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文楽かんげき日誌

文楽というタイムカプセル

黒澤 はゆま

年末になると、決まって盛り上がるのが、次の大河ドラマの話題。

まだ、放映前から、キャストや脚本家を見て「今回は面白い」「いや絶対に失敗だ」など下馬評がかしましい。来年「真田丸」は、脚本「王様のレストラン」三谷幸喜、主演「半沢直樹」堺雅人、これ以上ない堂々たる布陣だが、どうなりますやら。

あっ、大河にあやかったわけではないですが、真田幸村の父、昌幸の少年時代をテーマにした拙作「九度山秘録」が今秋発売になりました。是非、お読みくださいませ。

さて、最近のこうした下馬評を見ると、「当時の価値観」を忠実に反映しているかどうかというのが、大河ドラマを評価する基準の一つになっているようだ。

マイホームパパの戦国大名、成人しても月代をそらないイケメン武士、大人の男たちが重要な話をしている場所にぽこぽこ顔を出せるお姫様など、今日日(きょうび)のホームドラマ化した大河ドラマを考えると、その気持ちは分からないでもない。

ただ、日曜の20時という、家族が皆集まり、一番リラックスした時間に、本当に「当時の価値観」なんて見たいのか?という気がしないでもない。大体、誰が「当時の価値観」を知っているのか?

そこで、江戸時代に成立して以来、何の手も加えられていない、文楽のストーリーの一つを追ってみよう。

「桜鍔恨鮫鞘」

この演目のストーリー展開の理不尽さ、残酷さは、文楽を見慣れた私でも衝撃だった。

元武士で今は古着屋の婿となっている八郎兵衛は、宝刀を盗まれた元主人伊織のため、犯人探しと捜査費用の金策に駆け回る。夫の難儀を見かねた八郎兵衛の妻、お妻とその母は、持参金目当てで、八郎兵衛と別れ、いやらしい金持ち、弥兵衛と結婚しようとする。無論、縁切りは方便である。

だが、真意が分からぬ八郎兵衛は驚き怒り取り乱す。その夫を捨て置いて、下心に汚れて、油光りした弥兵衛に、寝所に連れていかれていく、お妻の姿が何とも妖しく艶である。

しかし、八郎兵衛は、門口に放り出された愛娘お半の姿を見て激高。家に押し入り、まず義母を惨殺。父の袖に取りつくお半の悲痛。

「父様、去んで下されなう。お前がここにいらっしゃると、母様が死なっしゃる、堪忍して」

八郎兵衛は、娘を袖にぶら下げたまま、驚いて出てきたお妻をこれまた切り殺す。しかも、この後、駆けつけた仲間の銀八が、主人伊織は、なじみの遊女と駆け落ちしてしまったという知らせを持ってくる。

もうこの展開何度目だよ。その元主人を真っ先に切り殺したら、万事うまくおさまるんじゃないのと、思ってしまうのだが、そこはあくまで忠義の武士。八郎兵衛は先に知っていればと悔やみ、腹立ちまぎれに、お妻の遺骸を娘の前でめった刺しにしてしまう……

鼻の奥が血の匂いでつまってしまいそうな展開の連続で、主従の忠義、夫婦の義理が、いかにこの時代、重かったかが分かる。凄惨な場面を見せつけられながら、未だ子として親を気遣うお半の心情も切ない。

さて、これが「当時の価値観」なわけだが、果たして日曜の20時に流せるものだろうか。流せっこない、というのはお分かりいただけると思う。放送コードやら、ポリティカルコレクトネスやら敵に回すものが多すぎる。

このテンションの高い物語を表現できるメディアは、今ほぼ文楽のみなのである。それは江戸時代の表現形式を守り続けているから、現代のくだらないルールからは自由でいられるのだ。伝統にのっとっている限りにおいて、文楽はこれからも先鋭的でありつづけるだろう。

だから、「当時の価値観」なんて物騒なものをNHKに求めるくらいなら、是非、文楽劇場に足を運んでもらいたい。文楽は「当時の価値観」が、江戸のまま、タイムカプセルのように新鮮に保存され続けている。

しかし、一方、一つ不思議なことがある。「当時の価値観」をそのままむきつけに突き付けられながら、私たちはどうして興奮しカタルシスを得ることが出来るのだろうか。

それは、私たちもまた、会社への忠誠、家族への義理、そんなものにがんじがらめにされながら、生きているからである。八郎兵衛たちの世界は断絶の向こうにあるのではない。私たちの世界は、薄皮一つ捲れば江戸の狂気と地続きなのである。

「碁太平記白石噺、浅草雷門の段」

大道芸人のどじょうの手妻や語りも楽しいこのくだり、どじょうは客から金を回収したあと「有り難い有り難い、今日もまづ五百になった、どりゃ、息継ぎに一杯」と言って扇で花弁を生んだあと、何と大丸?の紙袋を持って去っていく。

観客の哄笑を誘ったシーンだが、私たちの世界と、彼らの世界がつながっていることを示して意味深である。伝統を守りつつ、時々、こんな悪戯を仕掛けて私たちをはっとさせる。こんなところもまた文楽の紛れもない魅力の一つなのだ。

■黒澤はゆま(くろさわはゆま)
作家。1979年生まれ。宮崎県出身。九州大学経済学部経営学科卒業。九州奥地の谷間の村で、神話と民話、怪談を子守歌に育つ。小説教室『玄月の窟』での二年の修行の後、2013年『劉邦の宦官』でデビュー。大阪府在住。

(2015年11月15日第一部『碁太平記白石噺』『桜鍔恨鮫鞘』『団子売』観劇)