パリンと渇いた音を立て、飾っていた本棚から、人形が落ちて割れてしまった。人形といっても、中国の友人からプレゼントでもらった三国志の劉備・関羽・張飛、三兄弟の陶製の人形で、小説でも一番そそっかしかった張飛の人形が落ちたのである。
地震もなく、家族のだれも近くにいなかった。一人でに歩いて勝手に足を踏み外したといった感じの落ち方だった。
張飛は胴から真っ二つになって、腕ももげていた、変わり果てた弟の様子を上から劉備と関羽が心配そうに見下ろしている。
人形が壊れて床に転がっている様子というのは、何やら空恐ろしくいたたまれない気持ちにさせるものがある。
修復は難しそうだが、10年近く一緒に過ごした人形だし、資源ごみに出すには愛着があり過ぎる。ということで人形供養で有名な淡島神社に持っていくことにした。
和歌山は加太にある淡島神社は、テレビや雑誌で紹介されることも多く、私も以前から行きたいと思っていたのだが、実際に訪れると、青い海を前庭にした境内にずらりと二万体の人形が並んでいるさまは圧巻の一言。招き猫や信楽焼のタヌキはまだしも、おかっぱの市松人形や、お雛様がひしめきあっているさまは、夜に見たら悲鳴をあげてしまうかもしれない、妖気を感じさせられる。
ただ、これだけお友達がいれば、兄弟から離れても張飛は寂しくないだろう。可憐な市松人形や、滑稽な福助人形と並んで、張飛が虎髭を怒らせているさまも想像するとおかしい。
社務所に供養をお願いし、お参りもすませると、何やらさっぱりした気持ちになった。人形がひとりでに壊れるのは、誰かの不幸を肩代わりしたからであるともいう。
時間に余裕もあったので、神社の外をのんびり散策してみることにした。太陽がのしかかってくるように暑い日だったが、それだけに海は釉薬を焼き付けたように青くギラギラと輝いている。
この海で神功皇后が航海中嵐にあい、託宣に従って船の「苫」(とま)を投げて、難を避けることが出来たというのが、淡島神社の縁起だという。
ヤマトタケルの妻、オトタチバナヒメが海中に身を投げて、海神の怒りを宥めたという『日本書記』の記述や、『魏志倭人伝』に書かれてある、航海中、人にも会わず、虱も取らず、肉食もせずに身を慎み、旅が無事終われば褒美を受けることが出来るが、海難にあうと海に投げ込まれたという持衰(じさい)の故事を思い合わせると、おそらくこの苫は海に投げ込まれる贄人(にえびと)の暗喩か、形代であったように考えられる。
淡島神社が人形供養の社になったのは、人の代わりに投げ込まれた苫、人形が神社の由来であるからなのかもしれない。
壊れて倒れた人形を見て、私達の胸がざわつくから、人形は人の身代わりに神に捧げられてきたのだろうか。それとも、人形が人の身代わりに神に捧げられてきたから、私達の胸はざわつくのだろうか。
長い前置きになったが、今回観劇させてもらった『源平布引滝(げんぺいぬのびきのたき)』でも、様々な人形が血を流し倒れていった。
平家の追手を一手に引き受けて壮絶な最期を遂げる源義賢、源氏の白旗を守って獅子奮迅の戦いのすえ船上で片腕を切り落とされる小まん、おのが孫に母の形見の刀で脇腹を刺され斃れる瀬尾十郎。
源平合戦に典拠した物語は、次々と血を求め、人形を壊していく。
実は源義賢は平治の乱よりずっと前に、平家ではなく、源氏内の抗争で、源義朝の子供、義平に討たれている。作中では、兄義朝の髑髏をふむように迫られ困っているが、本当だったら喜んでやりたいくらいだろう。
しかし、このくらいの史実との乖離は、文楽では当たり前なので、義賢のキャラクタも、源氏でありながら平治の乱では平家方につきその葛藤を以仁王の放棄まで抱え続けた源頼政や、義朝の仇討ちを宿願にした頼朝・義経兄弟のイメージが足しあわされたものと考えればいい。
それよりも、私はいわゆる英雄を人形が演じ、その人形が次々に斃れていく様を見て、英雄の本質というものを見たような気がした。
彼らは淡島神社の縁起となった「苫」である。
荒ぶる海に投げ込まれる「苫」と同じく、彼らは荒ぶる世に投げ込まれる「贄人」だったのだ。
この物語の、その後の史実をたどると、斎藤実盛は、立派に成人して義仲の部将、手塚光盛となった太郎吉に討たれて死ぬ。その義仲も太郎吉も一時平家を遂って京都を制圧しながら、義経との戦いに敗れて死ぬ。
乱世というあらぶる海に次々に投げ込まれていく「苫」英雄たち。
このあまりに凄惨な人命の蕩尽は、義仲と太郎吉を討った義経が、「花のように美しい」と京都の女官たちから誉めそやされた平宗盛をはじめとする平家の公達たちを、全員、壇ノ浦に投げ込むことでようやく帰着する。
いやまだ終わらない。
生贄の祭りを演じた、祭祀者は最後、自らも贄として捧げられなければならない。義経もまた、兄頼朝の手によって、衣川で死ぬ。
思えば人のやることは狂暴すぎる。七十年前の荒ぶる海は、幾百万の「苫」を飲み込んでようやくのどかになった。
今回のかんげきは夏休み特別公演ということで、子供の姿の目立つ公演だった。『金太郎の大ぐも退治』ではおおぐもの姿に興奮して走り出し、『赤い陣羽織』で馬糞に顔の埋まった庄屋たちの姿に哄笑をあげていた。
彼らの姿と比べ、『源平布引滝(げんぺいぬのびきのたき)』のラスト、綿操馬にまたがりつつ、いたいけない声で斎藤実盛に「勝負々々」と挑戦する太郎吉の姿は、健気ながら痛々しいようだ。先述した通り、太郎吉には手塚光盛という英雄、「苫」となる運命が待っている。
しかし、平成の子供たちは、どうぞ「苫」にならず、またそうなることを世間から求められもせず、いつまでも海はのどかで、決して荒ぶることのない世でありますように。
■黒澤はゆま(くろさわはゆま)
作家。1979年生まれ。宮崎県出身。九州大学経済学部経営学科卒業。九州奥地の谷間の村で、神話と民話、怪談を子守歌に育つ。小説教室『玄月の窟』での二年の修行の後、2013年『劉邦の宦官』でデビュー。大阪府在住。
(2017年7月29日第一部『金太郎の大ぐも退治』『赤い陣羽織』、第二部『源平布引滝』観劇)
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