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文楽かんげき日誌

へそまがり解釈『心中宵庚申』

仲野 徹

 「心中宵庚申」、近松門左衛門最後の世話物だそうな。ストーリーは地味な夫婦心中。たいがい心中物というのは、男がなんらかの過ちを犯したり騙されたりするのだが、この話には、そのようなものはない。意地悪な養母が悪いだけ、というところか。しかし、よく考えてみたら、そんな単純なものではないような気がする。あらすじはこうだ。


 元は武士の子であった半兵衛、故あって八百屋伊右衛門の養子になっている。半兵衛が旅に出て留守の間に、妻お千代が、姑である伊右衛門の女房に離縁され、実家に戻される。旅の帰り道、その家にやってきた半兵衛は、お千代の父・平右衛門に離縁のことなどでなじられる。離縁されたことなどあずかりしらなかった半兵衛は、自害して申し開きしようとするが、義父に諭されて思いとどまる。そして、伊右衛門の元へと戻る半兵衛とお千代を、添い遂げて二度と戻ってこぬようにと、平右衛門が水杯と門火で送り出す。これが「上田村の段」。


 次いで「八百屋の段」。伊右衛門の女房、性悪とはいえ半兵衛にとっては義理ある養母である。その養母が非難されないようにとの配慮から、半兵衛は自らお千代を離縁する。しかし、それでは、いつまでも夫婦でいるとの半兵衛への約束が果たせない。で、心中と相成る次第。最後の「道行思ひの短夜」では、生玉神社前の大仏勧進所で、お千代を刺した後、半兵衛が武士らしく切腹する。


 まぁ、伊右衛門の女房さえおらんかったら、心中にはいたらんかった訳で、この婆がいちばん悪そうに見える。役割には、○○女房・なんとか、と名前があるのが普通だが、伊右衛門の女房には名前がふられていない。あまりにひどい婆だから匿名にしてあるのかもしれん、と思えるほどだ。確かにひどいのはひどい。


 しかし、いくら性格が悪いとはいえ、誰もその意地悪な行為を止めないというのはいかがなものか。まずは伊右衛門。自分の嫁やねんから、勝手に離縁させるのを止めろよ。それから平右衛門。お千代が過去二度の離縁歴を持っているから遠慮してるのかもしれんが、娘のために、舅と姑に逆ねじくらい食わしたらんかいっ!病身であることを差し引いても、せめて手紙くらい出して文句いうたらどうやねん。


 「日の目も見せず殺すかと思へば可哀うござんす」と、お腹の子を哀れんで泣き伏すお千代は不憫である。その前に、「水杯のその上に門火まで焚かれしは、生きて再び戻るなと、わしに意見の暇乞ひ」と嘆くのであるが、水杯やら門火やら辛気くさいことをする父親の態度もいかがなものか。困り果てている2人に、そんなことをするのは、死になはれと教唆しているようなものではあるまいか。

    

 さらに問題なのは半兵衛だろう。この男、どうにも死に場を探していたような気がしてならない。平右衛門に、平家物語をひきあいに、自分で離縁しておいて義母のせいにするとは何事かとなじられたところで、そうではありませぬと説明したらよかろう。なんせ、お千代が離縁されていたことは知らなかったのだから。なのに、いきなり「親父様に番(つが)ひし詞、違へぬ武士の性根を見せる。見て疑ひを晴れ給へ」と切腹しようとするのは、どういうことよ。「二十二の歳からご面倒に預かり」16年たっているのだから、半兵衛38歳、分別盛りだ。いくらなんでも性急すぎはせぬか。


 養子に来てから、半兵衛はずっとつらかったらしい。心中の前になって、「辛い目ばかりに日を半日、心を伸ばすこともなく、死なうとせしも以上五度」、ここまで我慢したのに縁切りまでさせられては口惜しいと「拳を握り、膝に押し付け身を震はし、涙はらはら」泣くのである。すでに五回も死に場所を探した経験があったんや、やっぱりなぁ。


 名無しの性悪婆は、お千代を家へ連れ戻した半兵衛を親不孝となじり、離縁をせまりながらも「おれも鬼にはなりともない」と語っている。まさか心中までするとは思っていなかったのだろう。離縁せねば「コレこの母が喉笛を出刃庖丁でちよいぢやぞや。母殺すか女房去るか」とか言っているが、こんな婆が、その程度のことで死んだりすまい。


 確かに婆が悪いけど、お千代以外の他の人たちにも責任があるんとちゃうんか、という気がしてくる。近松、ひょっとしたら、シンプルなストーリーを装って、じつは、世の中にはちょっとしたことが積み重なって、とんでもない悲劇になることがある、ということを最晩年に語りたかったのではなかろうか。


 研究者というのは因果な商売である。同じデータを見て他人と違うような考えをするのが仕事みたいなところがあって、それが習い性になってしまっている。だから、こんな屈折した解釈をするのかもしれない。しかし、考えれば考えるほど、「婆ひとりだけが悪いのと違う説」が正しいような気がしてくる。自分の考えが正しいと思い込むのも、研究者の悲しき性ではあるけれど。

■仲野 徹(なかのとおる)
大阪大学大学院、医学系研究科・生命機能研究科、教授。1957年、大阪市生まれ。大阪大学医学部卒。内科医として勤務の後、「いろいろな細胞がどのようにしてできてくるのか」についての研究に従事。エピジェネティクスという研究分野を専門としており、岩波新書から『エピジェネティクス-新しい生命像をえがく』を上梓している。豊竹呂太夫に義太夫を習う、HONZのメンバーとしてノンフィクションのレビューを書く、など、さまざまなことに首をつっこみ、おもろい研究者をめざしている。近刊の『こわいもの知らずの病理学講義』(晶文社)が絶賛発売中!

(2017年11月11日第二部『心中宵庚申』『紅葉狩』観劇)