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文楽かんげき日誌

雪の潔白
―仮名手本忠臣蔵鑑賞記

谷崎 由依

忠臣蔵というものを、じつはよく知らなかった。こう書くと驚かれるだろうし、わたし自身とても恥ずかしい。年末にテレビで放映される赤穂浪士の討ち入りを家族と眺めていたはずなのに、四十七人のお侍が主君の仇討ちをする話、という程度の認識しかなくて、浅野内匠頭と吉良上野介、大石内蔵助のどれが誰だかすぐにはわからず、ひどいときには新撰組と一部混同さえする始末なのである。だから今回、大阪の文楽劇場で、その忠臣蔵を観るということになり、いよいよこの物語と正面から向き合うときが来たなと思った。

しかしである。パンフレットのあらすじを読んだときからすでに、当初身構えていたのとはべつの驚きに出会うことになった。まず、設定が江戸時代ではない。当局への配慮から、室町幕府が開かれたころに時代を移してある。人物の名前や設定も変えてあり、上野介にあたる高師直が、浅野内匠頭にあたる塩谷判官の妻に横恋慕するなど、もとの話にはないようなエピソードも加わっている。

初心者ながらに前回の夏公演で馴染んだあの感じ、『摂州合邦辻』や『伊勢音頭恋寝刃』といった演目に見られた、「……だと思って殺してしまった、または腹を切ってしまったが、じつは……だった」というような、いささか強引な成りゆきが、やはりここにもあるのだった。ぴしっとした裃姿のお侍さんの世界に、入れないかもしれないという不安は吹き飛んだ。強引と称してしまうのは現代的なプロットの観点に縛られているからであり、むしろ近世以前の文芸のおおらかさ、醍醐味だと言うべきだろう。じっさい当時の文楽は高尚な芸術などではなく、庶民が野次を飛ばしながら楽しむ娯楽だったのだろうから。舞台も鎌倉から京都まで、山奥もあれば富士山を眺める東海道の道行きもあり、人形とともにさまざまな場所を旅する趣向になっていて楽しい。

一方で、これが忠臣蔵の神髄かと思うような、こちらも自然と居ずまいをただしてしまうような場面がある。お喋りしたり弁当を食べたりといったことを、江戸時代のひとだって慎まざるを得なかっただろう場面。それは四段目「塩谷判官切腹の段」、そして続く「城明渡しの段」だ。

殿中で師直に斬りかかった判官は、正当な理由があったにもかかわらず切腹の命を受ける。だが腹心の家老、大星由良助の到着が間に合わない。「由良助はまだか」と尋ねる判官。まだ、との答えを聞きながら、白い死に装束を一枚一枚、ゆっくりと肩脱ぎにしていく。痛ましいほどの、細やかな動作だ。じりじりと流れる時間。ふたたび、「由良助はまだか」と。とうとう家老が駆け込んできたとき、主君の腹にはすでに刀が深く差し込まれている。

判官が死んだからには、いよいよ城を明け渡さねばならない。しんと静まりかえった夜、提灯を手にした由良助がたったひとり、門から出てくる。大夫の声はなく、ただ三味線と人形の動きだけがある。何かをこころに刻みつけるように、辺りを見てまわる由良助。そして提灯を地面に置くと、そこに描かれた紋所を切り抜き、懐に仕舞うのだ。

わたしが観ていた回は、偶然だろうか、その動作の際に提灯が火袋ごと下がり、内側の蝋燭があらわになった。そこにゆらめいていたのは電灯でなくほんものの火であった。あのちいさな提灯の内側で、生火を使いつつ燃え移らないよう動かすとは、たいへんなことではないか。提灯を持つのは人形であり、人形遣いが触るのは人形のほうだけなのだ。そう思ったら、身の引き締まるような緊張を覚えた。

そして第二部。京都は山科の由良助の屋敷に、仇討ちをこころざすものたちが集う。冬で、雪が降っている。障子の白に、黒く塗られた桟の配色が鮮やかな舞台装置だ。師直の屋敷の見取り図を見て、作戦を立てる浪士たち。跳ね返った笹の葉からも、粉のような雪が散る。

清冽なそのうつくしさを見るうちに、ああ、この白は判官の死に装束の色だ、と思った。浪士たちの心意気をあらわす雪の色が、亡き主君の潔白を、何よりあかしだてているのだと。大詰「花水橋引揚の段」で、見事敵を討った彼らが、おおきな川と橋のある見晴らしのよい場所を背景に、ならぶ姿は生き生きと、このうえなく清々しい。先に待ち受けるのが切腹であり、死であるのだとしても。信念を貫き通した者たちの、あの風情を忘れないだろう。

■谷崎 由依(たにざき ゆい)
作家、翻訳家。1978年生まれ。京都大学文学部美学美術史学科卒業。2007年『舞い落ちる村』で第104回文學界新人賞受賞。訳書に、キラン・デサイ『喪失の響き』、インドラ・シンハ『アニマルズ・ピープル』、ジェニファー・イーガン『ならずものがやってくる』(ピュリッツァー賞・全米批評家協会賞受賞作)など。京都府在住。

(2012年11月13日『仮名手本忠臣蔵』(大序~六段目)、20日(七段目~大詰)観劇)