『夏祭浪花鑑』といえば大阪の夏の風物詩みたいなものだ。この夏は、松竹と話し合いがもたれたのかどうか知らないが、文楽劇場だけでなく、松竹座での歌舞伎にも『夏祭』がかかった。かねがね同じ狂言の同時公演があったらおもしろいのにと思っていたので、うれしい限りである。
とりあえず、『夏祭』のあらすじをば。ちょっと訳ありで、玉島磯之丞とその恋人である傾城琴浦は、団七九郎兵衛の計らいをもって釣船三婦の家で過ごしていました。団七の義父・三河屋義平次は、金を目当てに、ウソをついて、その家から琴浦をかどわかします。しかし、磯之丞の父に恩義のある団七は、義平次を謀って、琴浦を取り戻します。どう考えても義平次が悪いのですが、騙されて金を取り損ねたとわかった義平次は、みなしごから育ててやったのに恩知らずな奴めが、などと団七をなじりまくるのです。そして、いよいよ我慢ならなくなった団七が義平次を殺してしまう、というストーリーであります。
団七の義父に対する複雑な思いと殺人の残虐さとが、夏祭りの囃子や提灯の美しさをバックに演じられる「長町裏の段」が最大の見どころである。しかし、名作なのだが、何度観ても、どうにも理解しがたいというか、感情移入がしにくい話だと思っていた。
狂言によっては、文楽と歌舞伎で内容が多少違っているものもあるが、『夏祭』は筋立ても舞台装置もほぼ同じ。これまでに、文楽、歌舞伎あわせて何度も観たことがある。ましてや今回は、染五郎が団七を演じるのを二日前に観劇したところだったので、予習は完璧すぎるほど。とはいえ、ストーリー的には、やはりもやもや感が残ったままだった。
文楽劇場への道すがら、知り合いのお姉さん方と、『夏祭』ってなんか感情移入しにくいんですよねぇ、などと話をしながら歩いていた。その時、あれは団七が若くてヤンキー度が満杯だということをしっかり頭に入れておくとわかりやすいんです、という貴重な示唆をいただいた。
あ、なるほど。確かに、出てくるのはみんな侠客あるいは侠客もどきだ。団七は喧嘩で牢屋に入れられていたし、義父の義平次は強請たかりの常習犯。磯之丞が世話になっている三婦も、いまは南無阿弥陀仏を唱えておとなしくしてる爺さんだが、昔は侠客だった。磯之丞だって人を殺めるんだし、団七と義兄弟になる一寸徳兵衛も含めて、みんなその筋の人たちなのである。
そうか、これまでは、普通の世話物と思ってたから、あかんかったんや。心をあらためて、高倉健が主演する任侠映画のような気分で見ることに。そうすると、『釣船三婦内の段』での女どものおこないも、えらくヤンキーなのだ。
徳兵衛の女房お辰は、三婦の女房おつぎに、しばらくの間、磯之丞の面倒をみてほしいと頼まれる。しかし、三婦は、お辰は美しくて色気があるので、磯之丞と何やらあったら困ると難色を示す。その時お辰は唐突かつ意外な行動に出る。自らを醜くするために、火鉢で焼いた鉄弓を顔に押しあてて傷をつけるのだ。これまでの観劇では、い、いきなり何をするんやっ、と思っていた。それに、痛みはせぬかと心配されて「オホヽヽヽヽ」などと笑うのもおかしいやないの。
しかし、任侠物となると、話は別だ。お辰は極道の妻である。若い頃、「根性焼き」をするようなヤンキー女だったに違いない。性根の坐り方がちがうのだ。そうでないと、とっさにそんな行動はとらんだろう。三婦は三婦で、お辰の傷を心配する前に「ハテ徳兵衛は頼もしい女房を持つたなア」などと感心しながら褒めている。それは順番を間違えてるやろという気がするが、任侠的世界観からいくとそんなもんだろう。
おつぎだってかなりのものだ。チンピラ二人が琴浦を渡せとやって来た時、夫の三婦に、「コレこちの人、わしやさつきにから聞いてゐたが、こなさんもう堪忍がなるまいがの」と喧嘩に行けとけしかける。そして、出入りから帰ってきたら、勝ったと知って大喜びで「祝ふてわつと酒にせう」。これも、任侠一家ならではだ。
「長町裏の段」での団七は、義平次になじられ挑発されても我慢に我慢を重ねるのだが、雪駄で顔に傷をつけられ流血したとたんに逆上する。これも、どうして急に怒り出すのかがいまいち腑に落ちなかった。しかし、顔をつぶす、つぶさない、という面目が何よりも重んじられるのが任侠やないか。相手が誰あろうと、怒るのは当然だ。いったらんかいっ、団七!
三婦が「人殺し」と騒ぎ出すのは、団七ともみ合ううちに、耳を切られたのが切っ掛けである。興奮のあまり痛覚が麻痺していたのか、「アツ、ちめた」と、流れる血を触って初めて切られたことに気づく。残忍なシーンに、ユーモラスな語りがはいる、個人的には『夏祭』でいちばん好きなシーンである。歌舞伎にはその大好きな科白がなかったのは、なんでなんやろ。生身の人間が演じると不自然すぎるんやろうか。
それはさておき、これも、どうして、いきなりそんなに騒ぎ出すのかがわからなかった。が、団七もそうであったように、それまでの豊富な喧嘩の経験から、きっと、血を見たらいきなり興奮すべきであるという行動パターンが刷り込まれておるのだろう。
いやぁ、実にわかりやすいやないの。これまでに何度も頭に「?」を浮かべながら観劇した『夏祭浪花鑑』だけれど、今回は完璧に感情移入できて大興奮。皆さん、夏祭浪花鑑を任侠物としてごらんになられることをぜひオススメしたい。騙されたと思ってやってみなはれ。むっちゃ血ぃが騒ぎますで、ホンマに。
■仲野 徹(なかのとおる)
大阪大学大学院、医学系研究科・生命機能研究科、教授。1957年、大阪市生まれ。大阪大学医学部卒。内科医として勤務の後、「いろいろな細胞がどのようにしてできてくるのか」についての研究に従事。エピジェネティクスという研究分野を専門としており、岩波新書から『エピジェネティクス-新しい生命像をえがく』を上梓している。豊竹呂太夫に義太夫を習う、HONZのメンバーとしてノンフィクションのレビューを書く、など、さまざまなことに首をつっこみ、おもろい研究者をめざしている。
(2017年7月22日第三部『夏祭浪花鑑』観劇)
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