八月の初旬、ぎらぎらとした太陽の光が容赦なく照る日の午後、住まいのある京都から電車に揺られ大阪へ行った。目的は近松の『曾根崎心中』を観るためである。
そう書くと、さも長年通い慣れた通のように聞こえるが、なにしろ文楽を実際に観るのはこれが初めて。ビギナーにとっての文楽の観劇は、大夫、三味線奏者、それに人形もあって集中するのに苦労する、と行く前に知り合いから吹き込まれ、おまけに行政からの援助云々がメディアで頻繁に報道されている。おっかなびっくりで出かけたのが、正直なところだった。
開場前まで時間があったので、劇場近くのCDショップに立ち寄ることにした。気になる洋楽ミュージシャンの新譜が何枚か出ていて、和の未知なる世界に入る前、束の間緊張がほぐれた気分だった。
同じ‘楽’でも、僕の洋楽とのつきあいは長年にわたる。中学時代にラジオから流れる米英のポップソングに始まり、ビートルズでロックの洗礼を受けた。
最初の頃は、彼らが歌う言葉(英語)の意味もよくわからなかった。二十二年間のニューヨーク生活でようやく歌詞も理解できるようになったが、当時は音楽が発する盛り上がり、最近の言葉を使うなら、グルーヴだけが頼りであった。そのグルーヴに体も心も揺さぶられ、ますます洋楽の世界にのめり込んでいき今に至っている。
レコードで感じたグルーヴだが、ライヴとなるとひと味違う。もっとパワフルになると言えばいいだろうか。たとえば、二十数年前にポール・マッカートニーのコンサートに出かけたときのこと。会場となったマジソン・スクウェア・ガーデンにビートルズ・ナンバーやソロ、ウィングス時代の曲が流れると、観客はもちろん、ポールや彼のバンドのメンバーたちも参加する一体感が、アリーナ全体を包んだ。その時、その場所にいなければ永遠に得られない、けれど偶然にでも居合わせたなら、生涯心に刻まれるであろう幸福の時間が確かにあった。
『曾根崎心中』を見終わり、帰路に就いた電車の車内で、僕はロックのライヴで体感してきたのに近いグルーヴを噛みしめていた。その数時間前、ほぼ客席が埋め尽くされた文楽劇場にいた僕は、開演の知らせの後、幕が上がるのを後ろのほうの座席から見ていた。近松のあまりにも知られた作品は、僕のような物語の内容を知らないズブの素人でも、そのタイトルから、男女の悲恋物語で結末に「心中が待っている」と察しがつく。
だが古今東西の文学の名作と同様、『曾根崎心中』の物語はプロセスで観る者を酔わせる。この上ないほど互いを愛するお初と徳兵衛にとって、晴れて結ばれるのは来世でしか叶わない。となると、彼らの願いを成就する手段は心中だけだ。家族も将来も捨て、身を寄せ合い、目と目を合わせて息絶えてこそすべての苦しみから解放される。
ところが、この成就がすんなりと行かない。お初が仕える天満屋で、みんなが寝静まったところで、死に場所を求め出かけようとするが、下働きの娘に邪魔に入られ、なかなか実行に移せない場面など、見ていてじれったい気にさせられる。いや、じれったいと言うより、誰にも二人の姿が知れぬようと思うあまり、こちらまでハラハラして来る。
物語の終盤になると、そうした“じれったさ”も手伝い、お初と徳兵衛が何とかあの世で添い遂げられるよう、願いを込めた眼差しを送らずにはいられない。なんとも不思議な話だが、誰か(それが人形であれ)の死を望む自分がいる。
だが、そんな風に感じるのは、僕だけではないだろう。二人の行方を片時も逃すまいと舞台から目を離さずにいる観客たち、さらには彼らが無事に現世の最期を迎えられるのを支える大夫や三味線奏者たちといった人たちも含まれるはずだ。
大きな地点に向かって、大勢の人々がひとつにまとまり突き進む光景は、まさにロックのライヴで経験したものだ。あの日、<ヘイ・ジュード>が醸し出す躍動感に、そこにいたほとんどの人が心震わせたように、『曾根崎心中』で“僕たち”の願いが達成されたそのとき、満ち足りた思いが文楽劇場の隅々まで駆け巡った。その感動は、今も僕のどこかで燻っている。
■新元 良一(にいもと りょういち)
文筆家。京都造形芸術大学文芸表現学科教授。22年間ニューヨークで暮らした後、2006年に帰国し現在に至る。1959年生まれ。『新潮』『文学界』『すばる』『小説現代』『本の雑誌』『ダ・ヴィンチ』などの雑誌に、創作、翻訳、小説、評論、エッセイなどを寄稿。著書に『One author One book』『翻訳文学ブック・カフェ』『アメリカン・チョイス』『あの空を探して』など。京都府在住。
(2012年8月3日『曾根崎心中』観劇)
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