お客様の前でギターを披露するということを、40年近くやっていますので、技芸員という呼び名に当てはまるかも知れません。しかし文楽というものに実際触れたのは2年前です。知り合いの、ギャラリー「パライソ」の原田 晋さんが、国立文楽劇場でも仕事をされていて、「チチさん、文楽面白いですよ!」と勧められ、生まれて初めて観たのが2013年8月の第2部「妹背山婦女庭訓」でした。原田さんの計らいで公演前に舞台裏の見学をさせて頂きました。案内して下さったのは、人形遣いの桐竹紋臣さんです。人形の仕組みや動かし方など、実際に持たせてもらいやってみましたが、これは並大抵の芸ではないと感じ入りました。
張り切ってイヤホンガイドを借り、客席に着いて本番を待ちました。イヤホンガイドは開演前からいろんな説明をしてくれるので、幕が上がる前から緊張と興奮は徐々に増していくのでした。さあそして幕開けです。客席から見て右端の床の壁が回転し、三味線さんと大夫さんがいきなり登場したので、度肝を抜かれてしまいました。黒衣さんの口上も、その衣装と相俟って秘密めいていて心がざわつきます。そしていよいよ人形の登場です。緊張感と同時におかしみも沸いてきて、今まで味わったことのない不思議な感覚を覚えました。顔を見せている人形遣いさんと、人形の表情が同じように見えるところも興味深いです。大夫さんのゴスペルやソウルシンガーのような喜怒哀楽むき出しの語り、それとぴったり寄り添い、時にはブルースや前衛ジャズのように、自由自在に跳ね回るような三味線、そして、ぐっと押し殺したような激情と、真反対の軽みを両方併せ持つ人形(人形遣い)の動き、この三者の真剣勝負のぶつかり合いに、否が応でも引きずり込まれてしまったのです。気が付けば最後は涙が溢れてぼろぼろ泣いていました。説明がうまくつきませんが、とてつもなく感動してしまったのです。この素晴らしい芸が大阪で生まれたというのも驚きでした。大阪で生まれて育ってきたのに、何でこの歳になるまで接して来なかったのか大変悔やまれました。
文楽は、その話の展開に大きなどんでん返しがあることが多く、一筋縄では行きません。それに肉親や他人に拘わらず、あっけなく人が殺されていくところも凄いです。何度も「えっ?何でそこで殺すのかな?」と思いました。しかし、そんな不条理なことと思いながらも泣いてしまうのです。僕はインド映画が大好きでよく観るのですが、初めて文楽を観た時から、何か通じるものを感じました。インド映画には、今の日本人が忘れてしまった義理や人情が色濃く残っているのです。大夫さんの語りが、舞台上の字幕に出るのもありがたいです。よく出てくる忝い(かたじけない)という言葉がありますが、これがキーワードになって、このような不条理な話の展開になるような気がします。
まだまだ文楽初心者の僕も、今回観た演目「玉藻前曦袂」が5回目の観賞でした。最近は、大夫さん、三味線さん、人形遣いさんのお顔と名前も少し覚え、登場時には「あっ!あの人や」と興奮します。まるでスターを見る感覚です。でも、毎公演必ず「大夫三味線人形遣いの姿が視界から消え、舞台の上の人形しか見えなくなり、しかもそれが本当の人間に見えてくる」という瞬間があります。これぞ他の舞台では味わえない文楽の醍醐味です。さて、本公演でもあっけなく人が殺されていきました。自分の娘を父親が殺す場面では、「えっ?」と思いながらも、その理由が分かった時には泣いてしまいました。それと面白いなと思うのは、どんでん返しの科白を言う場面で、大抵その科白を言う本人が、刀で切られていたり刺されていたりして、瀕死の場合が多いことです。その度に「なかなか死なないな、しぶといな」とか思ってしまうのです。この話で一番驚いたのが、主役が人間ではなく狐、それもインドから中国、そして日本まで渡り歩いて来た、九つの尾を持つ妖怪狐だということです。この狐を操る桐竹勘十郎さんの人形遣い、本当に生きているようでした。最後に狐と勘十郎さんが空中に浮かんだ時は、思わず「おぉ!」と声を上げてしまいました。しかも、その後に超豪華なグランドフィナーレが待ち受けていてびっくり!いや〜見所満載で大満足でした。これからもイヤホンガイド片手に通おうと思っています。
■チチ 松村(ちち まつむら)
1954年大阪生まれ。10代後半から音楽活動を始め、ソロアーティストとして関西で活躍。ゴンチチ結成以降は、音楽活動の傍らエッセイ等の執筆も行い、『わたしはクラゲになりたい/河出書房新社』『ゴミを宝に/光文社』『それゆけ茶人/廣済堂出版』『緑の性格/新潮社』『盲目の音楽家を捜して/メディアファクトリー』など、これまでに14冊の著書を上梓している。一方、自らを「茶人」を称し、風流な生活を実践。「変な物好き」としても広く知られている。
(2015年11月16日第二部『玉藻前曦袂』観劇)
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