文楽「楠昔噺」を観ました。
タイトルに「祖父は山へ柴刈りに 祖母は川へ洗濯に」と書いてあったので単純に「ああ、桃太郎の話か」と思っていました。でも一緒に観に行った友だちが「それがねえ、私もそう思って下調べしたら全然違う話なんだよ! 歴史物なんだよ! 内容を詳しく聞きたい?」 と言ったので「いや、聞きたくない」と答えました。私は下調べしないで真っ白い状態で作品を観たいタイプなのです。 「じゃあ、どうしても抑えておいたほうがいい重要ポイントだけ教えるよ。おじいさんとおばあさんは再婚同士です」 「と、いうことは、お互いに別に家族がいるってことだね?」 なるほど、私は単純に川から何かが流てきて拾う話ではなくてお互いの家族についてのトラブルの話なんだなと想像しました。
お芝居がはじまりました。ゆったりとおじいさんは山へ芝刈りに出かけ、ほのぼのとおばあさんは川で洗濯をしてます。ふたりは仲良しでそれぞれおじいさんには息子、おばあさんには娘がいて、相手の子どものことを気遣ってます。おばあさんが洗濯をしようと着物のすそをまくるとおじいさんが「コラコラそんなにまくるな、仙人が見てるかもしれん」などと言って笑いあってます。のどかでいい風景だなあ……。 そんな結構ラブラブな二人の横を二人の麦刈り男が天王寺合戦の噂話をしながら通りかかるのです。それで一気に二人に不穏な空気が流れ、その後通りかかった天王寺の戦に出たと思われる人に聞いた噂話でますます二人の中に気まずい空気が流れます。 お互いに「何か隠してることがあるんじゃないの?」な疑心暗鬼な気持ちになり、とうとう「ふん、ワシは勝手に家に帰る!」「私だって勝手に帰りますよ!」と夫婦喧嘩になってしまいます。いつの時代もどんなに仲良しの夫婦でも相手に言えない秘密があったらすぐに喧嘩になっちゃうんだなあ。 その時におじいさんが刈ってきた柴をおばあさんがかついで、おばあさんが持ってきた洗濯セットをおじいさんがかつぐのは、「それだけお互いに頭に血が上っちゃったんですよ」の表現なのでしょうか。でも、そういう感じも「のどかでいいなあ」と感じたのでした。 そして一幕が終わりました。 観劇友だちに「一幕は何も起こらなかったけどこの後何かがおこるの?」と聞くと「起こる。けっこう大変なことが」との答え。 きっと桃太郎は出てこないのだろうし、けっこう大変なことってなんなのかなあ?何も予想が出来ないまま二幕目を観ました。
二幕目は老夫婦のお家でのお話です。孫の千太郎君の端午の節句のお祝いをしてるところに物売りがやってきます。この物売りがとてもとても存在感ありすぎて「この人はただの物売りではないな。きっとこの人が物語の鍵を握る人物に違いない」とすぐにわかりました。「ちょっと休ませてもらおう」と牛小屋に入ってしまうのも怪しい感じです。物語は進んでいっておじいさんとおばあさんはお互いに言えなかった秘密を打ち明け合って仲直りします。実は自分たちの子どもは天王寺合戦での敵同士になっているのです。 実際にそんな関係性になっていたら……そりゃあ親としては複雑な気持ちですよね。自分たちは愛し合ってるけど子どもが敵どうしだなんて、逆ロミオとジュリエットみたいです。 それでこの危機をどうするのかな?と思っていたらなんと、たまたま孫が男の子と女の子だったので孫同士を結婚させて丸く収めちゃえ!と和睦をはかるのです。 それはなんて無茶な……と思っていたらやっぱり母親たちが出てきて「そんなこと絶対ダメ!」と反対されてしまいます。そりゃあそうですよね。 で、その後どうするのかな?と思っていたら障子にピシャッと血がしたたって……一体何が起こったの? と動揺してたら、なんと老夫婦は切り合って血まみれになってるのでした。 血まみれになってから、おじいさんがなんでこういうことになったのかを延々と説明してくれるんですけど、聞いてて「もういいよ、もうしゃべらなくていいよ。痛くてつらいんだから」と何度も思ってしまいました。なのでイマイチどうしてこうなっちゃったのかがわからなかったんですけど、まあこんなことになったのだからよほどの深い事情があったのでしょう。 そしてもういよいよ最期だという時に「せめて孫に会ってください」と言われておじいさんが「孫に会うと心が残るから止めておく。もしも孫が私たち二人はどこへ行ったか? と聞いてきたら、祖父は山へ柴刈りに、祖母は川へ洗濯に、と言ってくれ」と言うので、ああ、あのタイトルはこういう意味だったのかあ、とグッと来て涙が出そうになるのでした。 おじいさんとおばあさん、子どもが敵同士にならなかったら、のんびりと山に行って柴刈りして川で洗濯をして笑い合いながら人生を終えることが出来たかも知れないのに。 おじいさんとおばあさんは同時に息を引き取ります。ああ、せめて死ぬ時は一緒で良かったね。あの世でも仲良く出来たらいいね。と、思っていたらその後、牛小屋にいた物売りが出てきたので「やっぱりお前は鍵を握る人物だな」と思ったら、なんとおじいさんの息子だったのです!! しかもその様子を聞いててもらい泣きしたとか言ってるのです! でもってその後、もうひとりの敵(おばあさんの娘の夫)出てきて、その場でなんだか戦い始めるのです。 なんてこった! 自分たちの親が目の前で死んでるのにそこで戦い出すか?と思っていたら、なんとなんと、死んだはずのおじいさんがむっくり起き上がって二人がもみ合って持ってる槍の柄の真ん中をバシッと切り折ってまた倒れるのです。 おじいさん! すごい!カッコいい! 死んでも子どものことを思う親の気持ち、強すぎる! なんだかスカッとした気持ちになりました。 おじいさんがそんなウルトラびっくりすることをしたので戦ってた二人は正気に戻ります。 「せめて四十九日が開ける日まで戦いは中止してください」という妻の言葉に二人共同意してそれぞれの親を抱きかかえます。 「それじゃ、また戦場で」「戦場で」とそれぞれに別れて行ってしまいました。おわり。
幕が降りてすぐに私は観劇友だちに聞きました 「おじいさんとおばあさんはそれぞれの子どもに抱えられて別のところに行っちゃうの?」 「まあ、あの様子だとそうだろうねえ」 「えー、あんなに仲が良かったのに死んだら引き離されちゃうの?」 「いやいや、ホラ死んだあとのことは本人たちはわかってないしさ」 「えー、でもなんだか寂しいな。一緒のお墓に入れて欲しいな」 「まあ、それはそうだねえ」
というわけで、最後は寂しい気持ちになってしまった「楠昔噺」だったのでした。
■細川 貂々(ほそかわ てんてん)
漫画家。1969年埼玉県生まれ、セツ・モードセミナー卒。さまざまな職を経たあと1996年に集英社「ぶ~けDX」にて漫画家デビュー。短編作家として多くの漫画雑誌に執筆。
夫の望月昭の闘病を描いた『ツレがうつになりまして。』を2006年に発表。
評判となりNHKドラマ化(合津直枝プロデュース)、東映によって映画化される(佐々部清監督)。
東日本震災後、首都圏から兵庫県宝塚市に転居。大好きな宝塚歌劇三昧の生活を送っている。
(2017年4月16日第二部『楠昔噺』『曾根崎心中』観劇)
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