有吉佐和子さんの小説『一の糸』を読んで、文楽に興味を持った人は多いと思います。わたしは逆に、文楽を見るようになってから、この世界を舞台にした小説があると知って読んだのですが、魅力的なエピソードの数々に小説だと分かっていても「この章はどこまで本当のこと?」「この挿話はどなたのお話?」と、ついついゴシップ番組のイニシャルトークを見るかのような、興味シンシン目線になったのでした。
タイトルの由来となっている有名な
「三の糸が切れたら、二の糸で代って弾ける。二の糸が切れても、一の糸で二の音を出せば出せる。そやけども、一の糸が切れたときには (中略) 三味線はその場で舌噛んで死ななならんのやで」
のセリフとともに印象に残っているのが、幕切れ近くの『志渡寺』の稽古。
「一年たっても(源太左衛門)が帰やらしてもらえません」のあたりです。
床本の一言一句もおろそかにせず、ひとことづつに行き届いた解釈とそれを表す技量が求められる…『芸阿呆』の中の「ここに土佐の末弟」「あかん」のやりとりと並んで、浄瑠璃のお稽古の激しさ、厳しさ、どこまで行ってもはてのない恐ろしさをまざまざと感じたものでした。 わたし自身が浄瑠璃のお稽古に通い始め、その途方もない難しさに全面降伏していた頃だっただけに、よけいにそう感じたのかもしれません。
小説の中でも「志渡寺は幕内では小塚っ原という仇名のある語りものだんね」「大勢の名人を殺した役場だんね」と言われており、実際、初代団平は『志渡寺』を弾きながら舞台で亡くなったという、そんな伝説的な出しものが錦秋公演にやって来る。食指が動くってなもんじゃないですか。
今回一番に楽しみにしつつ、倒れないでくださいと祈りながら見た清介師匠のお三味線は…やはりすばらしかった! 舞台の上のビニール製の水よりも、清介師匠の三味線の音を浴びることによって、お辻の身体がどんどんと浄化され、清められていくかのよう。と同時に、浄瑠璃という芸の厳しさ、激しさがこの三味線の手に集約されていたようにも感じました。
普通なら、こんなお辻の必死の願いが天に通じて「あっぱれ、坊太郎がしゃべれるようになりました、めでたしめでたし」という展開になると思うのですが、おっとどっこい、そうは問屋が卸さないのが浄瑠璃作者の皮肉なところ。まさかの「口がきけないのではなく、しゃべることを禁じられていた」だったとは! 命をかけたお辻の姿を見ても、それでも口を開こうとしない坊太郎の意志の強さも凄いとは思うのですが、でも、もしわたしがお辻なら、「実は前からしゃべれてた」と知ったらその場でショック死してしまうだろうなぁ。
もうひとつ、印象的だったのが、前半で靖太夫さんが語ったお辻の述懐
「思ひ回せば回すほど、世界の因果が身一つに報うて来たか、浅ましや」
のあたり。
床本も正面の字幕も見ず、ただぼんやり浄瑠璃に身をゆだねていたのですが、浄瑠璃自体がグワーンとうねって回って渦となり、自分自身の力ではいかんともしがたい、どうしようもない因果となって、お辻ひとりに降りかかりからみつくような感じがして…そんな節付になっているのでしょうか? 言葉の意味や内容を超えて、浄瑠璃のメロディー・節付けそのものが、身体に沁み込んできたのでありました。
『一の糸』には、「送りでテツンの打撥は」だとか「なかなか『立帰る』を語らせてもらえないのだ」だとか、この浄瑠璃の聞きどころがさりげなく書かれていて、予習して臨んだにもかかわらず、実際に舞台に接しているともうそんなことは頭から吹っ飛んで「志渡寺」の世界に入ってしまい、劇場からの帰り道「あっ、ここちゃんと聞いとくんやった!」と悔やむことしきり。 やっぱり、気になる演目は幕見ででも二度三度、見ないといけませんね。
■くまざわ あかね
落語作家。1971年生まれ。関西学院大学社会学部卒業後、落語作家小佐田定雄に弟子入りする。2000年、国立演芸場主催の大衆芸能脚本コンクールで、新作落語『お父さんの一番モテた日』が優秀賞を受賞。2002年度大阪市咲くやこの花賞受賞。京都府立文化芸術会館「上方落語勉強会~お題の名づけ親はあなたです」シリーズなどで新作を発表。また新聞や雑誌のエッセイ、ラジオ、講演など幅広く活動。著書に、『落語的生活ことはじめ―大阪下町・昭和十年体験記』、『きもの噺』がある。大阪府出身。
(2016年11月2日第一部『恋娘昔八丈』『日高川入相花王』、第二部『増補忠臣蔵』『艶容女舞衣』
『勧進帳』、11月18日『花上野誉碑』観劇)
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