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文楽かんげき日誌

見どころいっぱい『死者ゼロ』の初春公演第一部

仲野 徹

初春公演は華やいでいる。一階ロビーには「にらみ鯛」(ただし張りぼて)がしつらえられているし、舞台の上の方にも巨大なにらみ鯛(もちろん張りぼて)が干支の「申」の字をはさんで飾られている。初日はとりわけ賑やかだ。正面玄関前で鏡開きがおこなわれ、今年は吉田一輔さんの太郎冠者と吉田玉佳さんの醜女が升酒をふるまった。ロビーはもちろん、中には客席で升酒をあおる人もいて、いやが上にもお正月気分が盛り上がる。しかし、今年は一抹の寂しさもあった。ご存じのように豊竹嶋大夫さんの文楽劇場での引退公演なのである。「色んな状況と体力的なものが合わさって決断した」とおっしゃっておられるので致し方ないところではあるが、昨年10月に人間国宝になられて初めての舞台が引退公演というのはやはり寂しい。

まずはご存じお染・久松の『新版歌祭文』は、久松が騙される『座摩社の段』と、許嫁のおみつが尼になってくれて二人が心中を思いとどまる『野崎村の段』。何回見ても、ツレ弾きのついた三味線の軽快な曲、そして「『さらばさらば』も遠ざかる」の語り、笑いをさそう人形の動き、という段切りのなんとも哀しい組み合わせはたまりまへんなぁ。嶋大夫引退でただ一人の切場語りになられる咲大夫さん、言うまでもなく最高でした。

さぁ昼食休憩、ではなくて、これも初春公演恒例の、新年の挨拶と手ぬぐい撒き。舞台から数十の手ぬぐいが客席に投げられる。客席のあちこちから投げてくれとの手があがり、これも正月らしい賑やかさで善き哉善き哉。ただし手ぬぐい撒きは7日までです。念のため。

いよいよ八代豊竹嶋大夫引退披露狂言『関取千両幟 猪名川内より相撲場の段』。である。が、その前に、嶋大夫さん、寛治さん、呂勢大夫さんの三名が床に並んでのご挨拶。口上の呂勢さんが、師匠の引退に「大樹を失いし小鳥」のような気持ちと述べるところに弟子としての気持ちがにじむ。大夫、三味線がそろって並び、鳴り止まぬ拍手の中、いよいよスタート。おとわを語られる嶋大夫さんの目は潤んでいるように見えた。その隣で夫の関取・猪名川を語る英大夫さんもかなり緊張しておられるご様子。

2~3年前から、英大夫さんに義太夫を教わっている。初日公演の後、素人弟子一同との新年会で、お師匠はんに、いつも以上に緊張しておられるように見えましたが、とおたずねしたところ、それでなくとも初日は緊張するけれど、今日はいつにも増して、ということであった。英大夫の祖父、これも人間国宝であった十代豊竹若大夫に、嶋大夫さんは15歳で弟子入りした。なんでも、嶋大夫さんの内弟子時代の大事な仕事の一つが、若大夫の孫である「雄ちゃん」を「ねんねこ」でおぶったり、おしめを替えたりすることだったそうだ。その雄ちゃんが今の英大夫さんなのである。嶋大夫さん、雄ちゃんを隣に、70年近く前を思い出しておられたのかもしれない。

内助の功を尽くすおとわの嶋大夫さんと苦悩する猪名川の英大夫さんとの掛け合いは、しみじみと素晴らしかった。それだけではない。寛治さん、宗助さんの三味線、簑助さん、玉男さんが遣われるおとわと猪名川の人形。三業一体というのはこういうものかとあらためて感心させられる、文楽の醍醐味を感じさせてくれる狂言であった。

共に語る大夫さんたち-英大夫をのぞいた、津國大夫、呂勢大夫、始大夫、睦大夫、芳穂大夫-は、すべて嶋大夫さんのお弟子さんだ。大学の研究室というのは、師匠が弟子に教えるスタイルに似ている。私が師事した二人の先生は、それぞれ文化勲章と紫綬褒章の受章者、いわば人間国宝レベルである。いまだに、師匠の公演ならぬ講演を聴くときはいささか緊張して背筋がのびる。逆に、教え子の発表を聴く時はハラハラするし、ついつい、あぁここはこうやったらもっとよくなるのになどと批評してしまう。及びもせぬが自分の経験にあてはめて、同じ舞台で師匠と弟子がそろって並び語るというのは、師弟ともに、嬉しくもあるがとんでもなく気が張ることであろうなぁ、などと思っているうちに、一時間ほどの狂言があっという間に終わってしまった。幕見でいいから、もう一度見に行きたいと思っている。

もうひとつ、いまいちど見に行きたい理由がある。『相撲場』での寛太郎さんの三味線曲弾きだ。初めて見たが心底おどろいた。爪弾いたり、撥のおしり(「さいじり」というそうです)で弾いたり、逆手で弦を押さえて弾いたりするのは序の口、背面弾き(というのか?)や、はては、撥をつかったちょっとしたアクロバットまで。こんな曲弾きをできる楽器というのは、胴が小さくて、適度な大きさの撥で弾く三味線しかないだろう。YouTubeにアップされたら、国内だけでなく、世界中から「Coooool!!!!!」とかの絶賛が浴びせられるに違いない。いやぁ、ええもん見せてもらいました。

最後は『釣女』。大名と太郎冠者が恵比寿様に願を掛けて、竿で妻を釣ることに。大名には美人がかかるが、太郎冠者は醜女がかかってしまって、という楽しい狂言だ。開演前に升酒を振る舞っていた太郎冠者と醜女が賑やかに舞台を去って、楽しく終演とあいなった。三つの狂言を見終わって、なにか、いつもの公演と違う感じがした。思い返してみると、なんと、人が死ななかったのだ。文楽といえば、理由はともあれ、心中や殺人がつきものだ。お染・久松はいずれ心中するのではあるが、野崎村を出る時はまだ元気だった。見慣れたものがなかったので、ちょと物足りない感じがしないでもないが、第二部の『国性爺合戦』では、心配しなくとも大事な場面で血が流れることだし、お正月だし、たまには人の死なない文楽公演というのもいいものだ。

■仲野 徹(なかのとおる)
大阪大学大学院、医学系研究科・生命機能研究科、教授。1957年、大阪市生まれ。大阪大学医学部卒。内科医として勤務の後、「いろいろな細胞がどのようにしてできてくるのか」についての研究に従事。エピジェネティクスという研究分野を専門としており、岩波新書から『エピジェネティクス-新しい生命像をえがく』を上梓している。豊竹英大夫に義太夫を習う、HONZのメンバーとしてノンフィクションのレビューを書く、など、さまざまなことに首をつっこみ、おもろい研究者をめざしている。

(2016年1月3日第一部「新版歌祭文」「関取千両幟」「釣女」観劇)