相関図がややこしい。文楽に詳しい方から得た予備知識によって、観劇への心理的なハードルが胸の丈くらいまで上がってしまい、障害物競走というよりは最早走高跳びなのかもしれないという緊張感で、エイヤと観劇した「妹背山婦女庭訓」。とても面白かった。
過度の緊張には、他にもわけがあった。昨年、芸術家の杉本博司さんによる「杉本文楽 曾根崎心中」を観に行き、近松門左衛門の台本と自分との言語的な遠さに打ちのめされていたので、やっぱり文楽は難しいなぁという気持ちが芽生えて、根を張っていたからだ。近松台本の分からなさは、走るのが苦手だけれども、背伸びをして参加したマラソン大会がトライアスロン選手権だった、というくらいの衝撃だった。準備が足らなかった。
近松の「曾根崎心中」原本に比べれば、現在の文楽の床本に綴られた言葉は、現代語との距離が近いのだと思う。ある程度は、エンターテインメントとして書かれた本だろうけれど、太夫が語る言葉は僕らが普段に話している言葉とも、J-POPの歌詞のようにくだけたものとも違う。だから、それなりの準備をしないと頭に入ってこないのではないか、という心構えで、毎度劇場へ向かう。それでも、これまで実際に言葉の意味がつかめない場面が何度かあった。杉本文楽への喩えで書いたように、自転車と海水パンツを忘れてトライアスロンに参加すれば競技の際に何らかの絶望感を味わうのは当たり前なので、せめて、そうした理解不能の場面に遭遇したときにボキボキになってしまわないメンタリティくらいは準備して行きたいと俺は思ったのだった。
というわけで、俺は海水パンツを履き、自転車に乗って、全くわからないかもしれないとプリントしたゼッケンをつけて国立文楽劇場に向かった。
ところが、自分の予想に反して、最初の段からとても面白かった。というのも、冒頭で腰元の小菊が権威と粗野を捏ねて重ねてミルフィールのようになった武士をおちょくるのだけれど、これがユーモラスで痛快なのだ。人形の下膨れた造形もあいまって、小菊には可笑しみと共に妙な可愛げがあり、観ているとニヤニヤしてしまう。この小菊の存在が、出会い頭のハグのように心を緩めてくれて、いつもよりリラックスして観劇することができた。そして、どういうわけか、太夫の語りもスラスラと耳に入ってきたのだった。
そこからは、蘇我蝦夷子と入鹿は見るからに悪い顔をしてるなぁとか、天地帝がどうして目が見えないのか説明しないのかよとか、藤原淡海って何しに出てきたんだろとか(一部しか観てないので分からず)、さっきから斜め前の爺さんが寝てるなぁとか、様々な点に脳内で突っ込みを入れながら楽しく鑑賞した。話はズンズンと進んで、入鹿が立派な馬に乗ったところで幕が閉まり、休憩となった。
三十分の休憩中は劇場の外に出てたこ焼きを食べた。「文楽セット」なるビールとたこ焼きが組み合わさったお得なセットがあったけれど、アルコール類を摂取するとトイレが近くなるのでよして、中くらいの、食べても眠くならなそうな個数のたこ焼きを注文して食べ、劇場に戻った。大阪を満喫できて幸せだなぁと思った。
休憩後、幕が開いてからが圧巻だった。舞台の中央には吉野川が現れ、両岸の妹山と背山では、太宰と大判事、両家の親子愛の物語が進み、やがて交差してゆく。と書くと、それのどこが圧巻なのかと問う方も居られるだろうけれども、なんと、太夫が最多四人、それぞれ二人ずつ下手と上手に現れるのだ。三味線もそれぞれ上下に登場する。そして、両岸、それぞれのキャラクターをそれぞれの太夫が演じるのだ。こういうシーンは今まで観たことがなかった。恐らく、滅多にあることではないと思う。
話が進むにつれて、太夫たちがお互いを意識してか、声の張りや感情の込め方のスピードが上がってゆくように感じられた。ドライブという言葉がふさわしいかもしれない。もちろん、ワシのほうが上手い、みたいな自己顕示欲から離れたところで芸の道は極められてゆくのだろうけれど、少しずつ、積み上がるように太夫は何らかの感情を交換し合って、語りはグングンと熱を帯びていった。大相撲の千秋楽へ向けての高まりにも似ていた。
特に、終盤の豊竹呂勢太夫は定高が憑依したような雰囲気で、実際に泣いてしまっているかのように見えた。釣られて、こちらも感極まってしまった。それぞれ、両岸の親たちの想いとは裏腹に立ち現れた不条理を、恨めしくも思った。
というわけで、現代劇でも観るようなスムースな流れで、今回は文楽を鑑賞することができた。この「妹背山婦女庭訓」は、これまでに観劇した演目の中でも、最も興奮して、楽しむことができた。もしかしたら、初めて文楽を観に行くという人には打ってつけの演目だったのかもしれない。
物語中の蘇我入鹿に送り飛ばしたい呪詛のようなフィーリングがいくらか胸の中に残ったけれど、猛練習の末にフルマラソンを走りきった場合、こんな気持ちになるのではないかというような爽やかな心と身体で、国立文楽劇場を後にした。
■後藤 正文(ごとう まさふみ)
ロックバンド「ASIAN KUNG-FU GENERATION」のボーカル、ギター。同バンドの作詞、作曲の殆どを手がける。1976年生まれ。著書に『ゴッチ語録 GOTCH GO ROCK!』『ゴッチ語録 A to Z』がある。2012年最新アルバム『ランドマーク』を発売、2013年4月アナログレコードとデジタル配信にて『The Long Goodbye』をソロ名義で発表。現在、“未来を考える新聞”「The Future Times」編集長も務める(http://www.thefuturetimes.jp/(外部サイトにリンク))。静岡県出身。
(2016年4月22日『妹背山婦女庭訓』第一部観劇)
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