近松門左衛門の「世話浄瑠璃」である『冥途の飛脚』には義理人情は描かれているのでしょうか。世話浄瑠璃は当時の身近な事件を題材にしているのですから、当時の人々の好奇心を満たすに十分だったことは想像に難くありません。ここにはたしかに事件が描かれています。でもこれは義理人情の話なのでしょうか。江戸の民衆はそんな風に受け取ったかもしれないし、そんな風に受け取りたかったのかもしれません。たぶんそうなのでしょう。でも、それにしては作者の近松門左衛門はずいぶん冷淡です。近松の世話物に接すれば接するほど、そう思わざるを得ません。主人公にそれほどの思い入れがあるとも思えません。近松は、罪人となってしまうであろう主人公に犯罪を犯す深い理由を与えもしないし、結局のところ、主人公を救い出そうともしません。放ったらかしです。『冥途の飛脚』でもそれは顕著だし、とりわけ際立っています。後の作者によって近松の浄瑠璃が改作されたのは、当時の凡庸な戯作者たちが、たぶんその点をどう考えればよいのかわからず、もっとコマーシャリズムの御涙頂戴のほうがいいのではないかと思ったからだと思います。無理もありません、と言えばいいのでしょうか。たぶんそのほうが受けたというのはたしかでしょう。いつの時代もそういった消息は変わりません。『冥途の飛脚』をもとにした『傾城恋飛脚』はそんな風にして改作された作品だと思われます。だけど一方、原作者である近松自身には、なんというか、頑固一徹な厳しさのようなものがあったと思います。
『冥途の飛脚』の主人公である忠兵衛は、どこにでもいるような、いいかげんなヤサ男です。養子になった飛脚問屋でそれなりにうまく商売をやっています。それから、人並みに手広くやっている大坂の商人なら珍しくはなかったはずですが、廓遊びにも通います。そこで好きになった傾城、遊女が梅川という女性です。そして、これまたご多分に洩れず、忠兵衛は梅川を身請けしたいと考えます。これは恋なのでしょうか。たぶんそうなのでしょう。しかし近松門左衛門はそのへんの事情をまったく詳(つまび)らかにしません。そして、これまた珍しくないことですが、廓遊びのせいで忠兵衛は金に困るのです。そのあげく、梅川を身請けするために、飛脚の日々の仕事で預かった人の銀子をちょろまかすという「封印切」をやらかしてしまうのです。これは獄門に値する犯罪です。死罪です。しかし近松はこの忠兵衛の犯罪の裏側について、誰にでも覚えがあるようで、しかし不条理な心情については何も語ろうとはしません。なぜ忠兵衛が、前後の見境もなく、身を持ち崩すほどキレてしまい、そのあげく封印切をしてしまうのかを。たしかにキレる前から、忠兵衛はふらふらしていました。あっちに行こうか、こっちに行こうか。その後の、逮捕をまぬがれるための死出の道行きも珍しくはありません。梅川のほうがむしろ毅然としています。もし浄瑠璃の大夫の声が聞こえていないならば、物語は平板であるとしか思えません。何ということでしょう。近松は最後まであくまでも冷淡なままなのです。作家として、ほとんど何の感情移入もありません。これは、物を書けばわかるのですが、作家としてはかなり異常なことです。主人公である忠兵衛は最後までうろうろしたままです。「一度は思案二度は無思案(ぶしあん)、三度飛脚。戻れば合はせて六道の、冥途の飛脚と」。うろうろする忠兵衛について、そうなる前から、近松はこんな風に不吉なこともさらりと書いてのけています。忠兵衛には未来はなかったかのようなのです。 物語? 近松は、事実にほかならないエピソードを積み重ね、物語をなぞることによって、少なくとも物語の箍(たが)を外しにかかっています。この場合の物語という言葉は、外国語がそうであるように、歴史という意味であり、歴史という言葉と同義です。歴史にはもはや教訓など見出すすべはないと言っているみたいです。歴史には義理人情の入る余地はないのだ、と。世話浄瑠璃と時代浄瑠璃がことさらに違いを強調するかのように設定された理由はこのへんにあるのでしょう。その意味において、以前この文楽かんげき日誌で述べたように、近松はその度し難さにおいて、リアリストなのだと思います。リアリズムと言っても、いろんなリアリストがいるし、ここではたいして意味はありません。それよりももっと先に進んで考えれば、一見、ただ事実をなぞるような近松の見事な筆致において、歴史=物語は破綻するのです。破綻という言葉が強すぎるなら、物語の綻(ほころ)びと言い換えてもいいでしょう。ともあれ、このいきさつは、人を考え込まさせるものを持っています。物語のなかの物語の破綻などつゆ知らない江戸時代に、近松はそれをやっているとしか思えません。虚なのか、実なのか。近松自身が言うとおり、虚実は薄い膜で隔てられているだけなのです。 近松門左衛門という人は特異な人です。あの時代、作家としてのあの境遇にして、不思議な人です。これほどの文章家なのに、ロマンチシズムに傾くこともありません。文章は第一級です。これは現代の作家、ジャーナリストその他の書生たち、私自身を含めて、見習わなければならないことでしょう。現代作家たちよ、精進あるのみです。皮肉な近松はそう言っているかのようです。心せよ、現代作家ども! そうでないなら、作家など何ほどのものでしょう。忠兵衛と同じように、ただのいいかげんな穀潰しです。
余談にもならない脱線ですが、この作品に「鳥」がしばし出てくるのが妙に気にかかりました。やはり近松は凄腕の文章家です。 「封印切の段」はこんな風に始まります。 「ゑいゑいゑい烏がな烏がな、浮気烏が月夜も闇も、首尾を求めてな、逢はう逢はうとさ 青編笠の紅葉して、炭火仄(ほの)めく夕べまで思ひ思ひの恋風や、恋と哀れは種一つ、梅芳しく松高き、位はよしや引締めて哀れ深きは見世女郎…」。 烏の鳴き声である「逢はう」は、「阿呆」に聞こえます。近松は忠兵衛を阿呆だとさらりと言ってのけているのです。 今回の公演では上演されなかった近松の原作の最後の段の最後は、こんな風に終わっています。 「腰の手拭、引絞りめんない千鳥百千鳥、鳴くは梅川川千鳥水の流と身の行方。恋に沈みし浮名のみ難波に。残し留まりし」。 またしても鳥です。鳥は水の上に浮かんでいます。目の見えない鳥、夜の鳥は、難波のほうに向かって鳴いているのでしょうか。鳥を殺さないで下さい、と言っているのでしょうか。 難波といえば、こんなことも浄瑠璃にあります。 「めでたいと申さうか、お名残惜しいと申さうか、千日言ふても尽きぬこと」 「その千日が迷惑」 迷惑なのは獄門に処せられる恐れがあるからです。千日は迷惑。迷惑どころではありません。つまり千日前の処刑場に引っ立てられたくはないということです。さるにても、現在の大阪の文楽劇場がかつて処刑場のあった千日前からさほど遠からぬところにあるのは、偶然なのでしょうか。偶然ではないと言いたくなります。
自らの死期を悟った近松門左衛門は、ある日、辞世文をしたためました。そこにはこんなことが記されていました。 「代々甲冑の家に生まれながら、武林を離れ、三槐九卿につかへ、咫尺(しせき)し奉りて寸爵なく、市井に漂て商買しらず、隠に似て隠にあらず、賢に似て賢ならず、ものしりに似て何もしらず、世のまがいもの、からの大和の教ある道々、妓能、雑芸、滑稽の類まで、しらぬ事なげに、口にまかせ、筆にはしらせ、一生を囀りちらし、今はの際にいふべく、おもふべき真の一大事は、一字半言もなき倒惑、こころに心の恥をおほひて…」。 先祖代々の武家に生まれながら、武士の世界を捨て、身分ある公卿たちに身近に仕えても、何の身分もなく、庶民のあいだで呑気に暮らしても、商売も知らず、隠者のようで隠者でなく、賢者のようで賢者でなく、物知りのようで物知りでなく、世の中によくいるできそこないである、唐や大和の教えであるさまざまな学問、芸能、いろんな芸、お笑いの類いにいたるまで、知らないことはないとでもいうように、口からでまかせ、筆の走るままに書き散らし、一生、喋り散らしてきたが、今際の際に言わねばならぬ、考えねばならぬ、ほんとうに大事なことは、ほんの少しの言葉もなくて当惑するばかり、心中ひそかに恥じ入っている…。
この辞世文をどう受け取ればいいのでしょう。私でなくても、少しは唖然としてしまいます。もちろん、これは自戒や反省などではありません。そんな風に考えるのは馬鹿げています。近松ほどの作家がこの場に及んで中学生の作文のようなものを書くはずがありません。文章もやはり見事です。しかも自嘲ですらないと思います。もっと潔い感じすらします。なんとも近松門左衛門は複雑です。近松には何かしら激しさと言えるものがあると思います。私には彼が怒っているようにも思えます。この激しさとはいったい何なのでしょうか。 その後、「それでも辞世は?」と問う人があれば、こう詠んでおきましょう、とあります。どんでん返しです。人を食っています。 「それぞ辞世 去ほどに扨(さて)もそののちに 残る桜が花しにほはば」 すべてが終わって、それでも桜の花の香りがするならば、それこそが辞世である。 つまり自分の書いた浄瑠璃が残っていれば、それこそが辞世であり、それだけが辞世なのだ、ということなのでしょう。マルクスの言い方を借りれば、「近松は言った、そして魂を救った」です。ずいぶんな辞世です。これは、自分は浄瑠璃を命がけで書いたのだ、自分の書いた作品すべてが辞世と言えるものだ、という自負なのでしょうか。しかし最後にはこうあります。 「のこれとはおもふもおろか うづみ火の けぬまあだなる くち木がきして」 口の端も乾かぬうちに、近松は言います。埋もれ火の消えない間に、朽ちた木に彫った浄瑠璃が残ってほしいなどと心に思うのは、愚かなことである、と。 自分の浄瑠璃作品が、それでも後世に伝えられたいなどと思うのは愚か者の考えである。……! なんとも言いようがありません。かっこいいでは済みません。これが畢生の作家が書いた第一級の辞世であるとしなければ、なんなのでしょう。そういうわけで、私は近松門左衛門のファンであることを認めないわけにはいかないのです。
■鈴木 創士(すずき そうし)
フランス文学者、批評家、作家。音楽ユニットEP-4のメンバーでもある。1954年生まれ。主な著訳書に『アントナン・アルトーの帰還』、『魔法使いの弟子』、『中島らも烈伝』、『ひとりっきりの戦争機械』、『サブ・ローザ』、『ザ・中島らも』、エドモン・ジャベス『問いの書』『ユーケルの書』『書物への回帰』『歓待の書』、フィリップ・ソレルス『女たち』、アントナン・アルトー『アルトー後期集成』(共同監修)、ジャン・ジュネ『花のノートルダム』、アルチュール・ランボー『ランボー全詩集』など。兵庫県在住。
(2015年1月13日 第二部『日吉丸稚桜』『冥途の飛脚』観劇)
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