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文楽かんげき日誌

人形の死

玄月

落語に「胴乱の幸助」という噺がある。時代は明治。一代で割り木屋(燃料店)の大店を興した男は、お茶屋遊びも博打も芝居見物も、道楽は一切しない。ゲイシャっちゅう紗は夏着るんかい冬着るんかい、タイコモチは煮て食うんか焼いて食うんか、というほどだ。唯一の楽しみは、喧嘩の仲裁をしその後酒をふるまうこと。江戸時代初期の侠客・幡随院長兵衛を気取り、義侠心に富んでいるが、町人からはただ酒を飲ませるお人好しのおやっさんとして知られている。ある日喧嘩(もちろん、ただ酒を飲みたいがためのやらせ)の仲裁をひとつ終え町を歩いていると、ある家から諍いの声が聞こえる。そこは浄瑠璃の稽古屋で、「桂川連理柵」(別名、お半長)の帯屋の段、姑の嫁いびりの稽古中だった。子供でも知っている浄瑠璃である。割り木屋のおやっさんはそこに飛び込むが、浄瑠璃がなにかをまったく知らないから説明されても納得できず、お半長の舞台、京都に向かう。作り話の喧嘩の仲裁をしに。

この噺は、浄瑠璃が庶民に広く親しまれていたからこそ、笑い話になりうる。戦前まで、大阪のあちこちに庶民のための浄瑠璃の稽古場があったという。落語で浄瑠璃を扱う噺には他に「義太夫息子」や「軒付け」「寝床」などいくつもあり、浄瑠璃がどんなものか、私は落語からほんの少しだけ学んだ。上方落語における浄瑠璃は、文楽の義太夫節とおなじだと断定していいのかどうか私にはわからないが、おそらくそうだろう。文楽についても、雑誌や書籍から知識はなにかしら入ってきた。NHKで見たこともある。しかしだからといって、文楽がぐっと身近になったわけではない。

国立文楽劇場ができたのは、私が十九歳のとき。家から自転車で二十分、地下鉄で三駅という近さ、前はほんとよく通りかかる。そのたび、そのうちこようこようと思った。大げさにいっているのではない、三十年近く、本当に思っていた。かすかな罪悪感とともに。  おなじような感覚を持つ大阪人は多いにちがいない。大阪の誇れる文化・芸能なのだから親しまなければならない、という軽い強迫観念。それが、さらに文楽を遠ざける、という悪循環。いつかはやらないといけない用事をずっと先送りし、いよいよ間に合わなかったら必ず後悔するだろうが、ホッとするのも見えているような感じ。

この夏、ようやく文楽劇場に足を踏み入れた。「夏休み文楽特別公演」とは、初心者にちょうどいい。「曾根崎心中」の粗筋は昔から知っている。勉強も少ししてきた。席は少し遠く、双眼鏡を持ってきてなかったので、人形の表情はまったくわからない。舞台は奥行きが少なくフラットだ。右手には太夫と三味線のための「床」と呼ばれる舞台が張り出していて、正面を見ていると視界から外れる。

生玉社前の段、お初が徳兵衛に走り寄る、そのなまめかしさったら。ゾクッとした。首の傾げ方、顔の上げ方、手が作る品の、あふれる情感。やがて人形がわらわらと現れ、三人遣いも、脇役の少し小さい一人遣いも、ごっちゃになり、徳兵衛がぼこぼこにされる。人形より二回りは大きく数も二倍以上いる黒衣で、舞台が一杯になる。黒衣は存在感を消さない。人形の白い顔とのコントラストが、より存在を示している。不自然に感じないのはなぜだろう? さも生きているかのような人形と、それを操る人間は、文字通り一体だ。はっきり存在しながら、人形の輝く存在感を損なわない、なんと不思議な。

義太夫節は、正直あまり聞き取れない。古いといっても日本語で大阪弁なのだから、ある程度わかってもよさそうなのだが。舞台上部に字幕が出る。隣の着物姿の女性は、舞台を見ずに床本をじっと見ている。浄瑠璃を習っている人なのだろうか。芸事を習うには一流を見聞すべし。

舞台に集中していると、義太夫節と三味線が、なくなっているのに気づくことがあった。聞こえなくなるのではない。なんといえばいいのか。音として聞こえていても、独立した音として存在していない、とでもいえばいいのか。人形と調和している、というのとはちがう。人形自らが発しているように聞こえるわけでもない。人形と義太夫節と三味線の三者(ここに黒衣を加えれば四者)は、まるでちがうものなのに、完全に一体化していて、不可分なのだ。

しかし、私は義太夫節をちゃんと聞き取れない。義太夫節は筋と台詞を語るのだから、人形の動きに言葉の意味がぴったり添って理解できなければならない。字幕を追っているようではだめだ。訓練しよう。

天神森の段。お初徳兵衛道行。人形の主遣いが顔をさらしている。「出遣い」と呼ばれているそうだ。人形の顔の横に生身の人間の顔。違和感はない。『生』を与えられた人形は、そんなことではくすまない。

しかしその『生』も、終わる瞬間がくる。お初と徳兵衛が絡み合う。客席に背を見せるお初に、正面を向いた徳兵衛が刃を向け、突き刺す。返す刀で自らの喉を突く。生きて、生き様をさらしてきた人形の『死』。

死を、美しいと思った。

■玄月(げんげつ)
作家。大阪南船場で文学バー・リズールをプロデュースし、経営している。1965年生まれ。大阪市立南高等学校卒業。2000年「蔭の棲みか」で第122回芥川賞受賞。著書に、『山田太郎と申します』『睦言』『眷族』『めくるめく部屋』『狂饗記』など。大阪府在住。

(2012年7月26日『曾根崎心中』、7月31日『摂州合邦辻』『伊勢音頭恋音刃』『蝶の道行』『曾根崎心中』観劇)