文楽劇場前の桜が満開です。桜と並んで、
「六代目豊竹呂太夫」
の文字を染め抜いた色とりどりの幟が鮮やかです。
四月公演の初日。第一部は『寿柱立万歳』と『菅原伝授手習鑑』。豊竹英太夫改め六代豊竹呂太夫襲名披露口上があって、六代呂太夫さんが『寺子屋の段』を語ります。
開演前に二階のロビーに上がると、呂太夫さんご本人がいらっしゃいました。ファンに取り囲まれて、華やかで、浮き立つような雰囲気が溢れています。そんな明るい空気は開演後も続きます。『寿柱立万歳』の舞台に上がってくる太夫、三味線の皆さんが、揃いの桜色の衣装で、幕が開く前から、あ、春だ、と嬉しくなりました。というのも、今年の三月はいつまでも冬の寒さが残って、つい一週間前まで、真冬に着るぶ厚いコートを羽織っていたのです。この数日で急に気温が上がり、慌てて春物に替えたばかりでした。春の景色を落ち着いた気持ちで目にするゆとりがなくて、今ようやく、楽しくめでたい万歳で、遅れてきた春を愛でることができたという思いです。
第一部のメインは『菅原伝授手習鑑』です。この公演では、『茶筅酒の段』、『喧嘩の段』、『訴訟の段』、『桜丸切腹の段』から成る、いわゆる「佐太村の白太夫と三つ子」編と、『寺入りの段』、『寺子屋の段』から成る、「芹生の里の寺子屋」編の二つのエピソードを楽しめます。 『菅原伝授手習鑑』では、モデルになった右大臣・菅原道真は「菅丞相」と呼ばれています。醍醐天皇の御代に、左大臣・藤原時平の讒訴に遭って大宰府へ配流となった事件は有名です。 「佐太村」編の舞台は、河内国佐太村の、菅丞相の下屋敷。流罪となった主君を案じながら屋敷を守るのは、百姓の四郎九郎。七十歳の祝いを機に、白太夫と改名し、祝いの席を設けます。白太夫には、三つ子の梅王丸、松王丸、桜丸がいて、それぞれが、菅丞相、藤原時平、帝の弟の斎世親王に仕えています。 つまり、政敵である二家に身を置く梅王丸と松王丸は兄弟だが敵味方の関係で、老父の祝いに来ても、取っ組み合いの激しい喧嘩になってしまうのです。 しかしながら、「佐太村」の中心人物は、あと一人の桜丸と、父・白太夫。皆が帰った後で、桜丸は切腹すると言います。菅丞相配流の理由は、皇位略奪を企てたというものでしたが、その証拠とされたのは、菅丞相の娘と斎世親王の密会事件で、密会を御膳立てしたのが桜丸だったのです。 桜丸切腹の場面では、舞台中央に白装束の桜丸、下手に泣き嘆く女房の八重、上手に、介錯する代わりに鉦を鳴らす白太夫。竹本文字久太夫さんの語りに、吉田玉也さんの白太夫が鉦を重ねて、我が子の死を見送る親の苦悩を痛切に表現して泣かせます。
休憩を挟んで、六代豊竹呂太夫襲名披露の口上があります。 豊竹咲太夫さん、鶴澤清治さん、桐竹勘十郎さんが口上を述べます。聴くこちらも身が引き締まります。ちょっとくだけたユーモラスな話を交えたりもして、会場は温かい笑いに包まれます。アドリブっぽいところがあるので、毎日違うことを言うのかな、毎日聴きに来たいな、と思います。呂太夫さんへの先輩、同輩の愛情いっぱい、文楽愛いっぱいの口上です。
襲名披露狂言は『寺子屋の段』です。 菅丞相から筆法を伝授された元家来・武部源蔵は、芹生の里で寺子屋を開き、菅丞相の子・菅秀才を匿い育てています。ところが、時平の家来、春藤玄蕃と松王丸に、菅秀才の首を差し出せと迫られます。たまたまその日に寺入り(入門)してきた小太郎という少年を身代わりにしてその首を渡すのですが、菅秀才の顔を知っている松王丸が首実検をします。絶体絶命、のはずが、松王丸は菅秀才の首に間違いないと言います。 実は、小太郎は松王丸の子でした。松王丸は、恩のある菅丞相の子を救うために、我が子を犠牲にしたのです。悪役、裏切り者と思われていた人物が実は忠臣として「裏切る」の反対の「表返る」で観客を驚かせる。文楽の定番のひとつですが、この逆転には大きな「自己犠牲」が伴い、ドラマが一気に沸騰点に達します。六代豊竹呂太夫さんと、切(きり)の豊竹咲太夫さんの語りでそれを堪能できます。 小太郎がにっこり笑って首を差し延べた、と聞いて、でかした、と笑い泣く松王丸に、涙腺崩壊です。
佐太村の白太夫。寺子屋の松王丸。どちらも、子を喪う話です。「義」と「情」がせめぎあい、葛藤の果てに、深い感動に達する。文楽でしか味わえない体験です。
■三咲 光郎(みさき みつお)
小説家。大阪府生まれ。関西学院大学文学部日本文学科卒業。
1993年『大正暮色』で第5回堺自由都市文学賞受賞。1998年『大正四年の狙撃手(スナイパー)』で第78回オール讀物新人賞受賞。2001年『群蝶の空』で第8回松本清張賞受賞。大阪府在住。
(2017年4月8日『寿柱立万歳』、『菅原伝授手習鑑』観劇)
Copyright (C) Japan Arts Council, All rights reserved.