「これほんま面白いん?」
演目が始まるまでに少し間があり、連れ合いと一階の展示室で時間をつぶしていると聞こえてきたのが、そんな声だった。
見ると、八歳ほどの男の子が、模型の人形「文ちゃん」をうさん臭そうに睨みつけている。まわりが一瞬息をのんだほど大きな声で、手を引いているおじいちゃんらしき老人が、顔を引きつらせていた。拝むようにして夏休み中の孫について来てもらったのだろう、頭ごなしに叱りつけることも出来ず、「けいちゃん、けいちゃん」と、小声で恐々たしなめていた。
文楽のメッカと言ってもいい場所で、怖いもの知らずもいいところだが、けいちゃんの気持ちは分からぬでもない。自分だって八歳のころに連れて来られていたら、彼のようにむくれていただろう。この頃の男の子の頭にあるのは、友達からの遊び仲間として有能かどうかの評価だけで、そこから外れた場所に連れて来られるのは、何だろうと迷惑なのである。
やがて、おじいちゃんはけいちゃんの手を引いて逃げるように展示室を出て行ったが、その後ろ姿を目で追いつつ、私は服部幸雄氏の大著『大いなる小屋』で読んだ、ある幸福な子供のことを思い出していた。やや長いが抜粋しよう。
「きれいな絵巻物でも繰り広げるような気持で、あのころのお芝居のことが思い出されます。お芝居といえばずいぶんたのしみなもので、その前夜などほとんど眠られませんでした。一度は床にはいってみますけれど、いつの間にかそうっと起き出して化粧部屋にゆきます。百目蝋燭の灯もゆらゆらと、七へんも十ぺんもふいてはまたつけ、ふいてはまたつけ大へんです……やがてきまった場所に落ちついてながめる周りの観客の、これまた美しいこと美しいこと……そのうちとどろんとどろんと太鼓につづいて鳴物もはいりますし、オヤと思って上見たり、ハァッと思うて横みたり、何やら気を呑まれてしまうばかりです」
明治時代に、老女が在りし日の江戸の芝居小屋について語ったものの記録で、聞き取りの時、彼女はもう七十は越していたはずだが、言葉一つ一つがもぎたての果実のようにみずみずしい。当時の子供たちにとって、歌舞伎や浄瑠璃といった芝居小屋は、今で言えばプロサッカー選手になるのが夢の男の子がJリーグに連れて行ってもらえるようなもの? あるいは野球少年が甲子園球場に? それともアイカツ中の少女がアイドルのコンサートにだろうか? いや、恐らく、今、我々はかつて老女が体験したような喜びに比すべき何事も、もはや持っていないのだろう。
忸怩たる思いを抱えつつ、劇場の座席につくと、先ほどのおじいちゃんとけいちゃんが二つ先の席に座っているのが見えた。席に座ってもけいちゃんは、むずかっているようで、おじいちゃんは手を焼いていた。
「こりゃ大変だ」
と気の毒がりつつ、わたしは今回のかんげき対象におじいちゃんとけいちゃんも含めてみることにした。というのも、けいちゃんの反応から、江戸時代の子供が、どう人形浄瑠璃を受け止めていたのかを知る手がかりを得られればと思ったからだ。
先の老女の証言から、子供にとっても歌舞伎や人形浄瑠璃は最高の娯楽だったということは間違いない。だが、文楽の話の筋というのは、たいてい込み入っている。今回見る「生写朝顔話」はまだ単純な方だが、登場人物はやっぱり多いし、人間関係は複雑、そのうえキャラの名前が変わったりする。分かりやすく図示してくれたパンフレットがなければ、大人でも理解するのは難しいだろう。そうした筋のむずかしさを昔の子供たちはどう理解して、浄瑠璃を楽しんでいたのだろうか。それを知りたいと思った。
で、「生写朝顔話」
すれ違いロードムービーといおうか、日本中を駆け巡っての、若者カップルの再会と別れの繰り返しが描かれる。母の死とか結構重い話もあるのだが、ハッピーエンドで終わる結末もあって、全体の雰囲気は明るく爽やか。
だが、やはりけいちゃんには難しかったのか、序盤はひどく退屈そうにしていた。隣のおじいちゃんも、けいちゃんに気兼ねして、物語に集中できないでいる。
「あちゃダメだったか」
一瞬そう思ったが、その雰囲気は、萩の祐仙が出てくると一変する。「嶋田宿笑い薬の段」では、敵役の萩の祐仙が、主人公の宮城阿曾次郎に毒を盛ろうとするのだが、宿の主人徳右衛門の機転で、逆に笑い薬を飲まされ、同じく敵役の岩代に手打ちにするぞと脅されても笑い転げる羽目になる。数分に渡って大音声で笑い声を張りあげる竹本文字久大夫さんと、シリアス極まりない渋面で人形を全盛期の志村けんのように操る桐竹勘十郎さんの熱演もあって、会場中が哄笑に包まれた。
そして、けいちゃんもこのシーンでは、喉奥を天井に見せて笑い転げていた。時々おじいちゃんのひじを叩いたりもしている。おじいちゃんも嬉しかったのだろう。祐仙を見ては笑い、けいちゃんを見ては笑いしていた。
わたしも大笑いしたが、涙がにじんだのは、笑いすぎたせいばかりではなかった。二人を見ながら、江戸時代の子供、そしてその家族の姿を見るような思いがしたのだ。
実は世界の伝統芸能のなかで子供も見ることが出来るものは少ない。例えば、オペラなどは厳格な年齢制限があって、完全に大人の世界のものである。西洋では芸術の価値を理解できる、確固とした自我がなければ席につく資格すらないのだ。劇場の構造にもそれはあらわれていて、観客の席は皆前方の舞台に向かい、席同士の関係は絶たれている。観客は劇場での体験を個人、いわば点で受け止める。
一方、日本の芝居小屋は桟敷席などが典型だが、観客同士の関係は絶たれていない。また前方の舞台ばかりでなく、花道をはじめとする仕掛けにより、劇は観客席を包み込むようにして展開される。そのため、昔の芝居小屋の様子を描いた絵を見ると、観客の視線は散らばっていて、観客同士で互いを見かわすさまも頻繁に描かれている。日本の芸能は体験を個人ではなく、家族や仲間といった面で受け止めるようになっていたのだ。だから、まだ芸能を理解できる鑑賞眼を持たぬ子供も大人のサポートを受けることを前提に、芝居小屋のなかに入ることが出来た。文楽の人形の動きには写実性と共に、極端なデフォルメもあるが、それは、子供の観客を飽きさせないためというのも理由の一つだったのだろう。
萩の祐仙がきっかけになったのか、その後、けいちゃんはおじいちゃんに質問したり、パンフレットを見たりしながら、集中して劇を見るようになった。そして、最後、「大井川の段」。客として宿に来た「駒沢次郎左衛門」が実はいいなづけの「宮城阿曾次郎」であったことを知った深雪が、彼の後を追い、しかし大井川に妨げられて、その畔で泣く。
「天道様、エェ聞こえませぬ、聞こえませぬ、聞こえませぬわいなぁ」
おじいちゃんはもう孫に構うどころではなく夢中になって舞台を見ていた。けいちゃんもおじいちゃんの隣で息を詰めるようにしている。けいちゃんの感性はまだ彼女の悲嘆を理解できるほどには育っていないだろう。ただ、身近な大人が見たことのない真剣な顔をしている。そのことにけいちゃんは打たれ、おののいているようだった。
徳右衛門が旧主の恩義から腹を斬り、その生き血によって深雪の目が明いたところで、劇の幕は下りた。けいちゃんとおじいちゃんは二人連れだって立ち去って行ったが、けいちゃんの顔は最初のむくれ面では決してなかった。体の奥で何事かが震えていて、その震えをどう解していいか、またどう止めたらいいか分からない、そんな顔をしていた。
二人の後に続いて、わたしも席を立ったが、けいちゃんの反応が結局、江戸時代の子供たちの反応だったのだろうなと思った。彼らだって、話の筋は完全には理解できなかったのだ。ただ、分からぬながら、何か途方もないことが目の前で起きていることは感じ、自分のまだ知らない怒りや悲しみ、そして喜びがこの世界には溢れるほどある、ということを知ったのだ。
現代、文楽の劇場からは桟敷席などはなくなり、家族で話したり顔を見交わしたりしつつ観劇することはやりにくくなっている。残念だが、これも時の流れというものなのだろう。しかし、それでも、文楽はおじいちゃんと孫、年の離れた肉親の心を通わせる力を持っていると思う。
もし、孫や子供を文楽に連れて行こうか迷っている人がいれば、自信を持って連れて行って欲しい。そして、声をかけられた子供たちは、是非面倒がらずに喜んでついていってもらいたい。きっと、あなたは何十年後かに、自分は幸せな子供だったと振り返ることが出来るはずだから。
■黒澤はゆま(くろさわはゆま)
作家。1979年生まれ。宮崎県出身。九州大学経済学部経営学科卒業。九州奥地の谷間の村で、神話と民話、怪談を子守歌に育つ。小説教室『玄月の窟』での二年の修行の後、2013年『劉邦の宦官』でデビュー。大阪府在住。
(2015年8月2日第三部『きぬたと大文字』『生写朝顔話』観劇)
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