カレンダー チケット
文楽かんげき日誌

文楽素人の発展途上かんげき日誌

西 靖

たいへんお恥ずかしいお話ですが、大阪の国立文楽劇場に初めて足を踏み入れたのは、わずか1年半ほど前のことです。仮名手本忠臣蔵でした。そのときにも、この「かんげき日誌」を書かせていただきました。人形、義太夫、三味線の三業が分かれている、ある意味での「不自由さ」が、むしろ文楽の世界を豊かにしているのではなかろうか、と素人なりの感想を書きました。今読み返すと、なんだか恥ずかしいくらい熱っぽく書いています。でも、初めて触れた文楽の、意外なほどの深さ、広さ、面白さに感動していたのだと思います。なにより、自分には難しくて理解できないんじゃないかと勝手に決め付けていた古典の世界が、たいへん生き生きとした、リアルな息づかいを伴って、ビリビリ伝わってきて、わかった(つもりになれた)ことが、とてもうれしかったのです。
以前にも書いたように、文楽を含めた古典芸能について、「ほとんど門前払いに近い理解不能」に陥るのではないかという食わず嫌いというか、畏怖のようなものを感じていたのが、あにはからんや、ストーリーはなんとか理解できるし、笑ったり、泣いたりすらしてしまったものですから、急に身近なものに感じるようになったのでした。

それ以降、折をみては文楽劇場に足を運ぶようになりました。歌舞伎と共通の演目も多く(そんなことも知らなかったのです!)、見れば見るほど、いろんなものが繋がってきて、楽しみはどんどん広がっていきました。今回のように通し狂言を観劇すると、全体の大きな流れや登場人物の性格なども頭に入るので、別の機会の観劇で、見取り、幕見であっても、お芝居の世界にスッと入っていけます。これまでのように、「怖そうな顔してるから、たぶん悪者なんやろな」となんとなく推測しながら観る、という危なっかしい観劇をしないですむようになっていけそうです。

と、貪欲に文楽の世界観を取り込もうとするうちに、ちょっとした引っ掛かりも残るようになってきます。ストーリーが頭でわかるようになってきたといっても、それだけでは納得できないことが残るのです。やはり時代を経た古典ですから、展開に合点がいかないところも出てくるわけです。最初のうちは、「昔の話だから」「創作だから」と、なかばは無意識に、なかばあえて、理解しにくいところをスルーしていました。せっかく理解でき始めているのだから、その快感に水を差すような細かい違和感は無視しようとしてしまう、といえばいいのかもしれません。

たとえば、今回の菅原伝授手習鑑の寺子屋の段。忠義のために致し方なし、と、寺子屋に入門したばかりの年端もいかない子ども、小太郎に源蔵が手を掛け、首検分に差し出す、小太郎の母親が帰ってきたら、その母親にも切りかかる。すると、その母親が「息子は身代わりの役に立ちましたか」と内情を話す。すなわち、小太郎とは首検分をした松王丸そのひとの息子なのだ…。たいへんな見せ場です。いま思い出してもそのギリギリの情の深さに胸が詰まりそうになります。
しかし、ちょっと考えてみると、その前提になっている価値観は、ずいぶん見ている我々のものとは違います。源蔵が忠義のためとはいえ幼い子どもを殺めることも、松王丸が、これも忠義のために我が息子の首を差し出すことも、美談というには、(少なくとも今の世では)大いに抵抗があります。100歩譲って忠義のために我が身我が命を差し出すというのは、命の軽重の物差しが時代によって変わるのだと思えば、ギリギリ理解の及ぶ話だとしても、我が子の命を、我が命と同じように差し出すという行為は、時代劇でも、なかなか見ることはありません。
でも、実際に、違和感で物語が飲み込めないかというとさにあらず、この場面で見事に感動してしまっているわけです。命の扱い方に同意しているわけではないけれど、感動する。

自分の息子の首を差し出して若君を守った松王丸が源蔵に息子の最後の様子について問いかけます。

「ナニ源蔵殿、申し付けてはおこしたれども、定めて最期の節、未練な死を致したでござらう」
「アヽイヤ若君菅秀才の御身代はりと言ひ聞かしたれば、潔ふ首さし延べ」「アノ逃げ隠れも致さずにナ」「につこりと笑ふて」
「ナニにつこりと笑ひましたか、アノ笑ひ、アハヽヽヽアハハヽヽハヽヽハヽヽハヽヽ、ムヽアアハヽヽヽ。出かしをりました。利口な奴、立派な奴、健気な八つや九つで親に代はつて恩送り。お役に立つは孝行者、、、」

書き起こしていても、ちょっと涙が出てきそうになります。父親と、その息子の命を絶った男の会話なのに。

この圧倒的な迫力の前に、私なんかの抱く違和感は、所詮、物語にとっては枝葉末節に過ぎないのかもしれない、とあえて素通りしてしまっても、実際に感動できるわけで、鑑賞態度としては問題ないわけですが、その違和感を無視しないで、なんでこんなに価値観がずれているのに面白く感じるのだろう、と胸のうちで、頭のなかで再咀嚼しはじめると、これがまた実に味わい深くなってまいります。
忠義のためにわが子を差し出すなどというのは、この文楽の書かれた太平の世であっても時代遅れで、そうであるがゆえに古風で実直な忠誠心として巷で受け入れられたのではなかろうか、とか、そうだとすると、当時の大坂の町でも「昔の人は偉かったねぇ」なんて言っていたのだろうか、とか。ということは、価値観のズレこそが、面白さの源泉なんだろうか、とか。また、金でもなければ時間でもなく、人生そのものを差し出すという行為は、現代であっても人の心をゆさぶるもので、首を差し出す、というのは演劇上のメタファーなのだろうか、とか…。

無論、素人観劇の妄想です。答えは出ません。大夫の唸り声の尻尾を掴むようにして登場人物の心情にぐいと近づいていったり、普段、聞いている音楽とはまるで違う音階をたどる三味線の響きが表している場の温度や空気感を感じようとしたり。素人観劇者だからこそ許される勝手な解釈で、脳内のいろんな領域を使ってぐいぐい物語のなかに出かけて行き、いつの間にか、目の前の舞台での物語にジンジン胸が震えつつ、脳みその何割かがフワフワと価値観の軸を探しに昔の芝居小屋の客席に出かけてしまっているような。でも、それは気が散っているのとは明らかに違う、引き込まれながら引き裂かれるような、、、たいへんに面白い体験でした。そのうちにまた、ぐるっと回って、シンプルに物語の世界に入り込むような観劇ができるようになるのかもしれません。それはそれで楽しみでもあります。

蛇足ながら。
今回の4月公演は、みなさんご存知のように、七世竹本住大夫さんの引退公演でした。そのこともあってだと思いますが、文楽劇場にはたいへん大勢のお客さんが足を運んでいらっしゃいました。古くから文楽に親しんでいた皆さんにすれば、住大夫さんの大阪での最後の舞台は見逃すわけにはいかない、ということなんでしょう。本当にたいへんな熱気でした。くどいようですが私は文楽歴の浅い、にわかファンです。くやしいことに、住大夫さんの芸のあそこが好き、ここにしびれる、と申し述べることができません。
住大夫さんのお姿は、文楽協会への補助金をめぐる一連のニュースではたびたび拝見していました。文化芸能への行政の関わり方には、みなさん様々なご意見がおありでしょうからここでは置くとして、文楽のために、最長老の住大夫さんが自ら先頭にたって対応に奔走されているその横顔は、鬼気迫るものがあったように感じました。文楽の世界を詳しくは知らない私にも、思いの深さが伝わってきました。
テレビでインタビューにお応えになっているのを拝見したときのお話しぶりは、ご病気のこともあってか、ちょっとしんどそうな、搾り出すようなお声だったように記憶していますが、文楽劇場での菅原伝授手習鑑・桜丸切腹の段での語りは、艶やかで、迫力があり、伸びやかで、美しかったです。そして、住大夫さんが語り終えたときの、いつまでも続く満場の拍手に、住大夫さんがどれほど愛されているのかが偲ばれて、胸がジワッと温かくなったのでした。文楽デビューはずいぶん遅れましたが、住大夫さんの最後の舞台には、なんとか間に合いました。
今後もお元気に若手の指導などで活躍されることをお祈りし、期待したいと存じます。

■西 靖(にし やすし)
毎日放送(MBS)アナウンサー。1971年生まれ。大阪大学法学部卒業。1994年、毎日放送に入社。現在、テレビで情報番組「ちちんぷいぷい」メインMCと、ニュース番組「Voice」のキャスターを務める。他にもテレビ・ラジオ番組で活躍中。岡山県出身、兵庫県在住。

(2014年4月12日『通し狂言 菅原伝授手習鑑』(第一部)、20日(第二部)観劇)