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文楽かんげき日誌

猥雑さを手放さない

釈 徹宗

ある雑誌の対談で、桐竹勘十郎さんからじっくりお話を聞く機会があった。勘十郎さんといえば、立役の遣い手としてよく知られている(この対談の際も、勘十郎さんの脇にはお得意の武智光秀が立てかけられていた)。 文楽は三人遣いの人形が特徴である。人形を遣っている間、互いの意志の伝達はとても微かなものだそうである。どうやって伝達しているのかと問われても、言語化するのは難しいとおっしゃっていた。主遣いのちょっとした動きや呼吸が、左遣いと足遣いに一瞬で伝わる。そんなものであるらしい。微かなサインなのだが、長年の習練と気持ちの入り方でわかるとのことである。 勘十郎さんはもう五十年近くこの道を歩んでいる。「これからちゃんと花を咲かさなければと思います」と語ってくださった。五十年も道を歩んで、やっと「そろそろ花が咲くかな」というわけなのだ。すごい話ではないか。勘十郎さんの年代だと、世間ではすでに定年を迎え、そろそろ老後の準備といったことになる。ところが文楽の世界では、やっとこれからなのだ! 恐るべし、文楽の道。「人が育つには時間がかかる」を前提として成り立っている世界だ。おそらく文楽の人たちは、早く成果を出すべきだ、などとは誰も思っていないに違いない。文楽の場に来ると心地良いのは、現代社会のリクツとは別の時間が流れているからなのではないか。

四月の演目、私は『絵本太功記』『天網島時雨炬燵』『伊達娘恋緋鹿子』を堪能した。武智光秀の主遣いは桐竹勘十郎さんだった。
「あらわれ出でたる、武智光秀~!」の場面はさすがの迫力である。しびれる。力強い立役の動きを観て、一緒に観劇した望月昭氏(漫画家・細川貂々先生のパートナー、通称ツレさん)は「暴れる人形を三人でおさえつけているみたいですね」と言った。この人、初めての文楽なのに。うまく表現するなあ。ちょっとくやしい。 以前に、この「夕顔棚の段」「尼ヶ崎の段」を聞いた時は大夫の語りに惹かれた。よく知られた操のくどき、「これ見たまへ光秀殿……」あたりはやはり強く心身に刻み込まれたのであった。ところが、今回は三味線から目が離せなくなった。義太夫節の三味線はすごい。アジアンカンフージェネレーションの後藤さんは「あれはもう、打楽器ですね」と言っていたが、まさにそんな感じ。同じ演目でも、見どころ聞きどころのバリエーションが多いのは、三業がぶつかり合う文楽ならではである。 今回あらためて実感したのだが、文楽はやはり基本的に前へ前へと出る芸能だと思う。抑えて、後ろに引いて、枯れたところ、わびやさびのテイストを楽しむ、そんな引いた芸能ではない。これでもかとばかり、力の限り表現する、そして情念を揺さぶる、それが文楽の性質である。伝統芸能でありながら、猥雑さを捨てていない。今回も来てよかった(おつき合いいただいたツレさん・貂々先生、ありがとうございました)。

次の六月公演は「曽根崎心中」である。行きたい。行かねば。 床下でお初の足首を徳兵衛が自分の喉にあてる有名な場面。あのお初の美しい足に桐竹勘十郎さんはちょっとした工夫をほどこし、「足首の角度を少し拡げれば、もっと徳兵衛の喉にあてやすいのではないか」と考えたそうである。この裏話を聞いたところなので、ぜひまたあの名シーンを見たいのだ。 近松門左衛門の「曽根崎心中」は当時の大ヒット作品であり、文楽の行く末を決定することになったと言われるほどの傑作である。近松は大坂の曽根崎天神の森で実際に起こった心中事件を題材にして、自ら死へと赴く男女の愛情劇に構築した。愛憎うずまくリアリズムの手法を用い、当時の庶民の人間性を描いた。 よく知られている道行の語り出しを読んでみよう。

この世のなごり、夜もなごり。死にゝ行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜。一足づゝに消えて行く。夢の夢こそあはれなれ。あれ数ふれば暁の、七つの時が六つ鳴りて、残る一つが今生の、鐘のひゞきの聞きをさめ。寂滅為楽とひゞくなり。

名文である。元・僧侶であった近松だからこそ表現できた無常観、日本仏教テイストが炸裂している。 儒学者の荻生徂徠はこの一文に感嘆の声を発し、作曲家の黛敏郎は音楽美の極致だと絶賛した。 その『曽根崎心中』に、また会える。もうすぐである。

参考:田口章子『歌舞伎と人形浄瑠璃』(吉川弘文館)、倉田喜弘『文楽の歴史』(岩波現代文庫)

■釈 徹宗(しゃく てっしゅう)
浄土真宗本願寺派如来寺住職。相愛大学教授も務める。1961年生まれ。お寺の裏にある民家で、認知症の高齢者をケアするためのグループホーム「むつみ庵」の運営も行う。著書に『法然親鸞一遍』『キッパリ生きる!仏教生活』『おせっかい教育論』(鷲田清一氏、内田樹氏、平松邦夫氏との座談)など。大阪府在住。

(2015年4月21日『絵本太功記』『天網島時雨炬燵』『伊達娘恋緋鹿子』観劇)