいなりに気持ちの落としどころはある。でも。序盤あんなに活躍した桃井若狭助は、物語からスーッと消えてしまう。(「増補忠臣蔵 本蔵下屋敷」というスピンオフ作品には登場しますが)
この人このあとどうなったんやろう。一番身の置き所がないといいますか、宙ぶらりんのまま、なんとも気の毒に思えてならないのです。
と書いておりましたら、劇場の方から
「十一段目に若狭助も出てまいります」
と教えていただきました。(ありがとうございます!)
そうか。ストーリーの最初と最後に登場し、全体の額縁のような役割を与えられていたのか。
焼香場へ引き揚げる浪士たちを若狭助は、晴れやかな気持ちで見送ったのでしょうか。それとも申し訳ない思いでいっぱいだったのでしょうか。
若狭助と判官さまの、背中合わせのような人生の分岐につい思いを馳せた第1部だったのです。
■くまざわ あかね
落語作家。関西学院大学社会学部卒業後、落語作家小佐田定雄に弟子入りする。2000年、国立演芸場主催の大衆芸能脚本コンクールで優秀賞を受賞。2002年度大阪市咲くやこの花賞受賞。京都府立文化芸術会館「上方落語勉強会~お題の名づけ親はあなたです」シリーズなどで新作を発表。現在、NHKラジオ深夜便「上方落語を楽しむ」コーナー解説を担当。著書に、『落語的生活ことはじめ―大阪下町・昭和十年体験記』、『きもの噺』がある。大阪府出身。
(2024年11月11日第1部、14日第2部『仮名手本忠臣蔵』観劇)
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