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【4月文楽公演】板額ってどんな人?
4月文楽公演第2部の『和田合戦女舞鶴』「市若初陣の段」で活躍する板額。
彼女は鎌倉時代に実在した北国の女武者板額御前をモデルに造形されています。板額御前は百発百中の強弓の使い手で、木曾義仲の愛妾である巴御前とともに、女傑の代名詞として「巴板額」と称されました。
このページでは、「市若初陣の段」をより楽しんでいただくため、実際の板額御前がどんな人物だったのか、そして『和田合戦女舞鶴』ではどのように描かれているのかをご紹介します。
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板額御前~弓矢に優れた勇婦~
板額御前(『吾妻鏡』では「坂額」)は、平家方の有力な豪族であった越後国の城資国の娘と伝わっています。
古今名婦伝 板額女
(国立国会図書館デジタルコレクション)
平家が滅亡すると城氏も没落し、板額の兄の城長茂は囚人として鎌倉に送られました。その後、長茂は梶原景時の庇護を受け、鎌倉幕府の御家人となります。しかし、景時が滅ぼされると、その1年後、幕府打倒の兵を挙げ上洛します(建仁の乱)。長茂は京で捕らえられ斬首されますが、それと時期を同じくして越後国で板額が甥の城資盛と共に挙兵します。
二人は要害の鳥坂城を拠点に佐々木盛綱らの幕府軍を散々に手こずらせました。『吾妻鏡』では、童形のように髪を結い矢倉の上から矢を射かけ、次々に敵兵を討つ板額の様子が伝えられます。しかし、鳥坂城の背後の山に回り込んだ藤沢四郎清親によって両ももを射られ、生け捕られてしまいます。
捕らえられた板額は、二代将軍源頼家の求めに応じて、鎌倉御所へと連れてこられます。御家人の居並ぶ中、頼家の前に引き出された板額の様子は、媚びへつらうこともなく堂々としたものだったと『吾妻鏡』に書かれています。
そこに居合わせていた御家人の阿佐利与一義遠は、翌日、頼家に板額を妻に請い受けたいと申し出ます。罪人を妻に望む義遠を訝しんだ頼家が理由を尋ねると、与市は次のように答えます。
「武勇に秀でた子をもうけ、幕府に忠を尽くすためです」
与市もまた、源平合戦で戦功を立てた弓の名手でした。その返答を面白がった頼家は申し出を許し、板額は与市とともに彼の所領である甲斐へと下向したといわれています。
では、『和田合戦女舞鶴』において、武勇に優れた板額御前のイメージを、どのように取り入れているのでしょうか。
常のおやま人形よりは二さうばい
『和田合戦女舞鶴』の板額は、鎌倉幕府の御家人である浅利与市の妻として登場し、「六尺豊の大女房」「関相撲を見るやうな大女」と大きな体躯の女性であるとされています。
三代目嵐璃寛のはんがく・二代目嵐璃珏のあさりの与市〈一養亭芳瀧画〉
(国立劇場蔵)
実際に、初演時に板額を使った藤井小八郎は、「常のおやま人形よりは二さうばい(普通の女方の人形の2倍)」の人形を用いたようです。
また、初登場は、北条義時と和田常盛が言い争う場面で、二人の間に臆する様子もなく割って入る勇猛な様子が描かれ、印象付けられます。この勇猛な板額像には、頼家に堂々と対峙した板額御前の面影が感じられるのではないでしょうか。
夫との別れ
板額御前の父である城資国は作中では板額の伯父として、また実朝の妹の斎姫のめのととして登場します。資国と斎姫の会話の中で、板額と夫の与市の睦まじい夫婦仲と、二人の間には市若丸という十歳になる息子がいることが語られます。しかし、板額と従弟同士の荏柄平太が、藤沢入道の館で叶わぬ恋の意趣晴らしとして斎姫を討ったことから、板額と与市の夫婦仲は終わりを迎えることになります。
斎姫が殺されたことで藤沢入道の屋敷は大混乱となり、入道は外の大門を閉じさせます。騒ぎを聞き駆けつけた与市ですが、妻の板額が平太と従弟同士であることから開門を許されません。そのため、与市は主殺しの罪人の一族との縁を切るためその場で板額を離縁します。しかし、それでも開門が許されないため、板額は力づくで大門を破ります。
板額門破り
「板額門破り」の場面は、初演以降も「市若初陣の段」とともに近代まで再演されました。
これは初演当時よく知られていた「朝比奈三郎の門破り」の趣向を工夫したものです。和田義盛の子の朝比奈三郎義秀は、和田合戦の際に鎌倉御所の惣門を打ち破ったとされ、朝比奈が大門を破る「門破り」の趣向は早くから錦絵や演劇に取り入れられました。『和田合戦女舞鶴』の先行作である近松門左衛門の『ゑがらの平太』にも、朝比奈による門破りの場面が出てきます。
『和田合戦女舞鶴』では、女性である板額にこの門破りをさせています。
あやつり画番附
(国立国会図書館デジタルコレクション)
「舞鶴」は、歌舞伎で朝比奈が付けている紋で、外題の「女舞鶴」とは「門破り」を女性の板額にさせたことを示しています。元々の板額御前が持つ力強いイメージ、また、文芸や演劇では朝比奈の母が板額と並び称される巴御前であるとされていることから、観客は先行作で描かれる朝比奈の門破りを板額が行うことに大きな違和感をもたず楽しんだのかもしれません。
また、門の上から与市や板額の入門を阻む人物には、板額御前を生け捕りにした藤沢四郎の名が用いられています。。
このように本作の作者の並木宗輔は、板額御前のイメージと先行作の趣向を組み合わせ、『和田合戦女舞鶴』の板額を造形しています。
ひとりの母として
さて、大力無双の板額ですが、与市に離縁されてからは子の市若丸とも離れ離れとなり、政子尼公の館に身を寄せています。政子尼公が荏柄平太の子をかくまう理由を聞かされたことから、大力ではどうすることもできない問題に巻き込まれていきます。
4月文楽公演『和田合戦女舞鶴』「市若初陣の段」より
息子の兜の緒を切ってよこした夫与市の意図、政子尼公の告白と涙ながらの頼み、そして息子市若丸の初陣に手柄を立てたいという願い、それらすべてを一身に負った板額が、苦悩のうちにとった行動とは……? この結末は、ぜひ劇場でご覧ください。
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政子尼公の館に夜討ちをかける子供武者たちを、板額がなだめすかして帰す「市若初陣の段」の端場。鶴澤清介が復曲し、今回84年ぶりに上演しています。
4月文楽公演『和田合戦女舞鶴』「市若初陣の段」より
その場面で板額が身に着けている陣羽織は、本公演のために新たに仕立てられたものです。その様子は、文楽技術室Instagramをチェック!
大力をもちながらも、政争の中でなすすべもなく葛藤するひとりの母としての板額の物語を、どうぞお見逃しなく。
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