今でこそこんなにも毎公演文楽に足を運んでいるけれど、実は20代なかばのころ、わたしは一度、文楽をあきらめかけたことがある。
あきらめかけた、というのは文楽の芸そのものに対してではない。こちらの鑑賞眼があまりにも低く、「わたしには文楽は無理、わからない…」と思っていたのだ。
落語の『寝床』にこんなフレーズがある。
「浄瑠璃というものはなぁ、床本を素読みにしてさえありがたい」
そこへ旦那が下手なフシをつけるからまずいのだ、という話になるのだけれど、そんなありがたい浄瑠璃を聞いて眠くなる自分は、芸に対して不感症なのだろうかと悩んだこともあった。
「いまの段、良かったわぁ」と涙する人を横目に見ながら、なぜ同じものを見ても自分は泣けないのだろうと、そればかり考えていた。
いっそのこと文楽は、歌舞伎や落語をよりよく知るための勉強だと割り切って見るようにしよう。そんなことを考えながら、つかずはなれず、公演ごとに劇場に通い続けていた。
そんなある日。なにげなく見ていた文楽の舞台に、ゴトッと、小さいけれど確実に心動かされたことがあった。
「えっ、なに今の?」
どの演目の、どの場面だったかは覚えていない。ただ、文楽の舞台に感激している自分に驚いた。
そんな「ゴトッ」が見るたびごとに増えてゆき、少しづつ、だんだんと、文楽が勉強から楽しみになっていった。
文楽そのものが変わったわけじゃない。見ている側、自分自身の感受性が変わったのだ。ハッキリ言えば、年を取ったということだ。
今回、第一部の『桜鍔恨鮫鞘』や第二部の『玉藻前曦袂・道春館の段』もそうだけれど、文楽の登場人物は、腹に一物背に荷物、なにかしら心に抱えていることが多い。 言うに言えない事情を抱え、大事な人から誤解をされても言い訳かなわず、ただひたすら耐えに耐える。われわれだって、実生活でそんな場面に出くわすことがある。
仕事上、どう考えても自分は悪くないのに、それでも謝らないといけなかったり。 相手のプライドを傷つけないよう、文句のひとつも言いたいところをぐっと飲み込んだり。
後先考えずにものを言えたのは子どものころの話。大人は後先考えるから、ストレスがたまる。 だから、『桜鍔恨鮫鞘』の大詰め、お妻の言葉を代弁した「言ひたいことも得書かず、無筆はなんの 因果ぞや」のセリフに、言いたいことが言えなかった自分を重ね、「辛かったね、しんどかったね」と涙してしまうのだ。 つらい、悲しい、うれしい、楽しい、いろんな気持ちを経験値として獲得した大人だからこそ、文楽を見ていて「あ。自分もこんな気持ちになったことある」と、共感の回路がパカッと開く。 こどもさんに文楽に親しんでもらうこと、それももちろん大事なのだけれど、人生経験の豊かな大人の方にこそ「文楽いいですよ」とすすめたい。 一度見て「あ、無理」と思った人も、年を重ねた今だからこそ、もう一度見てみてほしい。こどもには分からない共感とカタルシスとがそこにあるはずだ。 このごろは、文楽のおかげで年を取るのがこわくなくなった。むしろ、この後どれだけ豊かな世界が待ってくれているのだろうか、と楽しみなほど。本当にありがたいことだと思っている。
■くまざわあかね
落語作家。1971年生まれ。関西学院大学社会学部卒業後、落語作家小佐田定雄に弟子入りする。2000年、国立演芸場主催の大衆芸能脚本コンクールで、新作落語『お父さんの一番モテた日』が優秀賞を受賞。2002年度大阪市咲くやこの花賞受賞。京都府立文化芸術会館「上方落語勉強会~お題の名づけ親はあなたです」シリーズなどで新作を発表。また新聞や雑誌のエッセイ、ラジオ、講演など幅広く活動。著書に、『落語的生活ことはじめ―大阪下町・昭和十年体験記』、『きもの噺』がある。大阪府出身。
(2015年11月5日第一部『碁太平記白石噺』『桜鍔恨鮫鞘』『団子売』、
11月9日第二部『玉藻前曦袂』観劇)
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