何事も経験である。『Discover BUNRAKU』に行ってみた。訳すと『文楽発見』ということになるのだろうか。6月に一度だけおこなわれる、おもに外国人向けの文楽入門である。サブタイトルは『Bunraku for Beginners 初心者のための文楽』、宣伝文句には『世界でいちばんすごい人形劇芸術 Most Sophisticated Puppet Theater Art in the World』とあって、けっこうそそられる。
サービスは満点。いや、満点以上だ。入場したら、すぐに『Bunraku』の文字と人形が染め抜かれた綿の小さなバッグがもらえる。中には、文楽人形の絵柄のクリアファイルに、日本語と英語のパンフレット。驚いたのはイヤフォンガイドで、なんと、保証金を預けるだけで、無償で貸してもらえるのである。それも、いつものやつと違って、多言語対応マルチチャンネルタイプ。うへっ、文楽劇場にそんな設備があったのか。実際には、英語だけでなく、中国語、韓国語、そして日本語の解説を選んで聞ける。普段の公演よりうんとお得やないの。
客席はさすがに外国人が多い。顔立ち、髪の色、服装などとから、一目で外国人だと思える人だけで3~4割というところだろうか。見た目にはわからないが、話し言葉を聞くと中韓などアジア系の人もけっこうおられたようなので、6~7割が外国人かなぁ、という感じで、けっこうアウェイ感がある。年齢層はふだんよりも明らかに低い。
開演前に、浪曲師の春野恵子さんが案内役として登場。ご存じの方も多いだろうが、かつて人気テレビ番組『進ぬ!電波少年』で活躍されたケイコ先生が浪曲師になっておられるのだ。さすが、ご幼少のみぎりに米国で過ごされ、東大を出ておられるだけあって、きれいな英語でご説明。英語だけかと思っていたのだけれど、日本人の観客にも配慮して、どこぞの英語教材みたいに、同じ内容を英語と日本語を交互に話していくというスタイルであった。
最初の演目は『二人三番叟』。もちろん義太夫が英語に翻訳されて語られるわけではない。ただ、いつもは語りの内容が表示される字幕が英語になっている。三番叟はまぁいえば景気づけであって、ストーリーなどないようなものであるが、字幕には英文要約が訳し出される。「よ~ろこびありや」は「Rejoice」、なるほどね。ちなみに英語版のイヤフォンガイドでは、「イヤフォンガイドを聞いてもらうと字幕を読む必要はありません。しっかり人形の動きを見てください。」とか親切に言うてました。
笑うべき場所では、外国人のお客さんもしっかり笑っていて、笑いのツボっちゅうのは万国共通か、と感心したりしているうちに幕。そして、恵子さんによる解説『The ABC of BUNRAKU』のはじまり。次に演じられる『夏祭浪花鑑』の「釣船三婦内の段」と「長町裏の段」の前の段にあたる「住吉鳥居前の段」の場がしつらえられて、話のバックグラウンドと文楽のごく初歩的な解説がおこなわれた。人形の動きをわかりやすくするために手摺(人形遣いの足下を隠す板)を透明にしてあって、登場人物のお梶と恵子さんが「あっち向いてほい」をするなど、なかなかうまく工夫してあって面白かった。
そして、メインの『夏祭浪花鑑』である。義侠心の強い魚屋・団七九郎兵衛は、幼い頃に三河屋義平次に拾われたのであるが、今はその娘・お梶の夫になっている。「釣船三婦内の段」の子細はややこしいのであるが、そのラストでは、因業な親父の義平次が、一儲けしようとたくらんで、団七の恩人の息子の愛人である琴浦を連れ出す。そして、団七がその後を追うところで幕になって、「長町裏の段」へ。
団七は、かわりにお金を渡すからと義兵次を言いくるめて琴浦をうまく逃がすが、実際には金がない。騙されたと知った義平次は、団七をなじり、打ち据える。盗っ人猛々しいとはこのことだが、親子の縁と堪え忍ぶ団七。しかし、もみ合う拍子に団七の刀が義平次の耳を傷つけてしまう。その出血に気づいて「ヤレ人殺しじゃ」と叫びだした義平次を、もうこれまで「毒喰わば皿」と殺してしまう、というストーリーだ。
英語字幕で文楽を観るのは初めてだったが、なかなか面白かった。ちょ~んと拍子木(解説でclapperと習いました)を打っての口上「東西、東西~」は、「Hear Ye!」。なるほど、Yeは、昔の英語の二人称複数であるから、「汝ら、聞いてたもれ~」という感じになるのだろうか。義平次が団七を罵る「蹴潰すぞよ」は「Kick your brain out」で「脳みそ蹴り出したろか」とイメージがぴったりすぎる。
ただ、すこしニュアンスが伝わりにくそうなところもあった。義平次が「親じゃぞよ、親じゃぞよ」と、憎々しげに団七にせまるところ。「I am your father.」では、中学校の英作文みたいでイヤらしさがなさすぎる。もう一ヶ所、義平が耳からの出血に、すこしとぼけた感じで「アッ、ちめた」と気付くシーン。凄惨なクライマックスに向けて、少し気が緩んで、客席から笑いが漏れるところだ。そこの字幕は「Oh! Blood」。これでは真剣すぎて笑えません。こういうのを見ると、逆に、義太夫の語りというのはうまいことできておるなぁと感心したりする。
しかし、おおむね、字幕はとてもよくできていて、本当に楽しめた。人によっては、床本よりも英語字幕の方がわかりよいかもしれない。たとえば、義兵次が団七に斬れと迫る場面での「この赤鰯でやってみるか」の赤鰯は「rusty sword(錆びた刀)」と訳されていた。時代劇の番組が激減しているこの頃である。若い人は赤鰯といった言葉よりもrusty swordの方がわかりやすいような気がする。
もちろん、映画の字幕と同じで、すべてが訳されているわけではない。が、あらすじを追うには十分だった。ふと思ったのだが、ふだんの公演でも、床本そのままの字幕を出すよりも、あらすじの日本語を短めに出してみるといいかもしれない。床本が映し出されると、どうしても目で追ってしまって、難しい字が多かったりするのでけっこう時間がとられてしまう。それより、ごく短い説明だけであらすじを頭にいれ、目からではなく耳からじっくり義太夫を聴いたほうがええのではないかいのぉ、と思ったりしたのであります。
外国人にだけ楽しませるのはもったいない。さすがに、英語が全くわからなかったらダメかもしれないが、ある程度わかれば、『Discover Bunraku』は相当に楽しめる。年に一回しかないけれど、ぜひ一度、覗いてみられることをオススメしたい。きっと、新鮮な気持ちで文楽を楽しめるはずであります。
■仲野 徹(なかのとおる)
大阪大学大学院、医学系研究科・生命機能研究科、教授。1957年、大阪市生まれ。大阪大学医学部卒。内科医として勤務の後、「いろいろな細胞がどのようにしてできてくるのか」についての研究に従事。エピジェネティクスという研究分野を専門としており、岩波新書から『エピジェネティクス-新しい生命像をえがく』を上梓している。豊竹英大夫に義太夫を習う、HONZのメンバーとしてノンフィクションのレビューを書く、など、さまざまなことに首をつっこみ、おもろい研究者をめざしている。
(2016年6月12日Discover BUNRAKU観劇)
Copyright (C) Japan Arts Council, All rights reserved.