襲名披露狂言
『和田合戦女舞鶴』「市若初陣の段」
和田合戦女舞鶴
元文元年(1736)3月に大坂豊竹座で初演された時代浄瑠璃です。作者は、後に三大名作と呼ばれる『菅原伝授手習鑑』『義経千本桜』『仮名手本忠臣蔵』の合作者のひとりで、『一谷嫰軍記』の執筆半ばで逝去した並木宗輔(千柳)です。
鎌倉幕府三代将軍源実朝の時代に起こった、北条氏が和田氏を滅ぼした和田合戦の勃発を未然に防ごうと働く人々の悲劇を描く五段の物語で、「市若初陣の段」は三段目に当たります。名高い女武者の板額は、得意の武芸を封じられながら、主君の忘れ形見の命を助け、夫の意図を悟り、初陣に手柄を立てたい息子市若の望みをかなえるために苦悩します。一人の女性として選択を迫られる板額の姿、そして晴れて手柄を挙げた市若を称えて人々が見送る場面が聴きどころ・みどころとなります。
外題の女舞鶴は、和田合戦で門破りをして勇名をとどろかせた朝比奈義秀を女性に置き換えたことを示しています(舞鶴は朝比奈の紋)。
(これまでのあらすじ)北条氏と和田氏は、前将軍頼家から将軍実朝の妹斎姫を妻に賜ることになっていたと共に主張していましたが、姫は公家と恋仲でした。北条と和田の反目を利用しようとする藤沢入道が姫を館に預かりますが、姫の乳人の子息荏柄平太は姫に横恋慕をした挙句、姫を討って姿を消します。御家人の浅利与市は藤沢の館に入ろうとしますが、妻の板額が平太の従妹に当たるとして入場を拒まれたため、妻を離縁します。板額は大力を振るって館の門を破り、与市は館に入ります。
市若初陣の段
平太の妻綱手は息子の公暁とともに実朝の母尼公(北条政子)の館に匿われています。平太の妻子を匿う母の館に、実朝は御家人の子供たちを武装させ派遣します。館を守る板額は、抜け駆けした息子の市若と再会します。市若の兜の忍び緒が切れているのを見つけた板額は、夫与市の意図を推量しかねます。後に尼公は公暁こそ頼家の忘れ形見で、実朝の後継者にするために平太夫婦の子として密かに育てさせていたと告白します。尼公に公暁の命を助けるように懇願された板額は、与市のはかりごとを理解し、市若が平太の実子で、平太が市若を取り返しに来たと市若に思い込ませます。市若は、自分が主人を殺した者の子と聞き、武士として誇り高い最期を遂げようとするのですが……。
十代若太夫が襲名披露狂言に選んだ初代ゆかりの演目に、59年の年月を経て、十一代目が新たな生命を与えます、ご期待ください!