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文楽かんげき日誌

舞台とお客が「いだきあい」

くまざわあかね

6年ぶりの「妹山背山の段」、であります。

劇場のチラシだって横向きワイドサイズになっちゃうのであります。

劇場に入り、「あっ、下手側にも床がある!」と当たり前のことを確認しただけでもう、テンションあがりっぱなしなのであります。あとであんな悲劇が待ちうけているというのに…!

なんといっても「妹山背山の段」(余談ながら、今回の表記に合わせていますが、どうしても「山の段」と言いたくなってしまいます。それはさておき) で好きなのが、前半部分。舞台のまん真ん中を流れる吉野川に、久我之助と雛鳥の想いが引き裂かれている様が、視覚的にもダイナミックに伝わってきます。

とはいえ、久我之助はなにも雛鳥のことばっかり考えてるわけじゃあない。父親・大判事のこと、采女さまの行く末のこと、入鹿打倒のこと、さまざまなことが胸の内を去来しています。

それに対し、妹山側のなんとキャピキャピしていることよ。恋に悩む雛鳥に、腰元二人がさまざまなアドバイスをする様子、まるでどこかの女子高生たちを見るようです。

そんな二人が川をはさんで、ふと目が合う。いいですねぇ、この場面。
文字で書けば「(心ばかりが) いだきあひ」とたったの5文字。

それを、

♪ い~

♪ だ~

と、両床からかわりばんこにひと文字づつ語り、さらにひと文字づつ、人形の振りが決まるというぜいたくさ。

上手からと下手からと、交互にステレオ状態で聞こえてくる「い・だ・き・あ・い」の言葉が、まさに川の真ん中で抱き合い、絡まり合い、隔ての川をものともせずに二人の想いがひとつとなって、燃え上がっていくように見えるのです。誰が考えたんでしょう、こんなすごい演出! 

机の上で、頭で考えたら浮かんでこないアイデアだと思います。浄瑠璃と人形の特質を肌でつかんだ、現場の感覚の賜物ですね、きっと。

ほおっとためいきついた後で、登場する父親と母親。母親の定高はともかくも…この父親の大判事、見れば見るほどうらおもてのないまっすぐな人やなぁと、悪く言えば、なにも考えていない人だなぁと思わされます。

由良助しかり、熊谷しかり、腹に一物・背に荷物、言ってはいけないひとことを腹の内へグッとおさめて…なんてことはさらさらなく、そこにはただズドーンと、土管のように大きな空洞があるばかり。

だからこそ、入鹿から聞かされるまで自分の息子と雛鳥がいい仲になってるだなんて夢にも思わなかっただろうし、なればこそ、息子も「おやじ、本当に入鹿に従う気なんだろうか…」と本気で心配し、采女の行方も明かさなかったんでしょう。

そう思って見ていると、パンフレットに橋本治さんが書かれていた「なにも知らぬまま立派な息子を死なせてしまう、哀れな父親の悲劇」という言葉が身に沁みます。そして、せっかく妹山から送られてきた大事な雛壇の飾りつけもこれからは、このおおざっぱな大判事の元で、雑~に扱われてしまうんだろうなぁと余計な心配もしてしまうのでありました。

■くまざわあかね
落語作家。1971年生まれ。関西学院大学社会学部卒業後、落語作家小佐田定雄に弟子入りする。2000年、国立演芸場主催の大衆芸能脚本コンクールで、新作落語『お父さんの一番モテた日』が優秀賞を受賞。2002年度大阪市咲くやこの花賞受賞。京都府立文化芸術会館「上方落語勉強会~お題の名づけ親はあなたです」シリーズなどで新作を発表。また新聞や雑誌のエッセイ、ラジオ、講演など幅広く活動。著書に、『落語的生活ことはじめ―大阪下町・昭和十年体験記』、『きもの噺』がある。大阪府出身。

(2016年4月5日『妹背山婦女庭訓』(第一部)、2日(第二部)観劇)