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文楽かんげき日誌

言葉とその意味と

くまざわ あかね

今月、四月公演は「竹本住大夫引退公演」と銘打たれている。劇場ロビーも客席もいつものゆったりした雰囲気とはちがって、「これで最後か」「見納めか」と、卒業式の式典に参加しているかのような、どこかピリリと緊張した空気が流れている。

そんな中での「菅原伝授手習鑑」、通し公演である。

「桜丸切腹の段」、圧巻だった。すばらしかった。

わたしごときが今さら住大夫師匠のすばらしさを述べるのははなはだ僭越ではあるのだけれど、師匠の浄瑠璃に圧倒されるのは、文字通りの言葉の「意味」にプラスして、セリフの「音」の高い低いや「息遣い」から、文字の意味を軽々と飛び越えてそれ以上の広がりを感じさせてくださるからだ。

たとえば。息子である桜丸に切腹の刀を渡したとき、嫁の八重に「泣きゃんな」と言う場面。文字だけ見れば、見たままそのまま「泣いてはいけない」という意味しかない。にもかかわらず、ここに師匠の語りがつくと「よぉ泣いてやってくれた」という情がプラスして伝わってくる。

目の前の舞台では、大切な人の逃れられない死、という悲しい場面が展開されているけれど、ただ悲しいだけではなく、人が人を思うあたたかさ、過酷な運命をそのまま受け入れる潔さなど、いろんな印象・感情が絡み合った重層的なものとして立ち上がってくる。 狭い部屋の中で「この話はこういうことか」と思い込んでいると目の前で、ふすまや窓がスパーン、スパーンと開けられ「こんな見方もありまっせ」と視野を広げられるような思いがするのだ。

と同時に、師匠の引退を惜しみ悲しむ気持ちを、師匠ご自身から「泣きゃんな」、泣かんかてよろしい、と諭され、それでいながら「よぉ泣いとくなはった」と頭をなでられているようで、切なくあったかい気持ちで胸がいっぱいになってしまった。

新聞やテレビのニュース報道、科学の論文などの情報を伝えるために使われる言葉には、ブレがあってはいけない。「選挙がある」ならある、「桜が開花した」ならした、と、誰が見ても同じ意味にならないといけない。 文化で使われる言葉はそうではない。小説でもお芝居でも、言葉は平気で意味を裏切る。前後の文脈によって「うれしい」が「悲しい」になったり、「嫌い」が「好き」になったりもする。実生活の言葉だって、きっとそうだ。 だからこそ、芝居なり落語なり小説なりに触れることで「空気が読める」ようになってくるだろうし、また逆に「読みやすい空気」が作れるようにもなるんじゃないだろうか。

話が横にそれたけれど、義太夫の大夫でも落語家でも、うまい演じ手というのは文脈の中でその言葉がどんな意味を持つのかをキッチリ「解釈」する能力と、言葉を口にして音程やスピードをコントロールすることで、解釈した意味を正確に再現できる能力を兼ね備えた人なのだと思う。 住大夫師匠なら「うれしい」という言葉を語られても、観客に「悲しい」という感情を起こさせることができるにちがいない。

第一部を見ていても、住大夫師匠のことが思い出されてならなかった。
「丞相名残の段」の冒頭、伯母の覚寿が丞相をしのんでのセリフ
「百日千夜留めたりとも 別るる時は変わらぬ辛さ」
からして、もういけない。 菅丞相イコール住大夫師匠に見え、別れを惜しむ覚寿や姫に「そうだよね、悲しいよね」と過剰な思い入れをしてしまった。 観客のエゴでしかない、とは分かっていながらも、火を噴いて雷になってでも戻ってきていただきたい。そう思えてならなかった。

■くまざわあかね
落語作家。1971年生まれ。関西学院大学社会学部卒業後、落語作家小佐田定雄に弟子入りする。2000年、国立演芸場主催の大衆芸能脚本コンクールで、新作落語『お父さんの一番モテた日』が優秀賞を受賞。2002年度大阪市咲くやこの花賞受賞。京都府立文化芸術会館「上方落語勉強会~お題の名づけ親はあなたです」シリーズなどで新作を発表。また新聞や雑誌のエッセイ、ラジオ、講演など幅広く活動。著書に、『落語的生活ことはじめ―大阪下町・昭和十年体験記』、『きもの噺』がある。大阪府出身。

(2014年4月8日『通し狂言 菅原伝授手習鑑』(第一部)、9日(第二部)観劇)