赤川次郎さんのご著書『三毛猫ホームズの文楽夜噺』の中に、こんな一節がある。
「文楽を見たことがない」 という編集者、三十人以上を引き連れて、大阪の国立文楽劇場へ出かけたことがある。 そのとき選んだ演目が、この「生写朝顔話」である。 (中略) これは名作というより、エンタテインメントと呼んだ方がぴったりくる。
そうそう、そうやねん! と、今回の公演を見てあらためて確信した。
「生写朝顔話」って、ラブと笑いとサスペンスが一体となった、文楽の中でも一・二を争うエンタテインメント作品なのである。
まずもって、主役の2人の出会いからして「ひと目会ったその日から、恋の花咲くこともある」。ばちばちっと音のしそうなひと目惚れで、2人の仲立ちをするのが三枝(現・文枝師)ときよし…ではなくって、乳母の浅香。さらに、悪者にからまれる深雪を阿曾次郎が助けたことが縁となり、二人はいい仲に。ああ、まるで古典的な少女マンガのようで、素直にときめいてしまいます。 それにしてもこの「朝顔話」に限らず、文楽のお姫様は、乳母が仲立ちすればすぐにその場で想い慕う殿御と両想いになれてしまう。放課後の校庭を走る殿御を眺めたり、友達が好きな人を好きになってしまったり、そんなせつない片思いのシチュエーションはお姫様にはほとんどない。実にうらやましい(両想いになってから、いろんなトラブルがふりかかってきて悩むパターンは多いけれど) 。みんなものすごく恋に積極的で、その恋が成就してから現実の問題に対処する。実に大人だ。
その後の二人のすれ違いも、冷静に見れば「そんなあほな」の連続だけれど、少女マンガの世界からすればお約束。想いあう二人が、どうしてもうまくいかないその様にこそ、見ているこちらは胸を焦がし、ため息をつく。
そんな恋の合間・合間におジャマ虫として登場するのが、勘十郎さんが遣わはる萩の祐仙。なんど悪事を働いてもそのたび失敗してしまうところ、肩を動かし「イッヒッヒ」と笑う様、そして、ときに主人公よりも目を引いてしまう面白さ。見ていてふと気づいた。この役割、「ヤッターマン」のボヤッキーやないですか! 祐仙がこっちを向いて「全国の女子高校生のみなしゃん」と言うのを妄想してしまった。
それにしても、この祐仙のなんと楽しげなこと! 実際は動きも多くてしんどいお役なのだと思うけれど、まったくそんなことを感じさせない。こういうお役は「必死にやってまっせ!」と見えるとこちらまで疲れてしまうけれど、ゆたかな声量を持つオペラ歌手がささやくように歌うがごとく、大きな力量の中でらくらくと、余裕すら感じさせるのだ。本当にすごい。
文楽の、とくに本公演では、なるべく多くの作品をバランス良く、という意味合いからか毎年毎年ちがう演目が上演される。この「生写朝顔話」だって、次に見られるのは三年後か、はたまた五年後かもしれない。 いっぽうで、演者さんの側にも旬、というものがある。年を重ねれば重ねるほど、役の解釈や技術面は上がっていくのに対し、体力面は残念ながら下降していってしまう。 技術・体力ともにすばらしく充実しておられる勘十郎さんが、いま、このタイミングで遣われる萩の祐仙を見られただなんて、2015年のまさにいま、文楽ファンで良かった、と同時代に生きるしあわせをかみしめてしまう。
そして第二部・第三部と通して見て、最後にひとことだけ。ラストは深雪と阿曾次郎が再会してひしと抱きあうシーンで終わってほしい! なんならその部分だけ勝手に書き足したい! とアツく思いつつ劇場を後にしたのだった。
■くまざわあかね
落語作家。1971年生まれ。関西学院大学社会学部卒業後、落語作家小佐田定雄に弟子入りする。2000年、国立演芸場主催の大衆芸能脚本コンクールで、新作落語『お父さんの一番モテた日』が優秀賞を受賞。2002年度大阪市咲くやこの花賞受賞。京都府立文化芸術会館「上方落語勉強会~お題の名づけ親はあなたです」シリーズなどで新作を発表。また新聞や雑誌のエッセイ、ラジオ、講演など幅広く活動。著書に、『落語的生活ことはじめ―大阪下町・昭和十年体験記』、『きもの噺』がある。大阪府出身。
(2015年7月21日第二部『生写朝顔話』、7月22日第三部『きぬたと大文字』『生写朝顔話』観劇)
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