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文楽かんげき日誌

いしいしんじ

人形が笑い、嘆き、恥じらい、血相を変えて怒る。水鳥の飛びたつ勢いで駈けより、宝物のように手をとりあい、そうして薄闇で折り重なる。義太夫と三味線、人形遣い、客席の僕たちに囲まれた空間で、これらのことは起こる。深山の奥でそっと、白装束のひとびとが輪になって行う、秘密の舞のように。あるいは、閉じられた分娩室で、はじめてこの世の息を吸ったいきものが、ゆっくりとまわす手足の挙動のように。

『曾根崎心中』を何度見ても圧倒されるのは、いつ見ても初めてのような気がすることだ。ひょっとして、だから「初」という名前なんじゃないかと、栓のないことを考えてみたり。壮大なスペクタクルとは無縁、あまりにも陰気な筋立て、はっきりいって、こんな理不尽、ムチャクチャな話はそうそうない。それなのに終演後、席をたつときには、なにかとてつもなくおいしいもので、からだが満たされている感覚を味わう。「芝居」というより、「ほんもの」を見た、立ち会った、というのが実感に近い。そうしてそれは、生身の人間が演じている歌舞伎などより、いっそう深くそう感じられるのだ。

七月三十一日の『曾根崎心中』は、ゆったりと空気が動いた。生玉、天満屋、天神森の段と、劇場全体が、だんだんと夏の夜空に浮上していく感覚があった。五年前の同じ演目は、いっそう激しかった。天満屋の段で、そこにいる誰もが、義太夫に揺さぶられ、ばらばらに千切れていきそうなところを、辛うじてまた義太夫につなぎとめられる。さきほど「人形が笑い、嘆き、恥じらい」云々と書いたが、あの晩の舞台には、「人形が」「人間が」といった区分を越えて、太字の「笑い」「嘆き」「哀しみ」そのものがあった。ことばにならない巨大な感情が、義太夫のむこうから浮かびあがり、三味線の弦に形を整えられ、大きく僕たちを包みこんでいった。

文楽には、目にみえているもののその先に耳をこらし、そこからなにを「聴く」か、というところがあり、また、同じ演目であっても、そのなにかは毎回ちがう。人形は、だから、なにかを容れ、運び、供する、「器」としてそこにある。人間もじつは、そうではないのか、と文楽は僕たちに問いかける。お前は「器」としてなにをたたえ、それをいったい誰にもっていくのか。大切な誰かが、乾きに悶え苦しんでいるとき、「器」として身を捧げ、からっぽになり、粉々に砕け散ることが、お前にはできるか。天満屋の縁側で、見え隠れするお初の足は、僕たちの喉にも突きつけられている。

そうして天神森まで来てしまったなら、もはや、誰が、いつ、という話ではなくなる。心中の場面は、人間がいくら迫真して演じたとして、「死んだふり」である。対し、三味線がかみそりのように青々と響きわたるなか、舞台に人形が投げだされる瞬間、そこに生々しい、「ほんもの」の「死」が出現する。

それは、いきいきと操られていた人形が、人の手が離れた瞬間、動かなくなる、というだけのことではない。それまで「器」としての人形にためこまれた「生」のエネルギーが、瞬間、客席全体に驟雨のように降りそそぎ、そこにあるすべてが、目にみえない光のしずくでずぶ濡れになっている。僕たちは、お初から、徳兵衛から、あたらしい生を受け継いだのだ。

今日限りでなく、天神森の段がくりかえされるたび、ふたりの生は客席、人形遣い、三味線、義太夫と、劇場じゅうに惜しみなく振りまかれ、残り香となって堆積し、また別の日、文楽劇場をおとずれる人の生をも、まあたらしく色づかせる。『曾根崎心中』を、毎回「初めて」のように感じるのは、ふたりが身を投げだしてくれているからだ。人形のように死ねるだろうか、と文楽をみる毎にいつも思う。文楽の人形のように笑い、嘆き、恥じらい、血相を変えて怒る。死ぬときは生を発散して死ぬ。それこそ人間本来の姿ではないか。

■いしいしんじ
作家。1966年生まれ。京都大学文学部仏文学科卒業。2003年 『麦ふみクーツェ』で第18回坪田譲治文学賞、2012年『ある一日』で第29回織田作之助賞受賞。著書に、『トリツカレ男』『ぶらんこ乗り』『プラネタリウムのふたご』『ポーの話』『みずうみ』『四とそれ以上の国』など。現在「いしいしんじのごはん日記」をウェブで公開中。京都府在住。

(2012年7月31日『曾根崎心中』観劇)