文楽の舞台は、あちらにもこちらにも見たいところ・見るべきところ・見逃せないところが多すぎて、目が喜ぶと同時にどこにフォーカスを当てたらよいか困惑することもある。
太夫さんの語ってはる様子も見たいし、三味線も意識して聞きたい。
人形遣いさんの身のこなしも気になるし、人形の動きに目を奪われることもある。
また、作品の構成や登場人物のキャラクター、セリフのひとつひとつに「へぇぇ」となることもある。
目も耳も4つも5つもほしくなってしまうのだけど、言いかえればそれだけいろんな見方ができる、ということ。
「夏祭浪花鑑」も、何度も見ている出し物だしよく見知っているのにそれでもやはり、新しい発見があった。
今回一番気になったのが、釣船三婦の女房・おつぎの存在だ。
いまは念仏三昧のご隠居生活とはいえ、元はここらで相当ぶいぶい言わせていたはずの釣船の三婦。
主人公である団七や徳兵衛の先輩、兄貴分である。
そんな元侠客がパートナーに選んだにしてはこのおつぎさん、ちょっとうっかりしすぎではなかろうか。
この「夏祭浪花鑑」で一番かっこいい女性・徳兵衛女房のお辰さんだって、元はといえばこのおつぎさんが、うっかり
「磯之丞さんを預かってくれないか」
と持ちかけさえしなければ、あたら美しい顔に火傷の跡をつけることにはならなかったはず。
のみならず、その後すぐにやってきた三河屋の義平次が「琴浦さんを預かりに来た」と言うと疑いもせずに身柄を渡してしまう。なんでやねん。
それまでの義平次の悪だくみや評判の悪さ、三婦や団七からなにひとつ聞いてなかったのだろうか、おつぎさんよ。
いままでずっと、団七のかっこ良さに目がくらんで気がつかなかったけど、
このおつぎさんさえしっかりしてしたら団七だって殺人事件を起こすことなく女房・子どもと幸せに暮らしていたかもしれない。
これまでは「夏祭浪花鑑」を見るたびに「磯之丞さえこんなアホぼんでさえなかったら」とため息ついていたのだけれど、
よくよく考えたらすべての騒動の原因っておつぎさんじゃないですかっ…と鼻息荒くうちの師匠・小佐田定雄に話したところ
「せやけど、この人おらんかったら話が進まへんわなぁ」。
たしかに、おつぎさんがもっとしっかりした人で判断を間違わなければこの話は成立しない。
「物語」ではなく、八頭身・九頭身はあろうかというモデル体型の団七・徳兵衛がババンとかっこよさを見せつける、ショーになっていたかもしれない。
「夏祭浪花鑑」のストーリーを大きく動かしていたのは、団七でも徳兵衛でもなく、うっかり者のおつぎさんだったのか。
今回は第三部を二回見ることができたのですが、一度目は津駒太夫さんが語る義平次が少しおとなし目というかサラリと感じたのに対し、
二度目に見たときには義平次のいやらしさ、粘っこさがこれでもかというほど感じられた。
どちらがよいかということではなく、お稽古を積んだ太夫さんでも毎回寸分たがわず同じように語るのは無理というもの。
公演を重ねていく間にいろいろと試してみたくなることだっておありだろう。
プラスこちらの、見る側のコンディションだってある。
いつでも同じものが見られる映画とはちがう、その日・そのとき・その場限り、一期一会の舞台の楽しみがここにある。
続く「泥場」では、勘十郎さんが使う団七の大きさ、ポーズに目を奪われていたのだけれどふと床を見ると、咲甫太夫さん・寛治師匠が身じろぎもせずにじっと座っておられる。
語りや三味線のない時間が続くこの間、お二人の胸にはなにが浮かんでいるのだろう。
そこから怒涛のラスト「八丁目、差して」で団七は殺人現場から飛ぶように走り去る。
三人遣いのお三方とも全力疾走のハイスピード。足遣いさんはあの体勢で、しかもあの速さで走るの大変だろうなぁ。
全力で走る団七は八丁目のどこへ向かうのか。それとも自分の犯した殺人からただ逃げているのだろうか。
■くまざわ あかね
落語作家。1971年生まれ。関西学院大学社会学部卒業後、落語作家小佐田定雄に弟子入りする。2000年、国立演芸場主催の大衆芸能脚本コンクールで、新作落語『お父さんの一番モテた日』が優秀賞を受賞。2002年度大阪市咲くやこの花賞受賞。京都府立文化芸術会館「上方落語勉強会~お題の名づけ親はあなたです」シリーズなどで新作を発表。また新聞や雑誌のエッセイ、ラジオ、講演など幅広く活動。著書に、『落語的生活ことはじめ―大阪下町・昭和十年体験記』、『きもの噺』がある。大阪府出身。
(2017年7月24日第三部『夏祭浪花鑑』、8月2日第一部『金太郎の大ぐも退治』『赤い陣羽織』、
第二部『源平布引滝』観劇)
Copyright (C) Japan Arts Council, All rights reserved.