現代の文楽で、通し狂言、すなわちひとつの芝居を最初から最後まで上演することは、あまりない。通しですると、数時間から十数時間かかるからだろう。芝居をいくつかに分けて、それぞれにたとえば、「本蔵下屋敷の段」などと、タイトルがついていて単独で上演することが多い。
今回の文楽錦秋公演もそうであり、『花上野誉碑』では、「志渡寺の段」のみが演じられた。この演目は全十段あり、「志渡寺の段」だけでも一時間五十分だったから、通しでやれば何時間になることやら。
私は一度、通し狂言に挑戦したことがあった。『仮名手本忠臣蔵』は、第一部と第二部、休憩も入れて十時間拘束。尻は痛いし眠くもなるで、第一部で見事に挫けた。
もちろん、通しで楽しめる体力のある人もいるだろうが、分けていただくと私のような者にはありがたい。
それにだいたい、文楽は「段」ごとで楽しめるようになっている。「志渡寺の段」は、もうそれだけでひとつの作品としての凄みを備えていた。
森口源太左衛門は、それはそれは極悪非道であるのに、かしらは文七、主役級のかしらである。悪人はたいてい赤ら顔だから、最初違和感があった。
しかし、源太左衛門は、主役といっていいほどの存在感があったから、そんなことはすぐに気にならなくなった。
桂米朝が落語の『軒づけ』の枕で、太夫をちゃかしている。
「ハハハ、ちゅうそんな笑い方はまあないですな。身構えてお腹に力を入れて、う~ふ~ん……って、これ笑ろてまんねんさかいな。腹痛おこしてるんやないんですわ。う~ふん、あ~はぁ、う~ふん、あ~はぁ、う~ふん、あ~はぁ、あははあはああははははははは……」
米朝、渾身の笑いのあと、
「舞台やさかいよろしいで、あれ四条河原町かどっかでやってみなはれ、じきに、パープーパープーてどっかに運ばれてしまいまっせ」
とオチをつける。それはけっして大げさではなく、文楽では喜怒哀楽がときに人間のものと思えない表現のされ方をするのだ。
源太左衛門の笑いは、すさまじいものだった。こんな声が人間から出るのだと、豊竹咲甫太夫さんを見ると、もう全身が喉になったかのように体を震わせ、顔は汗びっしょりだった。それが長く長くつづくものだから、私は「人形が発する笑い声」に取り憑かれて、くらくらしてきたのだった。
『艶容女舞衣』の「酒屋の段」では、半兵衛が「持病の痰に咳入って」咳き込むのだが、それもすさまじい。そしてまた、長い。私は人形より、死にそうに咳き込む竹本文字久太夫さんが心配で、目が離せなかった。
太夫の命がけのようなアクションも、文楽の見所だとあらためて思った今回の公演であった。
■玄月(げんげつ)
作家。大阪南船場で文学バー・リズールをプロデュースし、経営している。1965年生まれ。大阪市立南高等学校卒業。2000年「蔭の棲みか」で第122回芥川賞受賞。著書に、『山田太郎と申します』『睦言』『眷族』『めくるめく部屋』『狂饗記』など。大阪府在住。
(2016年11月1日第二部『増補忠臣蔵』『艶容女舞衣』『勧進帳』、
11月8日第一部『恋娘昔八丈』『日高川入相花王』観劇)
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