豊竹呂太夫 改め十一代目 豊竹若太夫 襲名披露

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ご挨拶
豊竹呂太夫

豊竹若太夫は義太夫節の創始者竹本義太夫の弟子であり、この名前を襲名させていただくことは光栄の至りであります。責任も感じておりますし、この名に恥じない精進を今後ともしていきたいと思っております。

私は三代竹本春子太夫師匠に入門し、師匠が亡くなった後は四代竹本越路太夫師匠門下となりました。理知的なきちっとした語りの越路師匠に細かく稽古していただいたことが私の財産になっています。義太夫節はきちんと型を会得することが大事で、それから個性を出していくもの。型とは、例えばそれぞれの人形のかしら特有の音程のことで、その整理ができてきたように思っています。祖父はわかっていてわざと型を外すところもありました。自分もそろそろそういうこともしていきたいと考えています。

襲名披露狂言の『和田合戦女舞鶴』は、祖父が十代若太夫の襲名披露で語り、初代若太夫もこれを語って評判を上げた、豊竹座にとって重要な狂言ですので、これを襲名で語らせていただくのは非常に名誉なことだと思っています。筋が難解な物語ですが、主従は三世、主のために命をかける親子の話であり、母親である板額の義理と情愛というアンビバレンスを堂々と語りたいです。

祖父は70歳になってからも進化したと言われています。自分も77で若太夫を襲名し、80からでも進化してやるぞという気持ちでおります。

令和6年4月 豊竹呂太夫改め十一代目豊竹若太夫

豊竹若太夫の名跡に
ついて
ABOUT

初代(1681~1764)
通称 河内屋勘右衛門。初代竹本義太夫(筑後掾)に入門、初名竹本采女。元禄16年(1703)豊竹若太夫と改め、豊竹座を旗揚げ。正徳5年(1715)に上野少掾、享保16年(1731)に越前少掾を受領。芝居主、銀主、太夫(出演者の代表)を兼ね、梁塵軒の名で作者としても活動した。延享2年(1745)舞台を引退。高音はもとより声域が広く、歌うような芸風と伝えられ、豊竹座の太夫の芸風を体現する存在で、竹本座の西風に対し、東風と呼ばれた。代表曲として「雪の段(北条時頼記)」「日向嶋」「市若初陣」などが伝承されている。

初代豊竹若太夫肖像(個人蔵)

十代(1888~1967)
本名 林英雄。二代呂太夫に入門し、初代豊竹英太夫を名のる。大正9年(1920)七代豊竹嶋(島)太夫、昭和7年(1932)3月、三代呂太夫となり、昭和25年11月、十代豊竹若太夫を襲名する。昭和23年に文楽が二つに分裂した際は三和会に所属し、その中心となって活躍した。昭和37年、重要無形文化財保持者(人間国宝)認定。声量が豊かで豪快な語り口で知られ、「命がけの浄瑠璃」と讃えられた。「逆櫓」「寺子屋」「志渡寺」などの時代物を得意とした。

十代豊竹若太夫
(豊竹若太夫提供)

襲名披露狂言PROGRAM

襲名披露狂言
和田合戦女舞鶴わだかっせんおんなまいづる市若初陣いちわかういじんだん

和田合戦女舞鶴

元文元年(1736)3月に大坂豊竹座で初演された時代浄瑠璃じょうるりです。作者は、後に三大名作と呼ばれる『菅原伝授手習鑑すがわらでんじゅてならいかがみ』『義経千本桜よしつねせんぼんざくら』『仮名手本忠臣蔵かなでほんちゅうしんぐら』の合作者のひとりで、『一谷嫰軍記いちのたにふたばぐんき』の執筆半ばで逝去した並木宗輔なみきそうすけ千柳せんりゅう)です。
鎌倉幕府三代将軍源実朝みなもとのさねともの時代に起こった、北条ほうじょう氏が和田わだ氏を滅ぼした和田合戦の勃発を未然に防ごうと働く人々の悲劇を描く五段の物語で、「市若初陣いちわかういじんの段」は三段目に当たります。名高い女武者の板額はんがくは、得意の武芸を封じられながら、主君の忘れ形見の命を助け、夫の意図を悟り、初陣に手柄を立てたい息子市若の望みをかなえるために苦悩します。一人の女性として選択を迫られる板額の姿、そして晴れて手柄を挙げた市若を称えて人々が見送る場面が聴きどころ・みどころとなります。
外題の女舞鶴は、和田合戦で門破りをして勇名をとどろかせた朝比奈義秀あさひなよしひでを女性に置き換えたことを示しています(舞鶴は朝比奈の紋)。

(これまでのあらすじ)北条氏と和田氏は、前将軍頼家よりいえから将軍実朝の妹斎姫いつきひめを妻に賜ることになっていたと共に主張していましたが、姫は公家と恋仲でした。北条と和田の反目を利用しようとする藤沢入道ふじさわにゅうどうが姫を館に預かりますが、姫の乳人めのとの子息荏柄平太えがらのへいだは姫に横恋慕をした挙句、姫を討って姿を消します。御家人の浅利与市あさりよいちは藤沢の館に入ろうとしますが、妻の板額が平太の従妹に当たるとして入場を拒まれたため、妻を離縁します。板額は大力を振るって館の門を破り、与市は館に入ります。

市若初陣の段

平太の妻綱手つなでは息子の公暁きんさととともに実朝の母尼公あまぎみ北条政子ほうじょうまさこ)の館に匿われています。平太の妻子を匿う母の館に、実朝は御家人の子供たちを武装させ派遣します。館を守る板額は、抜け駆けした息子の市若と再会します。市若の兜の忍び緒が切れているのを見つけた板額は、夫与市の意図を推量しかねます。後に尼公は公暁こそ頼家の忘れ形見で、実朝の後継者にするために平太夫婦の子として密かに育てさせていたと告白します。尼公に公暁の命を助けるように懇願された板額は、与市のはかりごとを理解し、市若が平太の実子で、平太が市若を取り返しに来たと市若に思い込ませます。市若は、自分が主人を殺した者の子と聞き、武士として誇り高い最期を遂げようとするのですが……。
十代若太夫が襲名披露狂言に選んだ初代ゆかりの演目に、59年の年月を経て、十一代目が新たな生命を与えます、ご期待ください!

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