『生写朝顔話』、軽やかであった。といっても、九つの段で、あわせて三人が亡くなるのであるから、あくまでも、文楽にしては、という意味である。しかし、心中やら理不尽な殺人やら忠義のための子殺しとかではなく、人買いと乳母の切り結び、と、恩義を果たすための自害、であるから、多少の理不尽さはあるものの、やはり文楽的にはライトと言っていいだろう。 ふとした偶然から恋仲になった秋月家の娘・深雪-後に瞽女となってからは朝顔-と、宮城阿曾次郎-後の駒沢次郎左衛門-が、出船、勘違い、大雨など、さまざまな理由で、すれ違いを繰り返す話である。離ればなれになった後、終盤の『宿屋の段』では、二人が客と瞽女として同席する。哀しいかな、客である駒沢の声が阿曾次郎に似ていると思いつつも、盲目であるが故に確信を持てぬ朝顔。そして、瞽女の語る身の上話から深雪であるとわかっても、立場故に名乗ることができぬ駒沢。咲大夫さんの語りと燕三さんの三味線が泣かせる。
こう書くと、どこが軽やかなのか、と思われるかもしれない。確かに、ストーリー的には悲劇である。しかし、最後の『大井川の段』では深雪の目が見えるようになるし、最終的には結ばれるらしいから、なんとなく安心して見ていられる。 それ以上に、哀しい話の合間にはさみこまれた「チャリ場」といわれる滑稽な場面の与える心理的な影響が大きい。勘十郎さん遣われるところの医者・萩の祐仙、身から出たさびとはいえ、第二部の『真葛が原茶店の段』と第三部の『嶋田宿笑い薬の段』の二度にわたってひどい目にあわされる。これが笑える。 『茶店の段』では、悪徳な医師・桂庵にニセの媚薬を売りつけられた祐仙が、その効能を確かめんと茶屋のお由にふりかける。媚薬が効いたようにふるまうよう、桂庵に言い含められていたお由は、惚れたと見せかけるため、祐仙に襲いかかるように抱きつく。あわや組み伏せられそうになる祐仙。その情けない風情が笑いを誘う。このシーンでは、後ろの席で見ていた日本在住のアメリカ人女子学生たち(推定)も、はじけるように爆笑。 もっとおかしみにあふれているのが『笑い薬の段』。今度は、それとは知らずに笑い薬を飲まされた祐仙。人を殺めようかという、決して笑ってはならぬ場面で、おのれの意に反して笑いこける。これが長い。数分間にわたり、身をよじらせ、腹を抱え床をたたき、最後には断末魔の苦しみに襲われたかのごとく笑い続ける。文字久大夫さんの語りと藤蔵さんの三味線が笑わせる。 どちらのシーンでも、大笑いする人形の傍らに、勘十郎さんのむちゃくちゃに真面目な、苦み走った顔がどうしても目に入る。そのコントラストに、いちだんと笑えてしまったのは、わたしだけではないだろう。 かつて、桂枝雀師匠は「緊張と緩和」が笑いを産むという説を唱えられていた。お話全体の緊張感と祐仙の情けなさという緩和、そして、勘十郎さんの緊張感と人形の所作による緩和。ダブル「緊張と緩和」が笑いのツボを刺激しまくる。もちろん、何通りもの笑い仕草をこれでもかと繰り出してこられる勘十郎さんの名人芸があってこそのおかしみだ。
そんなこんなで、全体としては、軽やかなライト文楽、という感じなのだ。分類でいうと、世話物にはいるのかと思ったが、筋書きによると、十六段あるこの話、全体としては、お家騒動を描く時代物であるらしい。そういえば、ところどころで、そんな会話も交わされておったわいなぁ。 考えてみると、すれ違い物語というのは、すでに現実離れした古典的テーマなのかもしれない。メールアドレスや携帯電話の番号を教えておいたら、すれ違いは避けられるだろうし、LINEを使えばリアルタイムで連絡を取り合うことさえ可能なのだから。ひょっとしたら、そのうち、忠義の為に子を殺す、とかいうのと同じくらいに、すれ違いはリアリティーのない話としてとらえられるようになっていくのかもしれない。 そのせいではないけれど、いちばんせつなく心に沁みたのは、すれ違い話ではなくて、深雪とその乳母・浅香が出会う刹那を描いた『浜松小屋の段』。深雪(=朝顔)を探すために巡礼に出た浅香は、子供になぶられている瞽女を助ける。盲目の物乞いに落ちぶれたことを恥じる朝顔は、自らのことを隠すが、浅香に見破られ、涙の再会とあいなる。しかし、その幸せもつかの間、人買いに連れ去られそうになる朝顔を助けんとして、浅香は落命してしまう。 この段も泣けた。呂勢大夫さんが、二人の人間国宝、三味線の清治さん人形遣いの簑助さんと共に、文字通りの大熱演。長さが大事っちゅうわけではないけれど、公演時間表を見たら、『宿屋の段』の咲大夫さんと同じく、47分間の一人語り。ほんとうに泣かせてもらいました。もちろん「大当たり!」の声が飛んだ。いや、より正しくは、わたしが思わず飛ばしてしまったのでありました。
軽やかと思った理由は他にもある。○○と名乗っていたが実は××、とかいいうややこしい仕掛けもほとんどないし、義太夫もわかりやすくて、筋がわかりよかった。夏休み特別公演ということもあって、こういった演目が選ばれたのだろうけれど、ほんとに素直に楽しめた。文楽を見たことのない人に「なんせ絶対にいきはなれ」と勧めたくてしかたがない。
■仲野 徹(なかのとおる)
大阪大学大学院、医学系研究科・生命機能研究科、教授。1957年、大阪市生まれ。大阪大学医学部卒。内科医として勤務の後、「いろいろな細胞がどのようにしてできてくるのか」についての研究に従事。エピジェネティクスという研究分野を専門としており、岩波新書から『エピジェネティクス-新しい生命像をえがく』を上梓している。豊竹英大夫に義太夫を習う、HONZのメンバーとしてノンフィクションのレビューを書く、など、さまざまなことに首をつっこみ、おもろい研究者をめざしている。
(2015年7月18日第二部『生写朝顔話』、第三部『きぬたと大文字』『生写朝顔話』観劇)
Copyright (C) Japan Arts Council, All rights reserved.