幼い日、相撲を見るのが好きだった。スポーツ中継が少ない時代、平日の夕方に楽しめる娯楽といえば、まずテレビでの大相撲観戦だった。色とりどりの化粧回し、横綱の土俵入りの流れるような安定した動作、紅潮した身体と身体がぶつかり合う音、真剣勝負での強さ、弓取り式の所作に至るまで、それらを美しいと思い、幼いながらにその迫力に感じ入った。
もしかしたら、それは幼い日の幻だったかもしれない。この世にあってこの世ならぬほどの強さや美しさを持った世界、そこで戦う男たちは、頼もしい英雄に思えた。
国立文楽劇場11月公演で、『双蝶々曲輪日記』が上演されている。いまは失われた大坂相撲を題材とした、義理と情けの物語である。
「堀江相撲場の段」では、取組を終えた濡髪長五郎が、伊達な姿で歩み出てくる。「評判一の角前髪、大郡内の太り肉、鮫鞘さすが関取と一際目立つ男振り」と言われる。前髪は元服前のしるしだが、髷を乱さない心意気の力士の象徴でもある。郡内はいまの山梨県産の絹の織物で、細かい柄を織り込んだ高級な生地、鮫鞘の太刀は贅を尽くしたもの。江戸であれば大名のお抱え力士であろうが、大坂では贔屓の後援者たちによるものであろう。さらに葦簀張の相撲場、贔屓力士に贈られた幟(のぼり)、取組表、その中に「猛虎」の二文字があったのは今年の大阪の象徴のように思える。堀江の相撲場の風情、「でえす」という独特の言い回し、今も昔も、力士は単なる格闘家、アスリートではなく、人々の憧れ、スーパーヒーローであった。気は優しくて力持ち、まさに男の中の男として、義理を通す侠客でなければならなかった。
しかし濡髪の表情は憂いが見て取れる。義理ある旦那のために勝負を譲り、頼み込む。対する長吉の鬼若の首(かしら)が一本気な若さを感じさせる。
「難波裏喧嘩の段」で、長五郎は若旦那と吾妻を救うために、二人の侍と立ち回り、心ならずも二人を殺してしまう。成り行きで二人をさらに殺すことになる。濡髪の強さ故の悲劇であり、義理のために、というには重すぎる結果となってしまった。
濡髪は情を知る男である。一旦は長吉に押され身を隠そうとしたものの、巨躯、前髪、ほくろとあまりに目立つ姿の彼は、捕えられることを覚悟して別れを告げるために八幡の里の母を訪ねる。
「八幡里引窓の段」で語られる、母と息子の家庭悲劇。母は5歳の長五郎を養子にやり、その後は他家に嫁入りした。ここでまず、最初の家族の離散。さらに母の再婚相手は八幡の里の郷代官の家柄であったが、夫の死後は息子の放埓により零落している。実の息子は養子先でも父母に先立たれ、二度目の家族の離散を経験し、ただ一人生きるために、相撲の世界に入る。一見華やかだが、怪我や後援者の都合など、いつ落ちるかわからない、明日を知れぬ危うい世界で、命のやり取りをする。家族という後ろ盾のない、先の知れぬ身の孤独。諦めの色にじむ、寂しげな眼差し。一方、母は久しぶりの実の子との対面に、あれこれと世話をやく。食事の用意をしようとする。それを濡髪が「欠け椀で一杯ぎり」と言う。その一言に込められた濡髪の思いの深さ。
そして南与兵衛、いまは南方十次兵衛が戻り、濡髪がお尋ね者になっていることを知った母が、義理の息子に対して呼びかける、「与兵衛」の一言。その一言で、十次兵衛は母の事情を察する。「鳥の粟を拾ふやうに溜め置かれたその銀」の一言で、十次兵衛が義理の母の心情を理解し、そしてその母への義理のために義理の兄弟である濡髪を逃がそうとする、その心情の変化がわかる。しかし、濡髪は十次兵衛への義理ゆえに、自ら十次兵衛の縄にかかろうとするのである。
この三者の物語は、それぞれの登場人物の一言に込められた思いの深さに打たれる。互いに相手のため義理を立てようとし、母の実の息子を助けようとする情に揺さぶられる。いまはこうした義理の関係こそ実親実子に勝るという感覚はわかりにくい。しかしこの義理の立て合いが、切っても切られぬ親子の情を基にしていることが、その一言の思いをさらに深くする。
母の手で前髪を落とし、十次兵衛の金の包みが父の譲りのほくろを落とす。もはや力士としてでなく、一人の長五郎として、彼は情けを胸に落ち延びていく。放生会とは生きるものへの殺生を慎み、生きとし生けるものを生かす風習であるが、濡髪とその家族にとっては、新たな命に生きる時ではなかっただろうか。濡髪はもう、一人ぼっちではない。家族の絆のうちに生かされ、たとえ捕えられ死罪となろうとも、彼には命がけで自分を愛してくれた家族がいる。
おはやの時宜を得た活躍も美しい。色里から愛する者と結ばれ、濡髪とも旧知の仲、共に表向き華やかな世界に生きた経験を持ち、その中に通じ合うものがある。いまはこの家族を結びつける力を発揮する彼女は頼もしい女房である。
華やかに力を競い男を立て合う相撲の世界の蔭に、こうした家庭悲劇と孤独な魂がある。濡髪のみならず、放駒長吉も、またその背負う家族の絆がある。引窓から降りる月の光が、その静けさと共に、こうした世界のかすかな希望のように明るさをもたらすのを感じた。
■森田 美芽(もりた みめ)
大阪キリスト教短期大学前学長・特任教授。専門は哲学・倫理学 大阪大学大学院博士(文学)キリスト教と女性と文楽をテーマに執筆を続ける、自称「大阪のおばちゃん哲学者」。
(2023年11月4日第1部『双蝶々曲輪日記』、第2部『奥州安達原』観劇)
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