シャーンシャーンシャーンと勢いよく蝉が鳴いている。東京では滅多に聞けない声だ。この大合唱を浴びると「夏の大阪に来たなあ」としみじみ思う。今回も朝から通しで三部見てしまおうという強行軍である。
特に今回は第三部の『金壺親父恋達引』が目当てである。フランスの劇作家、モリエールの『守銭奴』を井上ひさしが文楽に翻案した作品だという。1972年の芸術祭参加作品として野澤松之輔が作曲し、テレビでは数回、収録されて放映されたものの、舞台での上演は今回初。主役の金仲屋金左衛門を桐竹勘十郎さんが遣うというから、絶対に見逃せない。ほくほくと早朝の新幹線に飛び乗った。
第一部の『五条橋』と新作『新編西遊記GO WEST!』は親子劇場と銘打つ通り、子供連れで満杯だ。解説では子供たちを舞台に上げて実際に三人遣いで人形を動かしてもらう。これが、けっこう過酷で子供任せ。主遣いの少年など重さで顔が歪んでいた。でも、夏休みのいい思い出になるだろう。
第二部はちょっとホラーな『薫樹累物語』とスプラッター『伊勢音頭恋寝刃』。相模原の事件の後なので、ちょっと複雑な気持ちになった。
さてお待ちかね『金壺親父恋達引』は朝の段、昼の段、夜の段と一日のお話。呉服屋「金仲屋」の主人で超がめつい金左衛門は、ためたお金を壺にいれて庭に埋めている。楽しみはこっそりそれを掘り出して、チャリチャリと音を鳴らして眺めること。
そこに町で評判の美人・お舟、お舟に惚れている息子の万七、手代の豆助と恋仲の娘、お高。そのお高を嫁がそうとする金左衛門と同年配で裕福な呉服屋、京屋徳右衛門が絡み、運命に操られる家族の絆が描かれていく。さすが戯曲の神様、井上ひさしの作品らしく、『守銭奴』という西洋の物語が、しっぽりとした和製に変身した。
何より楽しめたのは浄瑠璃と三味線だ。金左衛門を語る英太夫さんは、いつもより高く張りのある声で、実に気持ちよさそうに語っている。なんかとても楽しげで、業突く張りの金左衛門が可愛らしくて仕方ない。人形を遣う勘十郎さんの顔の表情もいつもより豊かな気がする。三味線の節回しもノリがよくて、舞台が勢いを増す感じがした。
何しろテレビ番組の最初の記憶が「ひょっこりひょうたん島」だった私だが、井上ひさしの人形劇をこんなに大人になって楽しむとは思わなかった。原作はあるとはいえ、ユーモアをふんだんに盛り込み、スピード感あふれる舞台は誰も飽きることはないだろう。
その上、あちらこちらに散りばめられた文楽の名台詞。気が付いた人はニヤリと笑う。
上演時間は1時間とちょっと。もう少し長く見たいと願う気持ちもあるけれど、終演後は満足感でいっぱいだ。できれば東京でもう一回、お願いしたいけれどどうだろう?
■東 えりか(あづま えりか)
書評家。千葉県生まれ。信州大学農学部卒。幼い頃から本が友だちで、片っ端から読み漁っていた。動物用医療器具関連会社の開発部に勤務の後、1985年より小説家・北方謙三氏の秘書を務める。 2008年に書評家として独立。
「小説すばる」「新刊展望」「ミステリーマガジン」「週刊新潮」などでノンフィクションの、「小説宝石」で小説の書評連載を担当している。2011年、成毛眞氏とともにインターネットでノンフィクション書評サイト「HONZ」(外部サイトにリンク)を始める。好んで読むのは科学もの、歴史、古典芸能、冒険譚など。文楽に嵌って10年。ますます病膏肓に入る昨今である。
(2016年7月30日第一部『五条橋』『解説』『新編西遊記GO WEST!』、
第二部『薫樹累物語』『伊勢音頭恋寝刃』、第三部『金壺親父恋達引』観劇)
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