初春文楽はキラキラしている。開場前から晴れ着の女性が笑いながらこれから見る演目を語らい、ロビーに飾られた立派なにらみ鯛を写真に写す人は引きも切らない。
まして今回は八代目竹本綱太夫五十回忌追善と豊竹咲甫太夫改め六代目竹本織太夫襲名披露が重なり、めでたさは二乗されている。
ロビーには、在りし日のにっこり笑う綱太夫の写真が飾られ、隣りには織太夫襲名の御祝儀が満艦飾のように輝いている。舞台の上には例年通り今年の干支「戊戌」の東大寺別当による揮毫を真ん中に巨大な鯛が左右でにらみを利かす。
ああ、年が明けたなあ、と思う。二日目の公演も一部は満席だ。日本髪の人もいるし、男性の着物姿もだいぶ増えた。幕開き三番叟も気合が入っている、ような気がする。お芝居の最中にがさがさ音をたてないように、バッグの中にのど飴をむき出しにしておき、水を座席とお尻の角に立てたら、準備万端である。
『花競四季寿』の「万才」でめでたく開演。一面の雪景色の中、儚く踊る「鷺娘」に春の近さを感じる。『平家女護島』では、ぐるりと観客席に張り出すように回った舞台の上で、手を差し伸べる俊寛と真正面から対峙し、断腸の別れをともに嘆く。
新春恒例の手ぬぐいまき(今年も取れなかった…)休憩のあと、口上の幕が開いた。
会場が一瞬息を飲む。
通常、技芸員さんのお歴々がずらりと並び、その真ん中に襲名する方が座っているものだが、今回は正面に八代目綱太夫の大きな写真が飾られ、その上手に豊竹咲太夫、下手に平伏した竹本織太夫が並ぶ。
咲太夫は八代目綱太夫の息子であり、新・織太夫の師匠でもある。
咲太夫の胸に迫る口上が始まった。
八代目竹本綱太夫が亡くなったのは咲太夫がまだ24歳のころだという。昭和の人形浄瑠璃文楽を代表する太夫であり、近松門左衛門の多くの作品を発掘し、現代の公演の人気演目をいくつも作り上げた名伯楽だ。
「最近では出し物に困ると『曽根崎心中』」と観客をくすぐるとクスクスと笑う声が上がる。確かにここ10年ほどで一番見た舞台であるのは間違いない。
五十回忌を追善するという文楽初の試みに「歌舞伎で十七世中村勘三郎丈がお父様の三世中村歌六丈の五十回忌追善公演をするのを見たときに、羨ましいな、父八代目綱太夫でもできないものか、とひそかに思っていた」と咲太夫が感極まったように言葉を詰まらせると、場内はシーンと静まった。父への想い、たった一人の切り場語りとしての重責など、目の肥えた大阪のお客さまだけにそれぞれの思い出はたくさんあるだろうと思う。
私はまだ駆け出しの文楽ファンだが、当時の録音がたくさん残っているのは本当にありがたい。1階の展示室でも放映されていたが、まわりを囲んだ人たちの当時の思い出を聞くのは楽しかった。
さて口上は、隣で腰高に手をつき平伏していた六代目竹本織太夫に話が移る。文楽の三味線の家系に生まれながら太夫の道を選んだ弟子に父親の前名を襲名させることを決めたと静かに語った。
新・織太夫は若いころから美丈夫の太夫として老いも若きも女性からの人気が高い。ピーンと張りつめた高いトーンの声はよく通る。同じ世代の太夫が切磋琢磨し競い合うなか、織太夫はどのような舞台を勤めてくれるだろう。
五十回忌追善と襲名がひとつとなった珍しい公演は『摂州合邦辻』。切場の前半を咲太夫、後を織太夫が勤めた。桐竹勘十郎の遣う年増の玉手御前が濃厚な色香をまき散らし咽るほどだ。だがそれは母心。やさしい織太夫の女性的な声に私の目頭が熱くなった。
世代交代が進む文楽は、いまが見どきだ。古き芸能の新しい風を楽しませてもらおうと思っている。
■東 えりか(あづま えりか)
書評家。千葉県生まれ。信州大学農学部卒。幼い頃から本が友だちで、片っ端から読み漁っていた。動物用医療器具関連会社の開発部に勤務の後、1985年より小説家・北方謙三氏の秘書を務める。 2008年に書評家として独立。「読売新聞」「週刊新潮」「ミステリーマガジン」などでノンフィクションの、「小説宝石」で小説の書評連載を担当している。「信濃毎日新聞」書評委員。2011年、成毛眞氏とともにインターネットでノンフィクション書評サイト「HONZ」(外部サイトにリンク)を始める。好んで読むのは科学もの、歴史、古典芸能、冒険譚など。文楽に嵌って10年。ますます病膏肓に入る昨今である。
(2018年1月4日第一部『花競四季寿』『平家女護島』『口上』『摂州合邦辻』、
第二部『良弁杉由来』『傾城恋飛脚』観劇)
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