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文楽かんげき日誌

幹と枝葉と

くまざわ あかね

嶋大夫さんの引退披露や久しぶりに見る「国性爺合戦」などなど、なにかと見どころの多い初春公演でありましたが、見終えて一献傾けながら、あぁだこうだと頭の中で考え続けていたのは第一部、「新版歌祭文」のことでありました。

「新版歌祭文」といえば、ほぼイコール「野崎村の段」。今回のように「座摩社の段」から上演されるのは、珍しい…ってほどではないけれど、毎度のことでもありません。

で、その「座摩社の段」。お染・久松のラブラブカップルをはじめ、悪者・怪しげな人、うさんくさい人、といろんな人が入れ代わり立ち代わり、現れては、祈祷を始めたりイチャイチャしたり、はてはウソの喧嘩が始まったり。いやはやめまぐるしいことこの上ない。 舞台上のどこをとってもわちゃわちゃしていて、猥雑でにぎやかで、それでいて場面全体がスピーディーでイキイキしていて、昔の大坂の町中も、きっとこんな感じだったんでしょうね。

楽しいのは「野崎村の段」の冒頭もしかり。これも毎回上演されるとは限らない、私の好きな「あいたし小助」の場面がついているのです。

どうしようもない小悪党の小助が、店のお金をだまし取った罪を久松に着せた上、野崎村の実家へと送り届けます。 「店の金を弁償しろ!」とさわぐ小助に、久松の養父・久作が濡衣のお金を払い、ぐっとにらみをきかせるのですが、それでおとなしくなるような小助ではなく、逆ギレした挙句、門口の柱にイヤというほど頭をぶつけ 「ア痛…し小助は足早に」 と、大坂へ帰ってゆきます。こんな場面があるからこそ小助は、悪党だけどなぜか憎めないんですよね。

それにしてもこの直前、大夫さんが語る小助のセリフ
「おれが…手に おれが…コウかたげて おれが…足で おれが…歩いて おれが…体で おれが…去ぬるに ぐっとも言い分ないはずじゃ」

この意味のなさはどうでしょう。
私がもし浄瑠璃作者だったとして、とてもとても、こんなわけのわからないセリフは書けませんし、書けたとしても演者さんに「なんですかこれ」とカットされること必定であります。 もしかしたら、これあくまでも推測なのですが、この部分って大夫さんのアドリブだったのではないでしょうか? 「おれが…手に」というアドリブを聞いた人形遣いさんが「えっ、手に?」と、あわてて後追いで仕草をつける、いわば大夫さんの無茶振りやったんやないかなぁ、なんてあくまでも推測ですが。

「あいたし小助」なんて、ストーリーの上からはカットしたってなんの問題もありません。事実、このあとおみつが祝言の支度をするところから始まることもよくあります。 だけど、「あいたし小助」にせよ「座摩社の段」にせよ、こんなわちゃわちゃした「動」の場面があるからこそ、その対比としてあとのお染・久松、そしておみつの悲劇、「静」の場面が際立ってきます。 ストーリーをハッキリさせるため、パッと見はいらないように見える枝や葉をどんどんはらっていってしまうと、ズボンとした幹だけが残ります。けど幹だけでは愛想がない。枝や葉の部分があってこそ、豊かで楽しいたっぷりとした舞台になるんじゃないでしょうか。

そういえば「野崎村の段」の段切れも、美しくも哀しい三味線の音色に乗せてお染と久松、おみつの悲しい別れが描かれるのですが、最後の最後、幕を切るのはチャリの船頭さんなんですよね。この絶妙なバランスの取り方、やっぱりすごいなぁ、近松半二さん!

■くまざわあかね
落語作家。1971年生まれ。関西学院大学社会学部卒業後、落語作家小佐田定雄に弟子入りする。2000年、国立演芸場主催の大衆芸能脚本コンクールで、新作落語『お父さんの一番モテた日』が優秀賞を受賞。2002年度大阪市咲くやこの花賞受賞。京都府立文化芸術会館「上方落語勉強会~お題の名づけ親はあなたです」シリーズなどで新作を発表。また新聞や雑誌のエッセイ、ラジオ、講演など幅広く活動。著書に、『落語的生活ことはじめ―大阪下町・昭和十年体験記』、『きもの噺』がある。大阪府出身。

(2016年1月5日第一部「新版歌祭文」「関取千両幟」「釣女」観劇)