元禄14年(1701)~15年に起きた、いわゆる「赤穂事件」に題材を取った人形浄瑠璃、歌舞伎作品の集大成として、『仮名手本忠臣蔵』(二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳)、略称「忠臣蔵」は寛延元年(1748年)、大坂竹本座で初演された。『菅原伝授手習鑑』『義経千本桜』とともに人形浄瑠璃の三大名作と言われるが、江戸時代に起こった現実の事件に基づいていることもあって、とりわけ各段の関係性が綿密に組み立てられており、仕掛けられた伏線が後の段で回収されるさまは、江戸時代のNETFLIXとでも言いたい見事さである。だから、「忠臣蔵」は通し狂言(すべての、あるいは主要な段を続けて一度に見る)が楽しいのである。江戸時代、客足が遠のいた劇場を建て直すために「忠臣蔵」が度々かけられ、その効き目=集客力が高麗人参を使った気付け・強壮薬「独参湯(どくじんとう)」にも例えられたのもむべなるかなである。「忠臣蔵」の題材は他の大衆芸能や文芸にも影響を与え、例えば落語には「四段目」(別名「蔵丁稚」)、「七段目」という忠臣蔵ネタが度々演じられている。「タイパ」がうるさく言われる現代社会で、悠長に一日劇場で時間を費やすというのはぜいたくの極みなのだが、今日でも「忠臣蔵」は通し狂言の頻度が高い。
「文化デジタルライブラリー」のサイトで、記録が残っている昭和41年以降の文楽公演記録を調べてみると、今回・次回の文楽劇場公演を除いて、27回の通し狂言上演が数えられる。ただし通し狂言と言っても、必ずしも大序から十一段目までを上演するものばかりでなく、部分的な上演も含む。令和元年(2019)には、国立文楽劇場で、3回に分けて全段の上演が行われたことが記憶に新しい。また、国立劇場開場10周年、30周年、40周年、50周年には「忠臣蔵」通し公演を行うなど、記念公演的な公演には「忠臣蔵」が付きものだ。今回も、国立文楽劇場開場40周年という記念すべき公演において、第1部は大序から四段目まで、第2部は『靱猿』を挟んで五段目から七段目までの通し狂言が上演されるという訳である(来年の初春文楽公演では第2部で八段目、九段目が上演されることが決まっている)。
ということで、私も一日で大序から七段目までの通し狂言の鑑賞に挑戦した。一日の昼夜に通し狂言を見るのは、思えば、学生時代の昭和55年(1980)3月に、歌舞伎座で歌舞伎の「忠臣蔵」通し狂言を見て以来の挑戦である。体力の衰えもあって、すべての段において集中を維持することは難しかったが、思っていたよりずっと楽しく鑑賞することができた。収穫もいくつもあった。例えば二段目「桃井館力弥使者の段」の希太夫・友之助、三段目「下馬先進物の段」の亘太夫・清公、同じく「裏門の段」の小住太夫・清馗など、若手・中堅の進歩が著しく感じられた。今後の活躍がますます楽しみになってきた。四段目「塩谷判官切腹の場」の若太夫・清介の浄瑠璃と、和生、玉男らの遣う人形が作り出す舞台に触れられたことは、実に得がたい体験であった。
さて、今回も楽しみにしていたのは七段目である。これまで劇場やテレビ放送、DVD等で何度も七段目を見てきたが、文楽で見せていただくのは二度目である(ちなみに、一番最初に劇場で見た七段目は昭和50年(1975))、大学に入った年に歌舞伎座一幕見で見たもので、由良之助は八代目松本幸四郎、おかるは四代目中村雀右衛門、平右衛門は二代目中村吉右衛門だった)。プログラムの解説により、この段は歌舞伎『大矢数四十七本』(延享4年(1747))の茶屋場をそのまま移したもので、普通の丸本歌舞伎とは逆に、歌舞伎から人形浄瑠璃へという流れで作られているということを知った。そのため、初演から各役掛け合いで語られるほか、詞に始まり詞に終わるとか、平右衛門の最初の出では太夫は下手の臨時の床に座し、無本で語るなど、いろいろ人形浄瑠璃としては異例の演出が採られている。なお、斧九太夫が床下に潜んでいる間、九太夫の着物だけを床下に吊して「九太夫がここにいる」ということを示すというお約束が楽しい(これは人形浄瑠璃独自の工夫)。おかると平右衛門が出会ってからのおかる(呂勢太夫)と平右衛門(織太夫)の掛け合いは聞き応えがあった(三味線は豊澤富助)。おかるの人形は吉田一輔が勤めたが、前回拝見した第155回文楽公演(文楽劇場)(令和元年7・8月)での七段目前半のおかるは吉田簑助が勤めていたことが思い出される。もう、簑助の遣う人形が見られないのだという悲しみをあらためてかみしめた。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
今回、通し狂言で見て改めて感じたのは、「忠臣蔵」において武家の家と家との争い、権力闘争、武力衝突といった政治的・軍事的な文脈は実はさほど重要視されておらず(だから十段目、十一段目はまるで付け足しのように上演頻度がひどく低い)、セクハラ(高師直と顔世御前、鷺坂坂内とおかる)、オフィスラブ(早野勘平とおかる)、茶屋での疑似恋愛(由良之助とおかる)、親が反対する男女の婚姻(大星力弥と小浪)といったように、“ラブ”が物語を回しているのだなあということである。それは橋本治氏も言うとおり(『浄瑠璃を読もう』新潮社2012年刊)、武家の喧嘩を町人のエンターテインメントとして見せていくための重要な仕掛なのだと感じた(令和元年 夏休み文楽特別公演の「文楽かんげき日誌」にも七段目について拙文を書かせていただいているのでそちらもご覧ください)。
なお余談であるが、七段目は細部までよくできたシナリオであるとはいえ、二階にいるおかるに、どうやったら延べ鏡で一階の手紙が読めるようになるのか、その光学的な説明を一度誰かにしてほしいものだ。凹面鏡でもない限り、肉眼で読めないものは鏡でも読めないと思います。
(2024年11月11日第1部『仮名手本忠臣蔵』・第2部『靱猿』『仮名手本忠臣蔵』観劇)
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