今回の『曾根崎心中』公演は、「近松門左衛門三〇〇回忌」と銘打たれています。元禄十六年の竹本座での初演から数えれば三二〇年。そんなに長いあいだ、上演されつづけ、人々に愛されてきたとは。
俺の作品なんか同時代でもすでに、ていうか最初っから、読まれておらんぞ、と定番のボケもなんだかリアルすぎて自分で笑えず、シュンとなってしまいますが、たとえば、三年前の世間のヒット作は何だったっけ?と思い出そうとしても、そんなに印象に残っているものはありません。三〇〇年間も人気が途切れない『曾根崎心中』のすごさの秘密は何だろう、と気になってしまうのです。
私自身、『曾根崎心中』は朝日座の頃から何度か観ています。何年かあいだがあいて、上演していると、また観たくなる。一人の人間が人生のなかで繰り返して観たくなる。これは人気の秘密を解く鍵のひとつですよね。では私は『曾根崎心中』の何に心ひかれるのか?
義太夫語りと三味線のここちよさ。
お初徳兵衛そして九平次のキャラのおもしろさ。
道行から心中に至る場面の夢幻のような美しさ。
文楽の愉しさを、ええとこ取りでギュッと濃縮した作品です。いろいろな文楽の舞台を観ていくなかで、折に触れて『曾根崎心中』を観ると、「これがザ・ブンラクだ」と自分の「文楽」観がリセットされて、他の舞台がまた新鮮な気持ちで愉しめるのです。
令和のいま、推しキャラ、という言葉をよく聞きます。さっき、キャラのおもしろさ、と書きましたが、『曾根崎心中』の登場人物のキャラクターはとてもシンプルでわかりやすい。
徳兵衛は、たとえば、
わしとても男の我。ソレ畏まつたと在所へ走つた
わしにも大事な銀なれども日頃の誼みはこゝぞと思ひ、男尽くで貸したぞよ
というせりふにも表れているように、直情径行、その挙句に
縁の下には涙を流し、足を取つて押し戴き、息を殺して焦がれ泣き
と、のっぴきならない苦境を招いてしまいます。
お初は、
どうで徳様一緒に死ぬる、徳様私も一緒に死ぬるぞや
と、十九の娘の弱さ強さをはっきり見せる純情一途。
そして九平次は、
へヽ何の徳兵衛が死ぬるものぞ、もしまた死んだらその後は、コレこの九平次が可愛がる
と、どこまでも憎たらしい悪役キャラ。
キャラ立ちの良さは、後世への見事なお手本で、ジャンルを越えて、のび太、しずかちゃん、ジャイアンにまで通じていると思うのですが。普遍的、というか、いつの時代も変わらない人物像の造形が、秘密のひとつでしょうか。
とは言っても、『曾根崎心中』には、時代とともに変わっているところもあります。元禄年間の初演を観たわけではありませんが、原典といわれる江戸期の丸本を読んでみると、現代のものと違っているところが。
江戸期には、「生玉社前の段」の前に、「観音廻り」といって、お初が大坂に三十三カ所あった観音廻りをする華やかな場面があったようです。当時、歌舞伎で、幕開けに人気の役者が出て踊ったりしたそうで、その影響かといわれています。幕開けの観音廻りでお初を招魂し、ラストの「南無阿弥陀仏」で鎮魂するというドラマ構成だ、といった解釈もあります。
現代版ではそうした冒頭部分は省かれて、生玉社前でお初徳兵衛が会うところから始まり、脇道に逸れずテンポ良くストーリーが進みます。詞章も整理されていて、むずかしい古語もそんなになく、クライマックスへとまっすぐに集中していけます。三〇〇年のあいだ、その時代の人の心に合わせて曲節も所作も変化してきたからこそ、令和の私は違和感なしに、いま生きている自分のこととして、共感して感動できる。これもまた秘密のひとつです。令和の『曾根崎心中』を生きた舞台につくりあげている技芸員とスタッフの皆さんを想うと、ツカみの定番ボケに自分でショゲている場合ではない。
あ、三年前のヒット作といえば、『鬼滅の刃 無限列車編』だ。しっかり印象に残っています、ごめんなさい。
それにしても、三〇〇年のあいだ時代の変化に揺らがない、しかもその変化を受けとめて生きる『曾根崎心中』という傑作をつくった近松門左衛門を、令和のいまも、仰ぎ見るばかりです。
■三咲 光郎(みさき みつお)
小説家。大阪生まれ。関西学院大学文学部日本文学科卒業。堺自由都市文学賞、オール讀物新人賞、松本清張賞、仙台短編文学賞、論創ミステリ大賞を受賞。著書に『群蝶の空』『忘れ貝』『砲台島』『死の犬』『蒼きテロルの翼』『上野の仔(のがみのがき)』『お月見侍ととのいました』『空襲の樹』など。
(2023年4月10日第3部『曾根崎心中』観劇)
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